第7話 わたしの新しい花びら
あの人は言いました。
咲きなさい。咲き誇りなさい。美しい花になりなさい、と。
よく、あの人は連れて行ってくれました。わたしに見せてくれました。パンジーの咲き誇る花壇を。慎ましく、しかし喜びに満ち溢れ笑うコスモスを。空に向かって微笑みかけるひまわりの園を。ある時には、スイートピーの可憐な衣装を見て、「××のようね」などと言って抱き締めてくれました。
そう。抱き締めてしまったのです。
* * *
週末になるとわたしの心は不安と期待ではちきれそうになっていた。休日に誰かと約束を交わしてどこかへ出かけるというのがほとんど初体験だったからなのだろう。きっとたくさんの初めてがあるのだろうと思うと、高揚を抑えることなどできる気がしなかった。
その一方で、わたしなんかがこんな楽しいイベントを過ごしてもいいのか不安になった。遊んでも、相手がつまらなそうにしていたらどうしよう。途中で帰られたりしたらどうしよう。マイナスイメージもまた膨らんでいって頭がオーバーヒートしそうなぐらい。
それでもどちらかというと期待に胸が弾んでいたのは、遊ぶ相手が小村くんだからだろう。わたしのダメっぷりを知っている彼なら、あるいはわたしと上手に遊んでくれるかもしれないだなんて若干他力本願な気持ちが芽生えなかったといったらウソになる。
というわけで、土曜日のお昼前。
わたしは指定された待ち合わせ場所で、小村くんが来るのを今か今かと待っていた。
現在時刻は、待ち合わせた時刻の三十分前。もう二時間ぐらいはここにこうして立っているけれど、小村くんがやってくる様子はない。
……待たせたら悪いと思って早めに行動してよかったと思う。もし仮に小村くんが待つ側だったら、罪悪感にさいなまれて死で償おうとしていたかもしれないし。
場所は市で管理している公園の近く。その近辺には、小さいながらもショーケースの立ち並んでいるお店があったりしてなんだか少しモダンな雰囲気だ。どこか恋人同士が待ち合わせに使いそうな――なんて恐れ多いことを考えてるわたし! 第一、小村くんの好きな人はわたしじゃなくて葵さんだし――なんて考えていると、不意に強い風が吹いた。
「あっ……」
朝、三時間ぐらいかけて必死で整えてきた髪が乱れる。せっかく美容院で切ってもらって可愛くなったのに、あんまり乱れたら台無しだ。
きょろきょろと辺りを見回すと、まだ営業前の洋食屋さんが目についた。
「す、少しだけお借りさせていただきま~す……」
なんてボソボソとつぶやいて断ると、正面のガラスドアを覗き込む。案の定鏡みたいにわたしの顔(五段階評価で☆一つ半ぐらい。半はあると信じたい)がガラスの向こうから見つめ返してきた。少し見にくい……というよりも醜いけれど、ささっと指先でどうにかこうにか髪を整える。
……うーん。ちょっと。前髪、分け目深すぎ? 頭のてっぺん、癖がつきすぎ?
毛先もなんだか整ってない感じがして仕方ない。ブラシをかけたほうがいいかなとかとっさに思う。いやでも。わたしブラシ持ってないしどうしよう。
そうやって自分の髪(強情!)と戦っていると(激戦!)背後から不意に声がかけられた(驚愕!)
「……何やってんのあんた」
「ふわわわわぁ!?」
振り返ったらジト目でわたしを見つめている小村くんがいらっしゃいましたとさ。
なんだかすごく微妙そうな顔でわたしを見ている。髪を直しているところを見られたのだろう。なんだか恥ずかしくなってきて、思わずわたしはうつむいた。
「あ、あう、えと、その、こ、これはですね」
なんて言い訳しようかと迷いに迷って、しかし肝心の言葉は出ず。そうしておどおどしていると、小村くんが口を開く。
「いや、まあ、なんでもいいけどさ」
「は、はぁ……」
説明しようとして口を開くも、小村くんにそう言われわたしの言葉は尻すぼみになってしまう。どうせわたしなんかに興味ないですよね……だなんて暗いことを考えてみたり。
思わず小さく溜息をつくと、小村くんが小さく頭を下げてくる。
「……悪いな。待たせたみたいで」
「えっ!? い、いや、そんなことないですよ!」
謝られても正直困る。だって、まだ待ち合わせた時間には十分ぐらいあるのだ。
「別に時間に遅れたわけじゃないですし、わたし、全然気にしてませんからっ」
ってこの言い方だと少し偉そうだろうか。少し不安になりつつ小村くんの様子を窺うと、少しだけホッとしたような表情になっていた。
「そっか。それならよかったけど」
よかった。どうやら安心してくれたらしい。
「ちなみに美咲さんはどれくらい前にここに来たんだ?」
「えっとですね……もう二時間前ぐらいだったかと」
「早すぎねえ!? せめて待ち合わせの三十分ぐらい前を想像してたよ!」
「はいっ。小村くんを待たせてはいけないと思って、気合を入れてきました!」
それにわたしの朝はどうせ早い。家にいるぐらいなら、外にいるほうが気が楽なのだ。
「そういう妙な気の使い方しなくていいからな……?」
「うっ……つ、次はもっと、気を付けます」
逆に俺が申し訳ない気持ちになるからやめてくれ、と小村くん。気の回し方を、どうやらわたしは間違えてしまったらしい。次はもっと早く来たほうがいいだろうか。
「あのさ、今、次はもっと早く来ようとか考えてただろ?」
「ふぇっ!? な、なんでわかったんですかっ」
「あからさまに気合を入れ直してるような顔見たら一目瞭然だっての! っていうか、二時間前行動はこっちの心臓に悪いからやめてくれ。早めに来るなら、せめて三十分前ぐらいでいいからな」
「し、しかし、わたしなんかが相手を待たせたりするわけには――」
「その気遣いが相手に無用な罪悪感を植え付けるんだっての」
どうして分からないかなー、と言いたげに小村くんが呆れた視線をよこしてくる。なんだか居心地が悪くなって、思わず身を竦めてしまった。「怒ってるわけじゃねえんだけどなあ」と小村くんが首の後ろをかきむしった。
ところで、と小村くんは話題を切り替え。
「その服はもう少し何とかならなかったの?」
そう言う小村くんの視線はわたしの恰好に向けられている。それこそ頭のてっぺんから足の先まで……いや、その、恥ずかしいからやめてください。死んでしまいます本当に。
ちなみに今日のわたしの服装はというと、ダークカラーのジーンズパンツにかかとの低い通学用パンプス。上半身は黒のロンTと、見事なまでの天然陰気色。まるでわたしのようだ。
きっと夜だったら、暗がりにそのまま身を潜めることができるかもしれない。わたし(隅っこ族の地味女)にはお似合いの色である。
しかしそれを一瞥して小村くん曰く、
「……墓参り?」
というコメントを下さった。わたしにさっさとお墓に入れということなのだろうか。
「あ、あう、えと……生きててごめんなさい」
「いきなりどうした!?」
「それは、その、さっさとお墓に入れとおっしゃるので……」
「言ってねえよ!」
「はうぅ、すみません! 無縁仏になれってことですね!」
「俺をどんだけ冷たいやつにしたいわけ!?」
「あ、じゃあせめてもの温情措置で、一緒のお墓に入ってください!」
「それ告白通り越してプロポーズじゃねえか!」
小村くんの言葉にハッとする。――なにわたし大それたこと言ってるんだ。
そもそも、一緒のお墓に入ってくださいとか、重い女にもほどがある。どれだけ自意識過剰なのか、と。第一、わたしなんかと同じ墓など、失礼千万に値する。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ」
「ああ、いや、別にいいけどさ」
若干引き笑いしつつ小村くんが首を振る。
「他に服とかなかったの?」
「ああ、いや、えっと……全部似たような服でして」
基本わたしは黒い服しか着ない。白なんて着たらきっとわたしのイメージにそぐわないと思うから。明るい色合いの服を、わたしのような暗い人間が身に着けてはいけないのだ。
そういうわけで、ついつい暗い色合いの服ばかりを選んでしまい……。
「なんつーか、美咲さんって、ほんと、なんつーかさあ……」
考え方の根本がすでに暗いよねー、と。
小村くんに呆れられているわけでして。
「誰かと遊ぶ時に着るような服は今まで買ったことないわけ?」
「あー、えっと」
「……ないんだ?」
「相手もないんです……」
友達なんてずっといなかったから、人と遊ぶ時のための服を買う機会も今までなかった。
そんな自分はきっと恥ずかしい人間なんだろう。そう思うと小村くんの顔を見ることもできない。ついつい視線を逸らして自分の情けなさを噛み締めてしまう。
「んじゃ、これから買いに行くか」
「へ?」
「つか、美咲さんがまともな服持ってないのは予想してたから」
ここで待ち合わせたのも近くに服屋があるからだ、と小村くんは明かしてくれた。その気遣いは、やはりわたしなんかではマネすることなどできなさそう。
「俺も一緒に服見てやるしさ。な?」
「で、ですが……」
選んだ服がもし似合わなかったらどうしようかと考えてしまう。どんなに可愛い服を着ても、わたしが着ていいような服じゃないんじゃないか、とか。デザインした人に対する冒涜なんじゃないのか、とか。ファッション雑誌で見かける女の子は可愛い服を着るために生まれてきたかのように、顔も体も可愛いのだ。わたしみたいな断崖絶壁はいないのだ。
けど。だけど。
髪を切った時みたいに、少しでも自分が変わることができるなら、とか。大それたことなんかをつい考えてみてしまったりして。
「じゃあ、えっと、その」
小さくうなずく。すると小村くんは「分かった」と言って歩き出す。
ついていった先にあったのは、女性向けブランドのお店だった。公園のところからすぐ近く。歩いて五分とかからない。本当に、小村くんがわたしの服装のことまで考えて待ち合わせ場所を指定したのだと実感した。
お店の前で思わず及び腰になるわたしを、「怯えてないでさっさと入れ」と小村くんの足が(比喩ではなく)蹴飛ばした。自動扉の前に立つと、センサーが反応(わたしなんかに気づいてくれる!)してウィーンと無機質な音を立てて開く。
いらっしゃいませぇー、と間延びした声がかけられて、もうわたしは逃げられない。
「ほら、時間ねえんだぞ」
と小村くんが背中を押してきて、ようやく店内に足を踏み入れる。
「わぁ……」
一言でいうなら、凄かった。
わたしがいつも利用しているウニクロとかしまうらとかと比べて、格段におしゃれレベルというか、おしゃれ度というかが高いのだ。なんというか文字通り桁が違う(フリルスカート・Mサイズ・一枚八千円也)思わず目玉が飛び出してしまうぐらい、高い服がたくさんある(ブラウス六千三百円! カットソー一枚二千八百円!)
わたしの……わたしが持ってるような服(ブラウス二枚合わせて二千百円!)とは当然生地も質感も段違い。近づくだけで、可愛いオーラに当てられそうになってしまう。
ダメだ、やっぱりこんなところ、わたしなんかが来ては行けなかったんだ。きっと店員さんにだって怒られてしま――
「今日はどのような服をお求めですかー?」
しかし話しかけられてしまった!
でも、どのような服とか言われても、おしゃれのことはよく分からない。というかぶっちゃけどんな基準で服を選べばいいのかも分からない。
だからどうにも答えることができないで、小村くんの顔を見上げて助けを求めてしまう。
「美咲さんはどんな雰囲気の服がいいんだ?」
……しかし追い詰められてしまった。
自分で服を(それもおしゃれで可愛いやつを)選んだことなどなかったから、頭で上手く思い描くことができない。どんな雰囲気のものが自分に似合うのかだって知らないのだ。
周りの服を見回して自分が着てるところを必死に想像する――うぅ、似合っている気がしない。わたしなんかに似合う服が本当にあるのだろうか。
それともわたしで想像するからいけないのか。わたしじゃなくて、たとえば……。
そこでふと思いついたことがあったから言ってみた。
「あ、あの、できれば、なんですけれど」
「ん?」
「栗本さん……みたいな雰囲気の服とか、どうかなあ、って」
指と指と突っつき合わせながら、わたしはおずおずとそう言ってみた。
「あ、憧れるんですっ。ひまわりのような、野原を駆けまわるような、ああいう人にっ。かっこよくて、しなやかで、元気いっぱいな……」
わたしとしては、けっこう勇気を振り絞ってみたりしたのだけれど、
「うーん……」
と、小村くんの反応は微妙だった。
「葵っぽい感じなあ。美咲さんとはかなりタイプ違うと思うけど」
「そ、そうでしょうか」
「まあ、試してみたら?」
と言われて、葵さんに似合いそうな服を探してみる。そこで目についたのが、裾にダメージの入っているようなデニムのホットパンツに、動きやすそうなタンクトップ。デニムのほうには星のプリントが入っていて、タンクトップは肩紐が愛らしいピンク色。元気可愛いアイテムだった。
これいいなあ、と思って手に取った。きっと葵さんが着たら素晴らしく似合う。
「試着してみますか」
「え、い、いいんですか?」
「はい。試着室へ案内いたしますね」
店員さんに勧められて試着室へ。鏡(地味女が覗き返してくる)と向かい合って、わたしはさっそく服を着替える。
けれど身に着けてみてから鏡を見ると、そこにはあまりにもアンバランスな姿が映っていた。
少なくとも、わたしは活動的な性格ではない。元気いっぱいな女の子じゃない。顔つきだっていつもどこか弱気な感じで、頭だって黒髪ロングのストレート――せめてポニーテールにしていたら、少しは似合っていただろうか。
とにかく、本当にびっくりするぐらい、わたしの選んだ服はまったく似合ってもいなかったのだ。
以下、小村くんと店員さんの反応。
「……そうだな、葵が着てたら似合ってたかもな」
「お、お客様とは少しだけ相性の悪い服かもしれないですね」
――直接、似合ってないと言われたほうが、まだ心のダメージは少なかったかもしれない。
ともあれ分かったのは、わたしに服を選ぶセンスとスキルが皆無であること。女子的にそれはどうなんだと思う自分がいないわけではないけれど、初めてまともに服を選ぼうとしたんだから仕方がないと思い直す。
「これなんてどうでしょう? お客様にお似合いかと思いますが……」
結局、最終的には店員さんのアドバイスに従って服を決めた。
スミレの花みたいに、柔らかく裾の広がった淡いブルーのワンピースに、丈の短いカーディガン。
それを見て、「まあそんなもんか」とは小村くんの言葉である。
「マシになったよ。似合ってる」
「ほ、ほんとですか?」
「俺は嘘はあんまり言わない」
「たまには言うんですね……うっ」
ため息をつき肩を落とすと、小村くんは苦笑してわたしの頭を軽く小突いた。
「そこでしょげるな。マシになったのも似合ってるってのも嘘じゃない」
「で、ですが」
「……その、美咲さんの、人に否定されないと気が済まないって性分もめんどくさいぞ。あ、これも嘘じゃないからな」
「うぅ……」
自分でも分かってはいるのだ。わたしの卑屈なところが人をよくイラつかせたりしてしまうなんてこと。
だけど一朝一夕に直すなんて、それこそ無理な話なわけで、そのことを考えるとまた勝手に気持ちが沈んでしまったりして。
「あーもうコイツは!」
そうやって俯きかけた時、不意に髪の毛をぐしゃぐしゃかき回された。
「……へ?」
「勝手に無限に凹むのもいい加減にしろ! そのうち地面にめり込むぞ!」
「あう、すみませ――」
「謝罪も禁止! とにかく、そろそろ行くぞ!」
「わわっ」
途端、強引に手首を掴まれお店から連れ出される……買った服を着たままで。
「そろそろ待ち合わせの時間だからな。おら、きりきり歩け!」
「ひ、ひゃいっ」
そうやって急き立てられると、頭の中でぐるぐるしていた悩みごとも勝手にどこかへ消えていく。というか若干パニックに陥っていて考える余裕がないといった方が正確だろうか。
……って、え?
待ち合わせ……?
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