第5話 貞子、卒業します

 学校を出て小村くんが向かったのは駅前にあるショッピングモールだった。駅を中心に広がるモールで、中にはフードコートやファッションビルなんかも備え付けられている。休日なんかには、このあたりの学生でごったがえしそうだ。たいていのものは手に入るんじゃないだろうか。


 なんて憶測気味の言い方は、わたしがほとんどこの場所に訪れたことがないためだったりする。買い物ならいつも近所のスーパーで済ませてしまっていた。


 駅前広場にあるアイスクリーム屋台の前を通り過ぎながら小村くんは口を開く。


「美咲さんは自分のどういうところに自信が持てないの?」


「そ、それは……その、全部、です」


 わたしは正直にそう答えた。他に言いようもない。


「ふーん。そっか」


 つぶやきながらも小村くんは足を止めない。自然、わたしはそのあとをついていく形となる。


 モールに入ってしばらく歩く。ドラッグストアやファストフードのショップを何件か通り過ぎていく。けれどもなかなか歩みは止まらない。


 普段見かける風景とはまた違った感じで、なんだかおしゃれな場所のような気がする。場違い感に思わず肩を竦めてしまった。


 わたし達の間に会話はない。小村くんの背中を、わたしが三歩遅れてついていくばかりだ。なんだか少しだけ気まずい感じがして、どうにか言葉を交わさなければと思って口を開く。


「ど、どこへ向かっているのでしょうか?」


「美容院」


「あ、あはは……わたし、そういえば用事があるんでした」


 逃げ出そうとしたわたしの襟首を、小村くんがむんずと捕まえる。


「どこへ行こうとしてんの?」


「あ、あうっ、そのっ」


「オットセイ好きな、お前」


「ち、ちないます!」


 思わず抗弁する。


「び、美容院ということは、ええと、あの、その、前髪とかも切ったりとかするということですよね?」


「前髪とか、というよりは、美咲さんの場合は主に前髪を、だな」


「そうすると、顔が今よりもはっきり見える……ということになりますよね?」


「そりゃ、まあな」


「――――やっぱり帰ります!」


 襟をつかまれたままわたしがギャアギャアわめきだすと、道行く人の大注目を集めてしまった。恥ずかしいことこの上ない。お目汚ししてすみません。いっそ穴倉にこもって、世間様の目を汚さぬようにじっとしていたほうがいいだろうかというところにまで考えが至る。


「――とりあえずちょっとこっちにこいっ」


 小村くんのとっさの判断で道の端まで引っ張っていかれた。向き合った顔はこれからお説教をしますと雄弁に語っている。少し逃げ出したくなった。


「自分に自信を持てるようになりたいって言ったよね」


「……はい」


「そして、自信を持てるようになった自分で夏祭りの時に告白するとも」


「言いました。間違いなく、言いました」


 神妙な口調でわたしはうなずく。


「わたしは、変わりたいです。今までみたいに自分に自信を持てないでウジウジしてるのは嫌です」


「うん、変わりたいんだよね」


「はい! これまでとは違う自分、新しい自分に生まれ変わりたい! その気持ちに嘘はまったくありません!」


「それは本当に?」


「はい。本当です」


 一瞬だって迷わない。流れで決めたことだけれど、一度決意したことなら簡単には曲げたくないとわたしだって本気で思うのだ。


「だから、自信を持てる自分になるための努力だったらなんだってしたいと思ってます。もう、足踏みばかりしているのはうんざりですから」


「そうか」


 あからさまに小村くんが安心したような様子を見せる。


 まだうつむいたままのわたしの手を引いて声をかけてきた。


「よし、覚悟は決まったな。じゃ、まずは美容院に――」


「でも髪を切るのは嫌です!」


「口先だけじゃねえか!」


 悲鳴のような声が小村くんの口から上がった。


「それでよく、足踏みばかりしてるのはうんざりだ、とか言えたな!」


 怒りを通り越して、もはや呆れ果てていた。そうですわたしはそうなんです、呆れられるようなダメ女です――なんて言葉は口が裂けても言えず。


「まったく。口で理想は語れても、結果は行動でしか手にいれることはできないんだぞ」


「そ、そもそもです! 髪を切ることに何の意味があるんですか! ただ、ちょっと、見た目の印象が軽くなるだけじゃないですか!」


「まさに見た目の印象を軽くするためだよ! 第一、表情もまともに見えないとか常識的に考えてあまり付き合いたくない人種に分類されるぞ!」


「で、でもでもでもですねっ。わたしの顔はその、気味悪いですし、むしろ顔を隠していたほうがさわやかだという統計がですね……」


「どこ調べだよ! 伸び放題の現状のほうが圧倒的に薄気味悪いわ! 貞子か! 貞子が告白するところとか、まったく想像できねえよ!」


「それは、その……粗品ですがどうぞ、と告白するのではないでしょうか……」


「及び腰すぎんだろその告白!」


「つまらないものですが」


「言い方変えただけじゃねえか!」


 謙虚を美徳とする日本人の美意識がないがしろにされている現場を見てしまった。


「う、うぅ……やはり行かないとダメですか?」


「ああ。ダメだな」


「でも」


「でも、は禁止」


「だって」


「だって、も禁止」


「あ、あるいはっ」


「言い訳は全部禁止」


 すべての言葉を切り捨てられ、わたしは「あ、あうぅ……」と唸るしかない。


「こ、こうなるともう、致し方ありませんね……」


「ああ。諦めろ」


「はい。分かりました。観念して切ることにします。おしゃれの基本だと、聞いたことありますし」


「おっ、結構切るのに乗り気になってくれた感じ?」


「はい。切ります」


 ここまで来たらいい加減決意を固めよう。


 わたしはぐっと拳を握り、宣言した。


「――爪を!」


「まだ言うか貞子め!」


「あうっ」


 平手で額を叩かれて、わたしは思わずその場にうずくまった。おでこがひりひりして、思わずそこを手のひらで覆う。


「な、何するんですかぁ~」


「目的を見失ってた迷い子を導こうとしてるんだよ」


「か、髪はダメですよ。目がダメなんです」


「目が? どうダメなんだ?」


「それは、その」


 うぐっ、と思わず言いよどむ。


「宇宙人みたいで気持ち悪い目だからダメなんです」


「はあ?」


「小学生のころに言われたんです。気持ち悪い目だって。見てるだけで吐き気のする変な目だって、言われて」


 それはもう古い記憶。ある日突然、クラスの男子に指を差されて笑われて、気持ち悪いと嘲られた。その時から、もうずっと前髪は伸ばしたまま。


 いつもうつむきがちなのも、人と目を合わせるのが怖いのも、その頃から続くコンプレックスの名残なのだ。


 この経験が、わたしの自信のなさに拍車をかけているのはまず間違いないと思う。幼い頃の記憶は想像以上に爪痕を残すものなんだなと今さらながらに実感する。


 押し黙ってわたしがうつむくと、不意に顎に触れる体温を感じた。


「美咲さん。顔、上げて」


「へ? きゃっ」


 気づけば小村くんがわたしの顎に手をかけて、無理やり上へと向かせていた。


「わ、きゃうっ。あ、ンッ……見ちゃ、や、だめぇ……」


「なんで無駄にエロい声上げんだよ」


 わたしが拒むのを小村くんは一顧だにしない。顔の向きは固定されたまま、前髪が片手で掻き上げられていく。


 どろっとした恐怖が胸に滲んだ。笑われたらどうしよう、バカにされたらどうしよう、と。いつだって他人の評価を気にしてしまうのは、ネガティブゆえの自意識過剰なのかもしれない。


 とっさに目を隠そうと腕を上げるも、背中から壁に押し付けられてその動きを邪魔される。思わず涙ぐむのが自分でもわかった。きっと、情けない泣き顔を晒しているんじゃないかと思うと、それだけで心臓までもが粟立つような気がして顔を逸らそうとするけれど、小村くんは当然のようにそれを許さない。許してくれない。


「あ、あう……」


 弱々しい声を上げるわたしに小村くんは告げる。


「なんだ。全然じゃん」


「あ、うぅ……」


「全然、変じゃない。気味悪くなんてないよ。自信持っていいと思う」


「うっ」


「う?」


「嘘ですっ、絶対嘘です!」


 小村くんの束縛が緩むのを感じてとっさに飛びのく。不器用に両手を動かして、手のひらの底で目元を隠すようにして押さえつけた。全身が小刻みに震えているのが自分でも分かる。


「だ、だってみんなに言われたんですっ。変な目だって……宇宙人みたいで不気味だって」


 思わずそう叫んでいた。すると頭に、ゴンッという鈍い衝撃。


「あだぁ!?」


「自分を否定する時だけ妙に頑固になるんじゃねえよ! 変じゃねえっつったら変じゃねえんだよ」


「で、でも、わたしなんて――」


 どうやら拳骨を落とされたらしい頭のてっぺんを今度は抑えながらわたしが言いかける。けれども、それは次なる小村くんの言葉に機先を制されて途中までしか口にできなかった。


「あと」


 その一言にはっきり滲む険を感じ取って思わずわたしは肩を竦める。


「自分のことを、『なんか』だなんて言うな。そういう風に言って情けない自分を許すなよ。ダメな自分を無意識に肯定してたら、変われるものも変われねえぞ」


「うっ……」


「髪を切るってのは、自分はこれから変わるんだぞって区切りの一つでもあるんだよ。そうでなきゃ、いつまでも言い訳をする自分のままでいるだけだ。それでもいいのか?」


 それは、たぶん――よくない、と思う。そんなことは分かっているのに、わたしは思わず押し黙ってしまった。


 自分を守ろうとする言葉を探しかけて、やめる。今まさに言われたころだ。言い訳をする自分のままでいたくないなら、別の言葉を返すしかない。


 考え考え、ようやく言葉を絞り出す。


「……もし」


「うん?」


「もし、わたしが髪を切ったら、小村くんの目から見てわたしはもっと可愛くなれますか?」


 安心を求めて紡ぎ出した卑怯な言葉だと自分でも思う。けど、優しい小村くんはわたしのそんな気持ちまできっと汲みとってくれて、わたしの望む答えを返してくれる。


「ああ」


 お世辞に決まっている――だなんて思いながらも、そんな一言で簡単に背中を押されてしまうわたしはなんて単純なんだろうと自分でも思った。


「もちろんだよ。今よりずっと、美咲さんは可愛くなれる」


 ――――だって、女の子はそういう風にできている。可愛くなるために、生きている。


 そう続けられた小村くんの言葉は、不思議と心臓を強く打つような響きが込められていて、なんだか感動する。


 わたしは少し顔を伏せる。葛藤はまだある。不安も強いし、自分なんて可愛くないって思いは厳然として体の中心に居座っている。


 それでもついには顔を上げる。前を向いていたほうが色んなものが見えるよ、というのは、葵さんがさっき言ってたことだっけ。


 今までとは違う景色をわたしでも見ることができるだろうか。


「じゃあ」


 おずおずと一歩踏み出したわたしが次に言うべきセリフなど、たった一つしかありえなかった。


「じゃあ、切ります――行きます、美容院に」


 * * *


 それからおよそ五分後。わたし達は小村くんの行きつけだという美容院にまでやってきていた。


 わたしが普段行くような散髪屋とは違ったおしゃれなたたずまいを前にして、体が本能的に怯んで足が竦む。


「くっ……足が前に進みませ――」


「はいはいさっさと中入ろうね~」


「あ、え、いやちょ……あうっ」


 この期に及んでびくびくしてるわたしの背中を問答無用で押して、小村くんは美容院の扉を押し開いた。カランラ~ン、というベルの音が店内に鳴り響く。「うぅっ」とわたしはそんな音にまで反応する。逃げたい。穴があったら入りたい。むしろ穴になりたい。


 緊張しすぎて死ぬ。


「……ビビりすぎだろ」


「自信がないことにかけては、どこの誰よりも自信があります」


 わけが分からなさすぎてバカなことを口走っていた。


「それは自信じゃない、卑屈というんだ」


「あうっ」


 遠慮のない小村くんの突っ込みに、わたしの言い分は粉微塵。


 そうやって及び腰なわたし(とっても卑屈!)の事情など問答無用にねじ伏せた小村くん(とっても鬼畜!)は受け付けのところまでわたしの体を引っ張っていく。力で敵うわけもなくあえなくわたしは受け付けのお姉さん(とっても綺麗でおしゃれ!)の前へと敗残の兵のようにして引きずり出される(とっても無様!)


「いらっしゃいませっ」


 とっても可愛いにっこりスマイルが発動した。卑屈女へクリティカルヒット。追撃の「本日はご利用ありがとうございます」攻撃で精神的に大ダメージ。もうダメ、わたしこのまま死ぬ。


 抵抗する気力も体力もごっそり持っていかれたのが自分でも分かった。今さら、「やっぱり帰らせてもらいます」なんて口にするスキルなどをわたしが持ってるわけもなく、促されるままに従うことしかもうできない。


「ちょっと魂抜けてますけど、これぐらいのほうが多分ちょうどいいんでお願いしてもいいですか?」


 意識のはるか遠くに小村くんの声が聞こえた。


「はい、大丈夫ですよ~」


 と返す店員さんに促されてわたしは席へと案内される。店内の装いまでもがなんだかきらきらしているように見えて、視界の端々で星が踊る。半分ぐらい気絶しているのかもしれなかった。


 別に派手な内装というわけではない。ただシンプルながらにセンスの良さが浮き出ているというだけのことで。そんな空間に小村くんや店員さんは上手に溶け込んでいるくせに、わたしだけがひどく浮いているんじゃないかという確信めいた不安が胸いっぱいにあふれてくる。


 椅子(スタイリングチェアというらしい)に座ったところで、不意に肩をとんとんと叩く気配を感じる。


「おーい」


 という声に呼び起こされて、半分失っていた意識をそこでようやく取り戻した。


「………………………………………………はっ!?」


「あ、気づいた」


「こ、ここはどこですか?」


「美容院。ほら、覚悟決めろ」


「うっ……」


 妙に居心地悪く感じているわたしの前で不意に冊子が開かれる。見ればそこには、様々な髪型の女性の写真が並んでいた。


「どんな髪型がいいですかー?」


「え、え?」


「お客様の髪は長いのでえ、いろんなスタイルができると思うんですけどお」


 語尾を上げる独特の話し方で、美容師さんはどんどん話を進めていく。その様子はごく自然で滑らかすぎて口を挟む暇も与えられない。自然と意識は雑誌のページへと向けられた。


 こうやって改めて見てみると、いろんな髪型があるのだということに気づかされる。どれもこれもおしゃれで可愛くて、わたしなんかに似合うとはとても思えなかった。それでも美容師さんからアドバイスを受けて、前髪をぱっつんに切ったストレートになんとか決める。


「……」


 そこでふと小村くんのことが気になって視線を向ける。それに気づいたのか、小村くんは「どうした」と疑問の言葉を返してきた。


「あの、えっと」


「だから、どうしたんだって」


 ついついはっきりしない態度になってしまう。なんだか口にするのが恥ずかしくて思わず口ごもると、小村くんの顔にはっきり苛立ちが刻まれた。


 あ、やば。またイライラさせてしまった。そう思うと余計に思考が要領を得なくなってくる。わけが分からなくなって、反射的に頭を下げた。


 するとそこで動いたのが美容師さんだった。すっと小村くんに近づいて耳元に口を寄せている。何事かを囁いたようだったけれど、わたしの耳には届かなかった。


 話を終えたのか美容師さんがわたしの後ろに戻ってくる。横目で様子を窺うと、小村くんはお店の外へと出ていくところだった。それに安心を覚えて、さっきどうして小村くんのことが気になったかの理由がようやく分かる。


 ああ、髪を切ってるところを、わたしは小村くんに見られたくなかったんだな……。


「あの、小村くんになんて言ったんですか?」


 美容師さんにそうたずねると、彼女は甘い笑い声を上げる。


「無粋なマネをする男は嫌われるわよって言っただけよー?」


 のんびりした声のまま、美容師さんはおもむろにハサミを振るうのだった。

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