第4話 花丸笑顔がトレードマーク

 次の日の放課後。わたしはまた、放課後の掃除をお願いされていた。昨日とは別の女の子で、これから彼氏と水着を見に行くのだとか。


 人は無意識に弱者を見抜く。そうして積み重なったヒエラルキーはそう簡単には覆らず、踏みつけられる人間と踏みつける人間の間でそうそう入れ替えは起こらない。


 そしてわたしは、踏みつけられる側の人間で、上には従うしかないクラス内ヒエラルキーの最下層なのだ。


「ね、お願いだってばぁ~」


 甘えた口調でそう言ってくる彼女は、わたしの名前を『天川ミサ』だと思い込んでいた。もはや否定することさえ億劫で、むしろ名前すら覚えてもらえない程度の存在感で申し訳ないと思う。


「えっと……」


「ね? どうせ天川さん、暇でしょ?」


「それは、その……」


 実は、暇ではない。なぜだか昨日張り切った様子を見せた小村くんの提案で、これから町へ出るのだという。自分を変えるためには必要な措置だと聞いている。


 詳細を聞いても答えてくれなかったので、実は少しだけ楽しみにしていたりもするのだが……。


 どうしよう。断れない。淘汰される側としての習性が染みついているようで、こういう時にどうしても口ごもってしまうのは救いようのない事実であった。


 どうやって断ろうか迷っていると、不意に背後に気配を感じる。


「あ、ごめんな。今日は美咲さん、俺が予約してっからさ」


 聞こえてきた声は小村くんのものだった。わたしが困っているのを見かねて助けに入ってくれたらしい。当番の代わりを頼んできた女の子はさすがに鼻白む。


「あ、そ、そうなんだ。へえ~、珍しい組み合わせだねえ」


「こう見えても人と仲良くなるのは得意なんだよ」


「そうなんだ。ほんと、誰とでも仲良くなれるなんて尊敬するよ~」


 尊敬すると口では言っておきながらその実内容はわたしに対する痛烈な皮肉だった。


 だけどわたしは言い返すこともできずに黙り込む。代わりにやり返したのは小村くんだった。


「俺かて虫の好かん人と仲良くなる甲斐性があるほどの男じゃねえよ。少なくともコイツは口先ばかり達者な慇懃無礼でもないしな。楽しく友達付き合いさせてもらってるよ」


 口調は柔らかだけれど、内容はわたしに対する皮肉に対してあてつけるような感じのものだった。掃除当番の女の子は思わず黙り込んで、そそくさとその場を立ち去っていく。さすが、クラス内ヒエラルキーでも上の人間なだけはあるなと思った。


「美咲さん、気を付けろよ」


 と、そんなことを小村くんが言ってきた。


「へ?」


「美咲さんみたいに自己愛の薄い人は、いいように利用されるって相場が決まってるからな。それもこれも自分の自信がないのが原因だ」


「うっ……」


 そこを突かれるとつらい。自分でも痛いぐらいに分かっていて、だけどこれまで変えられなかったのだから弱点なのだ。


「まあそれもおいおい変わればいいさ。まずは見た目をなめられないようにすれば、自然と中身もついてくる」


 なんて言いながら先に立って歩き始めた小村くんの背を追ってわたしも歩き出す。そうやって教室を出たところで、不意に小村くんが足を止めた。


 わたしも思わず立ち止まる。何事かと思って小村くんの視線を追った。


 そこにいたのは、わたしとは似ても似つかないような綺麗な女の人だった。自分が女であることを恥ずかしく思えるぐらいに整った顔立ちで、思わずこちらが縮こまってしまうほど。


 つい、扉の影に隠れてしまう。


「あ、ユウ君じゃん! やっほーぅ!」


「相変わらずテンション高いな、葵」


 整った容姿の割にはフランクな言葉づかいで、そんなことに妙にわたしは安心してしまった。無邪気に手を振る動作が子どもっぽくて、妙に和やかな気分になる。口調もはっきり堂々としてて、わたしみたいにおじけたりしない。


 否応なく、きらきらしてるのが見えてしまう。自分と違う世界だなって思い知らされるのが少しだけ悔しかった。悔しい? 立っている土俵が違うのに、そんな感情を抱くのは相手に対して失礼なんじゃない?


 悔しいと思えるってのは、ようするに、相手を同格と思うからだ。わたしなんかが悔しく思う権利なんて最初からない。


「葵はこれからスクール?」


「うんっ! 部活休みだからさ、いつもよりちょっと早く行こうかなって」


「相変わらずのパワフルだよなあ」


「ん? ユウ君も元気いる? 注入する?」


「しねえよ! なぜ構える? どうして拳に息を吹きかける? なんでその腕を振りかぶる!?」


「あたしの元気を、ユウ君にもめいっぱい分けてあげようと思って」


「殴れば元気が出る人間は、変態性癖の持ち主だけだ!」


「あれ、ユウ君はそっちの人じゃないの?」


「どこ情報だそれ!? まがい物にもほどがあるわ!」


 あれー、おかしいなあと葵さんは首を横に倒す。


「あたしの勘違いだったのかな?」


「間違いなくそうだと思うぞ」


「そっかぁ……ごめんね」


 と言って葵さんは腕を下ろした。どうやら小村くんのことを殴るのをやめたらしい。


 その様子を見て小村くんはホッと一息ついている。難を逃れて安心したのだろう。


「ったく。そういう勘違いはやめてくれよ、ほんと」


「だからぁ、ごめんって言ってるじゃん。だいじょぶ、殴ったりしないよ!」


 と無邪気に言ってえへへと笑った彼女は、なぜだか左足を一歩前に踏み出して、


「こうやって注入してほしいんでしょ? てぇーい!」


「なっ……ブゴォ!?」


 直後振り回した右足で、小村くんの脇腹を痛烈なまでの勢いで強打した。


「痛……痛ってーなおい! なにやってんだ!?」


「え? 元気注入だけど」


 振りぬいた足はそのままに左足一本で立つ葵さんは、そう言ってにこやかにほほ笑んだ。


「どう? 元気出た?」


「出るか! 死ぬわ!」


 そうやって強烈な突っ込みを入れながらも、小村くんは嫌そうな顔はしていなかった。


 なんだか自然と周りの空気を明るくする人だと思った。きっと人に好かれる、そんな人。


「まったく……勘弁してくれよ、マジで」


「えー、これぐらいで情けないこと言わないでよ。男らしくないなあ」


「それセクハラだぞ」


 などと指摘する小村くんの声も、本気ではない。


「それにしても部活休みの日までテニスの練習とか、気合入ってんな」


「元気と笑顔の花丸満点があたしのトレードマークだからね~」


 との言葉に小村くんが苦笑を返す。


「なんつーか、尊敬するよ」


「ふっへっへ。もっと敬ってもいいんだぞ? って言っても、あたしは好きなことやってるだけなんだけどね」


「真剣にやってることには変わりないだろ」


 あははっ、と葵さんが照れた様子で頭を掻いた。さらりと揺れた髪から柑橘系の香りが香ってくるのが分かった。思わずドキっとしてしまう。同性なのに……。


 気づかれないように一歩だけ退く


「それよりもユウ君は、これからデートかい?」


「は?」


「見慣れない女の子連れてるけど。これはいったいどういうことかなあ?」


「ふぇ?」


 葵さんがわたしのほうへと目を向けてきて思わずたじろぐ。隠れてたはずなのに、なぜだ。そうか、さっき一歩下がったからだ。おかげで、死角だったはずの扉の影から出てしまったんだ。


 じっと見つめられて、とっさに距離を取ってしまう。元気ではつらつとした性格の人はあまり得意ではない。自分の陰気さが後ろめたくなってしまうから。


 葵さんはわたしから視線を逸らさずに、あんまりにも真剣な表情で見つめてくる。どうしよう。どう思われているんだろう。地味で陰気なやつだなとか、そういう風に見られてたりするのだろうか。わたしも蹴り飛ばされたりするのだろうか。


 そんな風に若干恐怖なんかも感じつつ、内心でかなり怯えていると、不意に彼女が右手を挙げて宣誓するみたいなポーズを取った。


「あたし決めた! この子家に持って帰る!」


「いきなり何を言い出すかと思えば……」


 小村くんが頭を抱えた。葵さんの言動に呆れを通り越して頭が痛くなったらしい。


 そんな小村くんに視線を移した葵さんは、「ほえ?」ときょとんとした顔になる。


「だってちんまい感じでこの子可愛くない!?」


「いや、だからっていきなり持って帰るはねえだろ」


「ダメなの?」


「ダメだっての。アホかお前は。少しは物を考えてからしゃべるようにしろよ」


 という厳しい突っ込みに、葵さんはむっとした顔になる。


「脊髄で思考するな、ちゃんと脳みそ使えよな、毎度のごとく」


「つ、使ってるし! ちゃんと考えてるし!」


「ほう、そのこころは?」


「む~、またそういう難しい言葉使う~」


「……お前よくこの高校受かったな」


「テニスしてたら受かった!」


 ぶいっ、と言って指を二本立てた手をつきだしてくる葵さんを前にして、小村くんは再び頭を抱えだす。「そういやこいつスポーツ推薦だった……」と若干うつろに呟いていた。


 そんな小村くんをよそに、葵さんはわたしのほうへと向き直り話しかけてくる。


「よろしくね! あたしのこと、知ってるかな?」


「栗本葵さん……でよかったでしょうか?」


 確か去年テニスで全国大会に出場していたと思う。全校生徒総出で壮行会をしたのを覚えている。


「わあ、知ってくれてるんだ! 凄い! 嬉しい! ありがとう! そっちの名前も教えてもらっていい?」


「あ、その、綾川美咲……です」


「美咲ちゃんって言うんだ。よろしくねっ」


 いちいち発言が元気いっぱいだから、わたしはついたじたじとなってしまう」


「美咲ちゃんってなんかいいよね。小動物っぽくて」


「え、ええ!? 小動物、ですか……?」


「うんっ。表情とか仕草とか、ちんまりしてるところなんか見ると、なんていうか――飼いたくなるよね!」


「飼……!?」


 飼いたくなる!?


「人間をペット扱いするな!」


「じゃあ監禁?」


「もはや犯罪じゃねえか!」


「ユウ君逃げて、捕まっちゃうよ!」


「それは冤罪だ!」


「ねえねえ美咲さん。これ食べる?」


「って、餌付けしてんじゃねえよ!」


 ぐいぐい迫ってくる葵さんを前にして、わたしはどうしても困惑してしまう。しまいにはほっぺたをつままれそうになってしまい、慌てて小村くんの背中に隠れて逃げた。


 こんな綺麗な人に触られたら、溶ける!


「ありゃ。嫌われちった?」


 違います違いますごめんなさいわたしが汚いからなんですごめんなさい死んで詫びます! ……とはもちろん言えず。


「あんまり構いすぎるからだろ。ちょっと人見知りが激しい子なんだ」


「あー、そっか。ごめんね」


 結局そんな話になって、葵さんが謝罪なのか両手を合わせて頭を下げてくる。


 ……こちらこそ土下座して謝りたい。それこそ、わたしの頭を叩き潰すぐらいの勢いで。


「ちょっと図々しかったね。怖かった?」


「あ、その……」


 ひょこりと顔の半分だけ出して、わたしは葵さんの様子をうかがった。葵さんはちょっと困ったような笑みを浮かべていて、そんな表情にさせた自分が情けなくなってしまう。


「ユウ君の友達なら仲良くなりたいなって思ってさ。もし嫌な思いさせちゃってたら、ごめん」


「そ、そんなことないですっ」


 話しかけてくれて嬉しいのと、綺麗な人すぎておどおどしてしまうのと、そしてみすぼらしい自分に対する自己嫌悪でいっぱいだっただけだ。葵さんは何も悪くない。


 ただ、少し。


「その、あの……嫌だったわけじゃなくて、えっと」


「驚いちゃった?」


 そう、驚いた。自分みたいな人間がこんな人の目に止まるだなんて、信じられない。


 戸惑うわたしに葵さんが優しく微笑みかけてくれる。ぐっ、まぶしい。溶ける。


「ね、美咲ちゃん。顔上げて?」


「ふぇ……?」


「――うん、やっぱそのほうがいいよ」


 葵さんの笑みは驚くほど柔らかい。さながら星が輝くように。あるいは太陽が燃えるように。


 心のこわばりを解きほぐせそうなほど温かい。


「うつむいてるよりさ、前向いてたほうがきっと色んなものが見えるよ」


「…………」


「あのさ。美咲ちゃんのこと、みさきちって呼んでいいかな?」


 不意打ち気味の言葉にわたしは驚いたけれど、そういう――そう、ニックネーム的なものは初めてだったから、思わず頬が綻んだ。


「――はい」


「よっしゃー、ありがと! 仲良くしてね?」


「……あだ名のセンスねーのな、お前」


「むー、そういうこと言う!?」


 葵さんが小村君に向かって頬をむくれさせていたけれど……あだ名なんて初めてつけられるから、そんな些細なことでもわたしは嬉しかった。


 そこで葵さんが時計を見ると、時間がかなり押していたのか「おわぉっ」と派手な悲鳴を上げた。


「もうこんな時間だ。悪いけどあたしもう行くね! じゃね、バイビー!」


「バイビーって死後だろ……」


 とつぶやきながらも小村くんが葵さんの背中を見送った。それが廊下を曲がって消えていくのを見届けると、まだ背中に引っ付いたままのわたしに声をかける。


「よかったな、美咲さん」


「……はい。あの」


「ん?」


「わたしも……ああいう風になれるのでしょうか」


 元気で、明るくて、周りまで巻き込んで賑やかにしてしまう、そんな人。


 なれるわけが、ない。


 でも優しい小村くんは、はっきりとそんなことを口にはしない。


「さーな」


 と曖昧に答えてくれるんだ。


「ま、無理することはないんじゃねえの?」


 どうせ無理なんだから、とは言わないでいてくれたことには、きっと、感謝するべきなんだろうなと思った。


「……ところで」


 わたしはそこで疑問に思ったことを小村くんに聞いてみることにした。


「小村くんは、葵さんのことが好きなんですか」


「~~~~人のことより自分のことを気にしろよ!」


「……好きなんですね」


「うるせえ!」


 珍しく頬を真っ赤に染めた小村くんは、なんだか見慣れない表情で可愛らしかった。

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