いい思い、からのいじめ問題〜また、とりとめのない話。
「いい思いをする」って。
否定的なニュアンスを含むと「甘い汁を吸う」とか言ったりするけど、純粋に「幸せを味わう」ことを言いたい場合って、どういう言い方がある?
と、思って、たまたま先日このエッセイで「他人の不幸は蜜の味」という概念について話してたこともあって、「蜜(の味)」って言葉自体を「いいこと」「幸せなこと」を表す言葉として象徴的に使ったりするかどうかネットで調べてみたら、まあ見事に検索上位は「他人の不幸は〜」絡みの記事しか引っかかってきませんでした。
ただ、その中に、ちょっと興味深いものを見かけたので、先日の話をしたついでに少しだけ追記。
「他人の不幸を喜ぶ」という感情(?)が起こるメカニズムが脳科学的にはすでに証明されているとか、人間なら誰でも(国や民族に関係なく?)持っている負の感情であるとか、そんなような内容が散見されたのです。
ということは。。。
前回、コメント欄でAskewさんも指摘してくれましたけど、ある概念を端的に示す言葉があれば、人はそれを認知しやすく、時によっては言葉に引きずられるように必要以上にその概念を意識したり表出してしまったり、ひいては身につけてしまったりするだけなのかもしれない、とも考えられます。
たとえば、英米人は肩こりしないから英語には「肩こり」という言葉がないのか、言葉がないから肩がこっていてもそう言わない、意識しないだけなのか、ってことと同じで、日本人とドイツ人がことさらに他人の不幸を喜ぶ国民性を持っているとは断言できないのかもなぁ、と。
2回続けて堅苦しい話になって申し訳ないのだけど、乗りかかった船で、もう少しだけ付け加えさせてください。(興味ない方は、以降はスルーで)
私は、○○人はこう、△△人はこう、という比較に基づいてする話やジョークをけっこう面白がったり、興味深く聞いたりします。
だけど、同時に「人間そのもの」にとても興味があるので(人間観察大好き!)、最終的には「人間というものが持ってる本質」というか、人種や国や文化や歴史的背景を越えて普遍的に共通してる部分により興味があって、そこを見失いたくないなと思ってます。
そこを忘れると、偏見や差別が生まれて、ヘイトに発展することもあると思うのです。
人間は、根本的にはそれほど変わらない。ただ、生まれ育った環境や文化、社会の状況などなどで、本質的な要素に強弱ができたり、意識が及んでなかったり、表に出さずにいたり、というような違いが生まれているだけじゃないか? 同じ人でも違った環境で育てば違うふうになるかもしれないよね、って思ってます。
さらに言うと、ある問題で他国を悪く言ったとして、いつかそれがブーメランになるとか、別な国でも同じ問題が起こるとかいうことはわりと普通にあるんじゃないか。だから、何であれ、人類共通の問題なんだと意識してあたっとく方がいいんじゃないかなと思います。
そして、そう考えると、やっぱり教育って大事ですよね。
多少、話は飛ぶけど、いじめの問題も、「いじめちゃダメ」はそのとおりなんだけど、そう言ってるだけじゃ解決しないと思う。なぜなら、大人の世界にもいじめがあるように、人間ってものが本質的に持ってる負の部分の発露の一つに過ぎないと思うからで、そっちの本質的な部分に目を向けない限り、なくすのは難しいんじゃないかと。
つまり、いじめは起こるもの、という前提に立つことが必要と思うのです。
誰かと合わないとか嫌いというのはどうしてもあって、それ自体どうこうできるものじゃない。だったら、上手に距離を取る方法を身につける。
むしゃくしゃして人にあたりたくなる。だったら、むしゃくしゃの原因を見つけて取り除くか、ほかに発散する方法を考える。
たとえば、そんなようなことじゃないのかなぁ、って思ったりします。
もちろん、すぐにいじめを
知恵が必要です!
あ〜〜またとりとめのない、しかもメンドくさい話になってしまいました。
ごめんなさい〜〜!(滝汗)
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