要注意エッセイと大人幻想。

このエッセイを始めてから、自分の中に思い浮かんだこと(=ネタ?)がうまく回るようになってます。

今までは、思い浮かんだことがあっても、テーマを分けて書いてるエッセイの迷ううちに、書けずに忘却…ということも多々あり、そういう消化不良が続くと、やる気も萎んでくるなんてこともあり。


でも逆に、そのころは常にネタのある分野(母のことなど)は更新しやすくて、そればっかり更新していたり。まあ、あの時はそれを書くことが救いにもなっていたのだけど。。。


こうしてみると、ダダ漏れOKなエッセイって良し悪しかなという気もする。そこにいればとりあえず満足しちゃうみたいに、入り浸りになってしまって。


いつもあまり先行きを考えない行き当たりばったりな自分は、そういうバランス取るの難しいです。


ってなことを思う今日ですが。


この前、「自分ははたして大人になってるのか否か」みたいな話を書いて、一部の皆様に多大なる誤解を抱かせてしまったようです(滝汗)。

つまり、私が28歳で(完全に?)大人になった、あるいは、悟りを開いたとまで思ってしまった方もいたようで。。。


本当にそうであればうれしいというか、その幻想に浸っているのも気持ちよいのですが、あまりに現実と違うので、やはり誤解を解くべきと思い、先日書いたことの弁明をしたく。


28歳くらいの時に、「今までの私は、何でもわかった気になっていたけど、『頭で理解していた』だけだった! 今この瞬間、ものすごく『こういうことだったんだ!』と心からわかった!!」と感じたというのは、その前までの私があまりにも人間(or社会人)として未熟だったために、この時やっと人並みに追いついてきたということだったのだと思います。


これは、子供のころにも一度あって(あちこちで書いてますが)、小1までアホ過ぎる子供だった私は、小2の時に「ガラスの入れ物に入って周囲から隔離されていたかのような感覚」から突然、社会へ解放された感じがしたんです。

それも、あまりにほかの子より奥手でボンヤリしたアホな子だったせいだと思います。ほかの子はきっと、もっと自然と社会(?)に馴染んでいってるのでしょう。

私は昔から、人並みになるのに時間のかかるタイプなのだと思います。


その後はまた、高校の途中から人づきあいとか含めて生きづらさを感じ始め、環境や人間関係や勉強や仕事や、そういうものについていく、慣れていくのに精一杯。主体性など持ち得べくもなく、どれもこれも次々とベルトコンベヤーにのって、取り組むべき課題として自分の目の前に運ばれてくるもので、私は一つ一つだけという感じでした。


その一つ一つこなすだけの個別の課題だったことを、おそらくこの28歳くらいの時に初めて「普遍的な尺度」から総括できたのではないかと思うのです。つまり、応用がきく知識や経験としてあらためて捉えられた(身に付き始めた?)、というか。

そして、そんなことは、ふつうの(人並みに器用な)人なら、ふだんの活動の中で無意識に消化吸収できてることなのではないかと思うのです。


繰り返しになりますが、28歳くらいで転職することになって一息つけて、初めて自分を振り返るような節目だったのか、それまでの仕事の大変さからも解放された気分でリラックスして物を見られたのがその時だったのかも、と思います。


前にも、数人の方のエッセイで「まだ大人じゃない自分」について書かれてて、「大人は子供の想像の産物」なんてリリーさんの言葉まで出ていたけど、私も「大人は子供が(そのまま)トシ取っただけ」じゃないかってずっと思っているくらいで、ましてや悟りなんてトンでもないです(滝汗)。


やっと人並みに追いついてきて、多少、今さらの自我が確立できた、くらいの感じ。それが、先日書いたことです。


あら、今回、なんかマジメ〜!?

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