メモ魔の成れの果て。。。

今、10月12日の20:40。

皆さんのところの台風の状況は、大丈夫でしょうか。

カクヨムを更新したり、コメントのお返事をくださったり、♡応援を押したりコメント書いてくださったりしてるのを見るたび、あぁ、この方は大丈夫なんだなと安心している…


…そんな今日ですが。


一昨日、「ネタ」について書いたあと、ふと思い出したことがありました。

先日もカクヨムのどこかのコメント欄で、いつも仲よくしていただいてる方とも話したことがあるのですが、そういえば私って小学5、6年生のころからメモ魔だよな、と。日記だって、9、10歳のころからほとんどずっと書いてる。


特に学校時代、私は自分のメモしないと気が済まない状態が、煩わしく感じることもありました。やらなくちゃならないこと、やりたいこと、気になってなかなか頭から離れてくれないこと、覚えておきたい大事な言葉や何かのやり方、そういうようなことをとにかく紙に書き留めておかないと、落ち着かないのでした。


日記だって、捉えようによっては、思ったことやその日あった出来事を欲求の現れと言えなくもない。


どうして私はこうなんだろう、こういうのってメンドくさいよなぁ、と、ちょっと悩んだこともあった一方、いろいろ浮かぶ想念がおもしろくて、特に大学生の時の講義ノートの余白は、落書きやいたずら書きの絵ですごいことになってました(汗)。後年それを見て、何やってたんだかと呆れもしたけど、爆笑モンでおかしい落書きもあって、見てて楽しかったり。


それはさておき、自分でも異常ではと思ったこともあったことから、実はこういう病気があったりして? と、ネットで見てみました。


ありました!

強迫観念とか強迫性障害の一種として。


私の仲の良い友だちや知人の中に、戸締まりやガスの元栓などを何度も確かめてしまうとか、コンサートなどでトイレに近いエリアの端っこの席じゃないと座れないとか、トイレのない乗り物に長時間乗れないという人と、超・潔癖性の人がいるのだけど、なるほど、何かが極度に気になるとか、○○しないと気が済まない的な症状という意味では、メモ魔にも通じる点があるような気がする。


自分が病的なメモ魔だと書いてる人の記事を読むと、事例的には、うんうん、わかるわぁ〜と思う部分がいくつもあった。

でも、いくつかの記事に共通して書いてあった「忘れることへの恐怖」「忘れることで失敗するかもという不安」が原因というのは私にはピンと来なくて、一つだけすごく「これだ!」と思ったのが「忘れるためにメモる」ということだった。


どこかに書き留めたら、それ以上そのことを考えなくてよくて、頭が解放されるって感じ。

書いたらもうスッキリして、なんなら二度とメモを見なくてもいいくらいな場合も多かった(やらねばならないことリスト以外は)。

思えば、日記だってそうだった。最近のものはたまに見返すこともあったけど、時間が経ったものほど二度と見ない。


メモは頭の整理。日記は心の整理。書いた時点で完結。——うん、これだ!


結局、私の場合は、その人たちと比べるとそこまで症状もひどくないし、今はそれで悩んでるわけでもないし、このリサーチも、いつもの”まぁいっか〜”で終わらせた。


あと、これは私限定なのかもしれないけど、貧乏性のせいもあるんじゃないかと。

「せっかく思い浮かんだんだから、忘れ去るのがもったいない」。

エッセイのネタなんか、最たるものかも。でも、あまりに適当な単語をメモって、あとで見ても「何のこっちゃ」と用をなさない場合も多々あり、まったく私ってバカみたい……という、いつもの締めになりそうです。


そうそう、最近は、満を持してさっき浮かんだアレをメモしとこう…とした時点ですでに、「あれ? さっきのアレって何だったっけ??」と忘れ去ってることも増えてきました。本当のバカになってきてます。。。

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