8.無知と孤独とメイド服
何も知らないくせに。
その一言がどんなに卑怯で、最低で、どれほど彼を傷つけるのかをわかっていて、自分はその言葉を使った。
態度は違えど、同じように『孤独』な人間なのに、どうしてこうも違うのだろう。
普通の生き方を願って安全な箱庭から飛び出した佐田と、未だにこうやって閉じこもっている私。
それだけに留まらず、親切心で助けようと差し伸べてくれた手を身勝手な理由で振り払い、身勝手に逃げ出した。
本当にどうしようもないクズだ。
こんな自分が嫌になる。
物心ついたときからずっと、誰かと関わるのを避けてきた。
正体が暴かれること、そして何より自分が他とは違う存在であるのを自覚させられるのが怖かった。
できるだけ独りで、できるだけ社会から離れて、面倒ごとには絶対に関わらない。
それを徹底してきたし、これからもするつもりだった。
––––––––はずなのだが。
「すごいっ! めっちゃ似合ってるー!」
「おおお、いいじゃん鬼嶋ー」
「かわいいいい!」
「完璧だよー!」
いま現在の私はといえば、白と黒のコントラスト、よく目立つフリフリのレースと膝上のスカートを身につけ、頭に大きなリボンを揺らし、秋の残暑に蒸れるニーハイソックスを履いてクラスメートからの歓声を浴びている。
そう、お察しのとおり、メイド服である。
……本当に、私はどうしてしまったんだろうか。
* *
長かった夏休みが明けた。
例年のように、真っ黒に焼けた運動部員、懲りず課題を忘れてくる男子、粋って髪を染めたまま登校し早々に注意を受ける生徒も……、いつもの授業と風景が戻ってくる。
家族といると何も感じないのに、学校という社会の中に放り込まれるとやはり寂しさが拭えない。
そして例年のように、二学期の一大行事––––文化祭の準備が始まるのだ。
ただ、これまで通りでなくなったことが一つ。いや、元に戻ったと言うのが正しいだろうか。
夏のあの日から、佐田とは話していなかった。
ぎこちない、とか避けている、というよりもすべてなかったことにした、という表現がよく当てはまる気がする。
挨拶や、委員会でも必要最低限の情報交換のみ。
もちろん、そんな彼にどの面下げて「血をくれ」だなんて言えようか。
夕梨はまた、力を抑えるために薬漬け生活へと戻ってしまっている。
「じゃあ、文化祭の出し物はメイド喫茶でいいですかー?」
委員長がよく通る明るい声で叫ぶ。
教室内ではまだ反対の声も上がったりしていたが、多数決で決定してしまったのだから仕方がないだろう。
夕梨は、もう若干朱く染まり始めている空を理由もなく見つめながら、他人事のようにそのやりとりを聞いていた。
どうせ中心になって物事をすすめていくのはいわゆる『陽キャ』とかいう、人生をエンジョイしている普通の人間であって、自分には関係がない。
じゃんけんなり、話し合いなりで配役、シフトが決まり順調に当日を迎えたのだが、事件はその日に起きた。
「あれー、誰か加奈子ちゃん見てない? 次メイドで入ってるはずなんだけど」
「……山川? 見てないぞ?」
「えー。おかしいなあ……」
一通り模擬店を回って、店に戻ってきた夕梨はそんな会話を耳にした。
どうやら、次の三時からのシフトに入っているはずの山川加奈子が帰ってこないようなのだ。
(あれ、でも山川さんって……)
嫌な予感がした。さっき、渡り廊下のあたりですれ違った彼女はどう見てもこれから店に戻る、なんてナリではなかった。
二、三人の友人を連れて両手にパンやらポテトやらを大量に抱えていたのだ。
「……あの、山川さんもしかして……ステージを見に行くんじゃないかな。一階の渡り廊下で見た」
バリケードの裏でコーヒーを淹れる少女にそう告げると、彼女は青ざめた。
「そういえば次の……軽音楽部のライブだったよね」
「えっ……つ、連れ戻してこなきゃ」
自分で発言したのにまさか本当に店番をすっぽかすとは思わず、動揺してしまう。
今からでも間に合うだろうか。
いや、自分は次のシフトに当たっているから、私が行ったのでは自分が遅れてしまう。
今終わったところの誰かに行ってもらわねば。
そう辺りをきょろきょろしても、みんな忙しくしていて手が離せそうにない。
「いやー……だめだろ。あいつ、軽音部のファンだろ」
「しかも今回佐田のバンド出るんでしょ? 絶対帰ってこないわ」
「え? 佐田……? なんで?」
予想外の名前が出て、夕梨は切り込んでしまった。
するととある男子が答えてくれる。
「知らないのか? 佐田がボーカルやってるバンド、凄え人気なんだよ。そもそも男子ボーカルが少ないのもあるし」
「佐田モテるしね」
校内周知の事実とばかりに切り返されて彼女は愕然とした。
彼が軽音楽部だったことすら知らなかった。
興味がなかったとはいえ、そんな重大なことを今まで耳にしたことがなかった自分に驚いた。
同時に、自分は佐田の事を何も知らないのだ、と実感する。
「大変だ、委員長が……前々からシフトの変更お願いされてたんだけど、すっかり忘れてたって!」
ラインで確認をとったと思しき男子の一人がスマホ片手に悲痛な声を上げる。
その場の者たちはどよめいて、ざわつき始める。
どうするんだ。
裏方ならまだしも、よりによってメイドがいないなんて。
誰か他の女子を今からでも呼んでくるか?
いや、ほとんどライブに行ってていないでしょ。
でもどうするのよ。
いや、今なら逆にステージに人が集まってるから客は少ない。
乗り切れるか?
本当にメイド一人で回るの……?
必死の策が練られ始めていた。
足りない人数で、知恵を絞って。
クラス全員で作り上げたこの店を、自分たちで守るために。
タイムリミットまであと三分。
時間がなかった。
「––––私、やります」
次の瞬間には、夕梨は反射的に皆の前で挙手していた。
「私は案内係でシフトが入ってたん……だけど、人が少ないなら掛け持ちでもなんとかなる、はず。メイドが足りないよりはマシ……だと、思う」
声が震えた。
普段の自分なら絶対に取ることのない行動だった。
みんながこの状況をなんとかしようとしているのに、一人で知らぬ顔をしているのが耐えられなかったのだろうか。
消去法でできる人を考えていった結果の冷静な答えだろうか。
どっちにしても、自分の潜在意識がそうさせているのだろう。
これが、自分を守ることよりも大事なことのはずがないのに。
なのに、どうして––––
(……やっぱり、あなたの、影響かな)
お人好しで、世話焼きで、優しい彼を思い出しながら、夕梨はひとりごちた。
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