6.喰らう

夜中、尿意に目を覚ました。


時刻は午前四時、起きるにはまだまだ早かった。

いったん覚醒してしまうときりぎりすの鳴き声が煩わしい。


もう少し我慢できそうだし、心地いい布団の中でゆっくりしていたかったが、このうるささでは二度寝できそうにないので布団から這い出て部屋を出た。


(そういえば、台所への行き方は聞いたのにトイレどこか聞いてねえ)


仕方ないが、この屋敷を歩き回って探すしかない。

誰かに聞こうにもこんな時間じゃ睡眠を邪魔してしまうし、そもそもどこで寝ているのかすら知らなかった。


右へ左へと五分ぐらい放浪して、やっとこさそれらしい小さな扉を見つけた。

他の引き戸とか障子と違って、洋式のドアだ。

ここに違いないとノブを掴んで回すと、出たのはなんと外だった。


「あ……これ勝手口だったのか」


庭との段差に躓きそうになりながら、家の中へ戻ろうとした時だった。


誰も居ないはずのだだっ広い庭のどこかから物音がした。


「……っ」


思わずビクッと飛び退いて、素早く扉を閉めた。

背中につうっと冷たいものが流れる。

心臓が早鐘を打つ。


しかし、この屋敷に誰かが忍び込んで来たのだとすればそれこそ大問題だ。

怖いもの見たさと謎の使命感に駆られて、はるかは地に足を踏み出す。


静かだった。


そろりそろりと足を進めていくうちに、虫の声さえ聞こえなくなっていた。


物音はだんだん近くなっている。踏みしめられる草の音、カシャカシャと……金網の音? それから、……力ない、コッコッと喘ぐような……鶏の鳴き声だ。

物音の正体は、鶏小屋の前にしゃがむ人影だった。


外部の人間ではない。

肩までの短い髪、華奢で細い背中を見ても、それが誰なのかなかなか分からないほどその人物が発する雰囲気や気配といったものはただならぬ感じだった。


はるかは歩みを止める。

息をするのも忘れた。

ただ目の前の光景が、恐ろしくてしょうがなくて、その足をがくがくと震えさせた。


信じられない。

あの鶏は、純粋なペットや鑑賞用ではなかった。


彼らは、のだ。


「––––––––––––––––誰っ」


少女が振り返った。

その顔はひどく暗く、瞳は月光を反射して淡く煌めいていた。

口元は、中まで多量の血でぐちゃぐちゃに汚れている。


その様は"吸血鬼"そのものだった。


「……ごめん」


はるかの姿を見ると、何故か鬼嶋はそう謝って視線を逸らした。


ゆっくりと彼女に近付く。


その腕に抱えられた小さく憐れな動物は既に息をしていなかった。

血を抜かれきって骨のように細くなって……でも、それを抱くいたわるような彼女の手は優しく、その表情は愛しい命を失った"人"そのものだった。


ここにいるのは間違いなく一人の血の通った人間だった。


「怖がらせて、ごめん」

「怖くないよ」


反射的にはるかは応えていた。

「びっくりしたけど」

「嘘。私だって怖いのに」


少女は立ち上がって、朱に塗れた掌を開いて見せた。

穏やかな声音とは相反して、確かにその手は小刻みに震えていた。


「ねえ、なんでだろうね」

「……何が?」


そう問い返すのだが、彼女は薄ら笑いを浮かべたまま何も応えてはくれない。

鶏の血を吸ったのと引き換えに魂を抜かれたかのようだった。


「何もおかしいことなんてないだろ。人間だって、食べて生きていくために牛や豚を飼ってる。生きていくのに必要な事なんだろ?」

「––––––––この子ね」


彼の説得を無視して、鬼嶋は静かに吐露する。

まるでひとりで喋っているようだ。


「きょうだいの中で、一番ひ弱だったの。ご飯もなかなか食べないし。羽毛が生え替わるのも一番遅かった」


そうか。

この小屋のなかの、同じように見える命達は、一羽一羽名前がつけられて一羽一羽大切に世話をされてきたのだろう。

その中からひとりを選んで、殺さなければならないのだ。


今日死ぬ子を選ぶと同時に、その子を忘れて明日も生きる子達を選ぶ。

ここに生きる、自分たちとなにも変わらない家族を、その手でひとつひとつ壊していくのか。

無意識に手を握り締める。


「こんなことしてまで……私は生きてなきゃいけないのかな」


その言葉を聞いた瞬間、はるかはガッと鬼嶋の肩を掴んでいた。


「次から俺を使え。俺は死なないんだから」

「そんなの分からない。私だっていつコントロールがきかなくなるか分からない。力の使い方を誤るかもしれない」

「でも」

「自分を大事にしてっ」


鋭い一言に、はるかは何も言えなくなる。

まだ温かい家族を力一杯に抱きしめて、少女は肩をふるわせていた。


「佐田くん、夕梨っ」


向こうから茂みをかき分けて鬼嶋の母親がやってきた。

彼女は鬼嶋と、その腕に抱えられた鶏を見て、状況を察したようだった。


「ほら。まだ暗いし、寒いから一旦家に入って。風邪ひくよ」


彼女は少年と少女の背中をぽんぽんと叩いて、玄関へ無理矢理押し込んだ。


「…………今夜は鶏肉にしないとだね」

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