その2

『私の妹は、私と11歳が違ってね』


 柚木ゆずき氏はハイライトの煙をふかしながら、一つ一つを思い出すように

物語始めた。


『父はこちこちの学者だったんで、あまり親子らしい会話を殆どしたことがなかった。母は母で、物静かなばかりの人間でね。別に親子仲は悪くはなかったが、普段からよそよそしくって、家にいても面白くなかった』


 ただ、歳の離れた妹とは仲が良く、向こうも慕ってくれて、一緒に遊んでやったり、勉強をみてやったりしたものだという。


『中学、高校と成績は特別に悪くはなく、そのまま当たり前のように、神奈川県にあった国立大学の農学部に入学した。別に父の跡を継ぎたかった訳じゃない。ただ農業を通じて社会を豊かにしよう。そんな気持ちがあったのは確かだ』


 学生運動にのめり込んだのは入学してすぐの頃だった。先輩に連れて行かれた集会で、すっかり夢中になり、学業そっちのけで、毎日ストやデモ、集会に明け暮れた。


 あとはもう、ご存知の通りさ。彼は自嘲的に語った。


『運動にのめり込むようになって、家には殆ど帰らなかった。ただ、妹からは手紙が来てね。やりとりはしていた。』


 妹からは、彼が逮捕されて判決を受け、収監されてからも、時折手紙が来ていたが、それも途絶えがちになり、両親が亡くなったと聞かされてからは、すっかり音信不通になってしまったという。


『何でも彼女は何度か見合いをし、二度ほど結婚が決まりかけたらしいんだが・・・・破談になってしまった』


『つまり貴方のせいだ、と?』


 彼はそれには何も答えなかった。


 何本か煙草を喫い終わる。


 何時いつの間にか目の前の灰皿が吸い殻の山になっていた。


『私はもう後がないんだよ』


 どのくらい経っただろう。沈黙の後、彼はやっと口を開いた。


『膀胱がんでね。見つかったのは去年のことだ。しかしまだ段階としては早期のクチだ。治療を施せば可能性はある・・・・といっても五割ぐらいらしいが・・・・勿論放置しておけば・・・・よく持ってあと1年だそうだ』


 彼は遠くを見るような眼をし、それから再び煙草に火を点ける。


『出所後、私は色んな仕事をしてね。そこそこ金も貯めている。だからそれを治療費に充てればいいんだが、でも、そうすることはもう諦めた。人間生きていればどの途死ぬんだ。もう人生に於いてやれるだけの事はやり尽くした。だからもう自分の為に金を使うことは止めにしよう。そう思ってね』


 彼はそういってから立ち上がり、箪笥の引き出しを開け、そこから貯金通帳と印鑑、そして一通の封筒を持って戻って来た。


『この金を妹にやりたい。遺言書もしたためてある。私は結婚もしていないから、

 他に身内などいない。いってみればこれが私の出来る、唯一の罪滅ぼしだよ。勿論あんたにもちゃんと探偵料は支払う。規定通りの額と、それから成功報酬も上乗せする。どうかね?』


 彼は眼鏡を外し、目をしばたたかせた。


 俺は何も答えずに、黙ってその封筒と貯金通帳一式を受け取り、懐にしまうと、


『これが預かり証と契約書です』


 傍らに置いたアタッシュケースから、二通の書類を取り出し、座卓の上に置く。




 

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