重き十字架の果てに

冷門 風之助 

その1

いぬいさん、とお読みするんですな』頭の禿げたその男は、俺が提示した認可証ライセンスとバッジを見てから、妙にざらついた声でそう言った。


 俺、私立探偵の乾宗十郎は、上野にある四畳半ほどの彼のアパートに、ちゃぶ台を挟んで座りながら、部屋の中を一通り見渡す。


 何もない。


 いや、正確には本棚(しかし並べられてあったのは、新約聖書一冊と、なんてことのない小説が五冊あるきりだった)と小さな洋服ダンス、それからカラーボックスをつなぎ合わせたような食器棚はあったが、総じて質素な部屋である。


『何もないが・・・・』彼はそういい、茶を入れて戻ってくると、再び俺の前に座った。


 彼の名前は柚木健治ゆずき・けんじ。年齢は今年77歳、見かけも服装も、どこといって何の変哲もない、その辺にいる普通の『老人』という雰囲気しかしない。


 だが、この男が今から約40年以上前、日本で『赤色革命』を起こそうと決起し、その挙句警察官3名、そして『同志』10名のリンチによる殺害に関わっていた集団の『兵士』であったとは、今どれだけの日本人が知っているだろう。


 その辺りの経緯いきさつについて知りたければ、個人個人で調べてくれ。依頼の本筋とは関係ないからな。


 彼は結局、こうしたリンチ事件や警察官殺害その他の罪に問われて、懲役20年の判決を受け、控訴もせずに服役。


 そしてつい10年ほど前、満期で出所した。


 彼は『自分のやったこと』について、


『方法は間違っていたかもしれんが、こころざしそのものは間違っていなかったと今でも信じている』とはっきり言いきった。だが、俺はそれをさえぎり、


『私は貴方に会ってやってくれと奥村神父から紹介されてきたんです。革命談義なんかに興味はありません』はっきりそう言い切り、目の前の茶をすすった。


 奥村神父と言うのは都内にあるカソリック教会の司祭で、何度か仕事の依頼を受けたことがあり、その時からの顔見知りである。


 彼は柚木氏がまだ服役していた時代、刑務所の教誨師きょうかいしとして何度か面会をし、そのことが縁で今回の依頼になったというわけだ。


『そうだったな。すまん』彼はそう言って頭を下げ、写真を一枚取り出した。


 かなり古い写真である。


 もう既に全体がセピア色に染まっていた。


 どこかの広い庭先・・・・恐らく農家か何かだろう。


 そこで写した家族写真だ。


 背広姿に眼鏡をかけた短髪の四十絡みの男性。


 訪問着に束髪という、大正か昭和初期を思わせる典型的な日本女性。


 母親のかたわらに立っている、水玉のワンピース姿の6~7歳の少女、


 そして父親のすぐ右手側には、学生服に丸坊主の、母親によく似たハンサムの少年が居た。


『これが私だよ』


 柚木老人は写真の中の少年を指差して言った。


『私の家族だ。真ん中にいるのが父、その隣が母・・・・・で、母の隣にいるのが・・・・』


 彼はちょっと目を伏せ、言葉を切る。


『私の妹だ・・・・名前を陽子という』


 彼の話によると、当時彼ら家族は、父の仕事の都合で長野県に住んでいた。


 父親は農事試験場の副場長で、彼はその長男だったという。


ああいう事件があって、服役をして以来、家族とは殆ど連絡を取っていなかった。


革命に家族愛はいらない。当時の彼は本気でそう考えていたという。


 両親はまだ彼が獄中にいる間に亡くなった。


『君への依頼なんだが・・・・・妹の行方を捜して貰えないかという事なんだ』


 彼はハイライトに火を点け、ゆっくりと煙を吐きながら言った。声がますますざらついている。



 

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