深海を越えてまた会おう 04
「最近どう?」
一週間前も同じ店で同じことを聞かれた。沙希ちゃんは三人分の生ビールを店員に注文し、佐藤くんの前に灰皿を置いた。それを人に話を振りながらだとか会話のなかでさらっとやるものだから、毎回そのスマートさとこなれ感に思わずため息が出そうになる。
「えー微妙過ぎてわからん」
「それ毎回言っとるけど、なに? ほんとに」
「だって仕事っていう仕事なんてまだなんにもしてないもん。先輩たちも上司もみんな忙しすぎて新人になんか構ってる暇ないって感じだよ。相変わらず」
「まだそんな感じなん? いい加減なんか教えてよって感じやよね」
「ほんとそうなんだよね」
「書類整理と過去のデータ漁る以外になんかやった?」
「資料室に資料取りに行った。しかも村瀬くんと二人で」
「まじか」
「うわー、それは」
と憐れみが滲んだ二人の声が重なる。
「完全に人を持て余してる感じやな」
「だよね。それを肌で感じる毎日だわ。先輩とも自己紹介したっきりまともに喋ってもいないからどんなひとかもわかんないし、どう接していいのかもわかんないしさ。たぶん先輩たちも私たちに対してそう思ってるっぽくて、本当に気まずい。いないのと同じくらいの対応されると本当にいなくてもいいような気になってくるし、それで刻々と過ぎていく時間が惜しくなってくる」
「おーおー、病んでますな。萌木子さん。さあどうぞどうぞ」
いつの間にか運ばれてきていた生ビールのジョッキを受け取る。テーブルの端をよく見てみるとこの店でお気に入りの生ハムとチーズのサラダと、ザンギのから揚げが並んでいた。
「とりあえず乾杯しよ。おつかれさま」
沙希ちゃんがそう言ってジョッキを掲げる。
「乾杯」
店内は空調が効いていて涼しいけれど、それでも六月 の息苦しさを覚えるような暑さのなかを歩いた後だとビールが美味しい。乾いた身体の隅々まで行き届く。私が二口、三口ほどを飲んでジョッキを置くと、二人は私よりも急な角度でジョッキを傾けていてあっという間に空にしてしまった。
「あー、うめえ」
「華金サイコー」
いつものことながら二人の酒の強さには圧倒される。顔色を少しも変えることなく、隣の卓の注文を取り終えた金髪に真っ赤な口紅をした店員を呼び止め、生中を追加した。
「やー、まじで営業部が異常なんやと思うわ。だってあたしたち普通に仕事教えてもらってるし。そんなほったらかしにされることなんてないもん」
「だよね。営業部に配属されたってだけで落ち込んで、でもいずれは制作に異動できるって言われたから頑張ろうって決めたのにさ。その矢先にこれだと出鼻挫かれた感満載だし、どうしていいかわかんなくなる」
「ほんとそうだよねー。暇なときとか村瀬くんはどうしとんの?」
「村瀬くんは、うーん……。なんか暇なら暇でラッキーって思ってる雰囲気ある」
「なにそれ」
「事務所でこそっとスマホいじってるときあるし。仕事しなくても給料貰えるなら良いじゃんって思ってそう。こんなに深刻に考えてなさそうっていうか」
うんうん、と沙希ちゃんは頷きながら私の前にから揚げとサラダの大皿を移動させて、さらに三人分の小皿にそれを取り分けていった。
「なんかそういうところも嫌なんだよね。同じ部署に配属された唯一の同期がそんな感じって。もっといろいろ話したいし、ちゃんと共有したい」
「村瀬はそういうことしなさそうだよな」
佐藤くんがぼそっと言う。
「飲み会とかになると盛り上げ役になるっていうか親しみやすい雰囲気出すけど、結構相手見てるようなところあるよな、あいつ」
「どういうこと?」
「損得勘定で付き合う相手選んでるってこと。このひとと仲良くなっとけばなんかいいことあるだろうって思うひとには胡麻を摺るし、そうじゃないひとにはとことんドライみたいな」
「なにそれ。じゃあ私は仲良くする価値がないって思われてるわけ?」
「まあまあ。萌木子。飲んで、これ」
思わず声を荒げると沙希ちゃんが中身の残ったジョッキを握らせてきて、私は佐藤くんのくっきりとした二重の目を半ば睨むように見つめながら促されるままにビールを飲んだ。
「もしくはあの打ち上げの一発が効いてんじゃね」
「打ち上げの一発……?」
意味がわからず、ただ言われたままのことばを復唱すると隣で沙希ちゃんがぷっと噴き出した。
「あーたぶんそれやわ、それ」
「え、なんだったっけ」
「覚えてへん? あれ、あの日そんなに飲んどったっけ?」
「飲んでない。……ていうか、あー、思い出したかも」
研修が終わったという解放感と翌週からはそれぞれ別の場所に配属され、実務が始まると言う不安から皆酔っぱらっていた。村瀬くんや神谷くんたちはその場を楽しもうとして話質問をぶつけてきただけに過ぎない。
そこに女子を持ち上げて場を盛り上げようという意図はあっても、決して私を貶めようなんて気は無かったに違いない。彼らも不運だったのだ。相手が私だから悪かった。
でもあのやりとりで私が生まれてからこの方一度も恋人ができたことのない野暮ったくて根暗な陰キャラだとバレて、だから村瀬くんは仲良くする価値も無いかのような接し方をしているのだとしたらあんまりだ。
「あれはまじで面白かった」
ジョッキの持ち手に通した指先をぼんやりと見つめていると、前方の斜め上から佐藤くんの声が降ってきて、信じられない気持ちで顔を上げた、
「ほんとだよね。最高だった」
と沙希ちゃんまで同意するから、私は今まで何か勘違いをしていて、これから傷つくことに備えなければいけないような気がして身構えた。
「村瀬くんたち結構酔っぱらっとったし、どこかで止めないかんかなーって様子見とったけど、まさかね、あんなニコニコしたまま毒を吐くなんて思わへんかったから」
「いやー、横井さんがああいうこと言えるタイプだと思っとらんかった。へらへら笑って嫌なこととか言われても黙って飲み込みそうだし。たぶん村瀬たちも油断しとったんだろうな。あのときの表情。ちょっと爽快だったわ」
「そんなキツいこと言っとらんくない? 私」
どうやら心配した方向には展開していかなさそうだという気配を感じて、肩に入っていた力をほっと抜く。
「内容はね。でもあれは萌木子が言ったから面白かったんだよ。もし例えばあたしとか佐藤が言っとったとしたら、たぶんなんだあいつ感じ悪いなで終わっとったと思う」
「そんなん私だってノリ悪って思われたでしょ。絶対」
「ノリ悪いって言うか、嘗めちゃいかん相手やってはっとしたんやないかな」
「確かにそんな感じするな。研修中も横井さんはいっつも笑顔で柔らかい雰囲気で誰とでも仲良くしとったから、何を言っても怒らないだろうとか反抗してこないだろうって意識のどっかにあったんだろうな」
「えー、嘗められてたの? 私」
「いいやん。一発でひっくり返したんやから」
沙希ちゃんはそう言って笑いながら私の前でドリンクのメニューを開いた。知らない間に私のジョッキは空になっていた。酒に弱い私にとって三杯連続のビールは飲み会の終了を意味することになるから、カシスソーダを頼んだ。
「あれを見て、あっこの子意外と面白そうやなってなって、飲みに誘ったんやしね」
沙希ちゃんは佐藤くんを見て小首を傾げ、ねーっと無邪気に笑った。佐藤くんは佐藤くんで低い声でねーと返していて、私ももう笑うしかなかった。同じ部署に配属された同期との関係にはひびが入ったが、なにはともあれ、この二人と仲良くなれたのだから良いのだ。
大人になってから、というか学生じゃなくなってからこんなにも好きだと思えるような友だちと出会えるなんて思っていなかった。
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