第2話 人間不信という経験について
耕史郎です。よろしくお願いします。
当の本人は深刻に人間不信で悩んだことがあるのでそのことを書けたらなと思います。
みなさんは人間不信になったことってありますか?
僕はあります。結構強烈な奴ですが。
中学生の頃の話になるのですが、当時良く一緒にいた「人」がいたんです。部活も一緒、帰るのも一緒。よく喋っていました、それこそ毎日のように。
これだけ見れば普通の「友人」のように思われるのかもしれません。「友人」って何でしょうね。一緒にいて喋る人が友人なのか、楽しい人が友人なのか。楽しいって何でしょうか。
彼と自分の関係は一言で言うと主人と奴隷のような関係でした。僕はひたすら敬語でしゃべり、相手からの要求を飲むだけ。その要求とはお金だったりパシリのような感じのものだったり。
それが二年ぐらい続きました。中学二年生の時から三年生の時まで。彼頭良かったんですよね、凄く。当時の僕ってバカだったから(今でもそうですが)何か頭良い人がやることは全て正しいみたいな感じの所があったのかな。両親も学歴が良かったので、学歴信仰みたいな所あったし。
そんな感じで僕も嫌なはずなのに、彼とは良く喋っているという良く分からない関係に。というか中学生の時は周り全員からパシリみたいな感じで扱われていました。僕も人から嫌われるのが怖くて断れなかったし、他人から殴られてもヘラヘラ笑っていました。
付け加えると、元々小学生の時は仲が良かったので(仲が良いという単語すら今となっては使いたくないのですが)どうして中学生の時にこうなってしまったのかと悩むというか苦しめられました。
書いていると思い出してくるものですね。当時親は一切助けてくれませんでした。何度も悩んでいると言っても、相談には乗ってくれず、ただ勉強しろの一点張り。
こういうことが原因で高校の時は強烈な他人に対しての不安感やフラッシュバックに苦しめられ、また他人に対しての憎しみ、それこそ他人と一緒にいて何が楽しいのか。親に対しての不信感など、人間関係のことでかなり苦しめられました。
暗い話ですね、すいません何か。これ以降友達と呼べる人が出来るまで、実に10年ぐらいの歳月を要するのですが。
というか人間不信だった自分に友達と呼べるものが出来るとは奇跡だよなと今となっては思います。それに、人間不信になって友達が出来ないという状況は、振り返ってみると実に危険な状況で、それが他者との孤立を生み、結果的に引きこもりを招いてしまうと個人的には思っていたりします。
人間不信というか人に対する憎しみとかって、傷ついた分だけ、傷つくというか苦しんだ分だけ比例すると思うんですよね、理不尽に他人から蹴られたり殴られたりとか、もちろん自分にも何らかの落ち度はあったと思いますが、それでも当時は相当他人を憎んでいたなあと。
憎めば憎むほど逆に自分が歪んでいくだけなので、そんな人生送るよりも何か楽しいことを見つけて生きた方がよっぽど良いです。例えば誰もいない自然やその風景を楽しむとか。
というか自分が今となってはそういう感情を抱かなくなったのは、素でしゃべれるいろいろなアドバイスを言ってくれる人や友人に出会えたからなので、難しいかもしれませんが、そういう出会いを見つけることをおすすめしたいのです。もし人間不信の方がいたらですけど。またこれも後日話しますが。
でも人間って変わるものです、今苦しんでいてもどういう出会いがあるか分かりません。だからみなさんも生きることをおすすめします、というか自分に対して言っていることでもありますが。これからどういう出会いがあるか分かりませんが、自分なりに楽しく生きていければ良いなと思います。
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