最終話「キミシニタモウコトナカレ」

 死闘、決着。

 摺木統矢スルギトウヤは、狭苦しいコクピットの中で呼吸をむさぼっていた。すでに周囲は、真っ赤に染まった明滅が戦闘不能を訴えてくる。もう、【氷蓮ひょうれん】は物言わぬ鉄屑スクラップと成り果てていた。

 ヘルメットを被り直して、深呼吸。

 胸に手を当て、サブモニターに視線を滑らせる。

 燃え盛る炎の矢となって、天城あまぎが予定宙域へと吸い込まれていった。

 その航跡が、徐々に細く薄れてゆく。

 多くの生命いのちが散った宇宙へ、その深淵へと希望の方舟は消えていった。


「……周囲の敵は? いや、辰馬先輩たちに任せられる。なら、俺は」


 拳銃を取り出し、撃鉄を引き上げる。

 最後にもう一度だけパイロットスーツの気密を確認して、統矢はコクピットのハッチを開放した。細かなガラス片が、漏れ出る空気と共にキラキラと光る。

 そして、真空の宇宙へ向かって統矢は立ち上がった。

 すぐ目の前には、【氷焔ひょうえん】の変わり果てた姿があった。


「【氷焔】……あちらの世界の、もう一機の【氷蓮】」


 こころなしか、セラフ級パラレイドのデザインに似ている。セラフ級はどれも共通点を持たないが、禍々まがまがしいまでの神々こうごうしさ、あっして睥睨へいげいするかのような不遜な雰囲気がそっくりだった。

 そして、我が愛機を振り返る。

 最後に密着の距離で、ビームガンを打ち合った二機。

 統矢の【氷蓮】は、頭部を撃ち抜かれて沈黙していた。

 りんなの死を超えて蘇り、大破する都度つど復活を繰り返してきた【氷蓮】。今は【シンデレラ】と呼ばれた謎のパンツァー・モータロイド……あちらの世界の【氷蓮】の装甲をベースに改修され、ついに最後にまた破壊された。

 もう、直す必要はない。

 やっと、りんなに機体を返す時が来たのだ。


「……ゆっくり休め、な。……ありがとう、【氷蓮】」


 一度だけ統矢は、身を正して敬礼を送った。

 そして、無重力の宇宙を敵機のコクピットへと泳ぐ。

 まだ決着はついていない。

 敵の首魁しゅかい、スルギトウヤ大佐を拘束する必要があった。それも、生きたまま。彼はリレイヤーズ、禁忌きんきのシステムによって無限の輪廻を繰り返す子供なのだ。

 そう、子供……だ。

 りんなの死を受け入れられず、それを理由に多くの人々を戦争に巻き込んだ。

 異星人から地球を守るという、いつわりの大義名分さえも振りかざしたのだ。

 彼は、統矢が受け入れ活かしたりんなの死を、自ら拒絶し殺してしまったのである。


「さあ、大詰めだ。出てこいよ、トウヤ……決着をつけてやる」


 内側からロックがかかっているのか、【氷焔】のコクピットは外側から開かない。だが、整備のための強制開放が可能で、そのプロテクトコードを統矢は知っている。

 この機体はやはり、もう一機の【氷蓮】なのだ。

 りんなは、自分の誕生日をパスワードにしていたはずである。

 自分の【氷蓮】と同じ番号でアクセスすると、【氷焔】の胸部が大きく開いた。

 そして、その奥に……暗がりの中、統矢をにらむ銃口があった。


『ククク……大したものだよ、摺木統矢。弱き過去の自分よ』

「……スルギトウヤ」


 統矢もまた、銃を向ける。

 あちこちに火花がスパークする操縦席の中心に、酷く小さな矮躯わいくが座っていた。

 間違いない、あちらの世界線の自分……スルギトウヤだ。

 リレイヤーズである証拠が、この子供の肉体という訳である。

 ヘルメットのバイザーが、トウヤの表情を光の反射で隠している。だが、そこに浮かぶ侮蔑ぶべつ憤怒ふんぬを統矢は敏感に感じ取った。

 だから、ゆっくり慎重に言葉を選ぶ。


「お前の負けだ、トウヤ。そして……お前は俺の未来なんかじゃない。お前はお前、俺は俺だ」

『そうだ、私は貴様などではない。貴様は、弱い自分、この私が捨てた過去だ』

「……そうさ、俺は弱かった。弱さを知ったから、強くなれたんだ」


 統矢の言葉に、相手の息を飲む気配が伝わる。

 そのままコクピットに踏み入ろうとした、その時だった。


『貴様になにがわかるっ! りんなの死から目をそむけて、貴様は何故なぜ他者を愛せるのだ!』

「……りんなに恋して、愛せなかった。愛し合うことを許されなかった。それを教えてくれた人がいてくれたんだ。お前にだって、きっと」

『りんなにわりなどいない! ならば、唯一にして無二の愛を奪った全てを、私は憎む! 因果いんが応報おうほうし、復讐をりんなにささげるべきなのだ!』

「なら、お前一人でそれをやれよ。無関係な人を……平行世界である俺たちの地球を巻き込むんじゃない。それにな、トウヤ……もう一人の俺、よく聞け」


 統矢はゆっくりと、噛み締めるように言の葉をつむいだ。

 この戦いの中、ずっと自分に言い聞かせていた想いを解き放つ。


「復讐なんてしても、りんなは喜ばない。お前は……リレイド・リレイズ・システムの中枢に縛り付けられた、お前のりんなにちゃんと向き合ったのか?」

『りんなは永遠になった! 全ての世界線を繋ぐ、大きな摂理の一部となったのだ! そして、この私に無限の輪廻を与えてくれる。そうだ、終わらない……終わらせなどしない!』


 もはや言葉は無意味だった。

 トウヤは静かに銃口を降ろし……それを自分のこめかみに押し当てた。

 すかさず統矢が銃爪トリガーに掛ける指に力を込める。 

 だが、真空の宇宙を銃声が震わせることはなかった。


『トウヤ……そんなんじゃ、駄目だよ? ここは、わたしたちの世界じゃないもの』


 その声に、思わず統矢も振り返った。

 トウヤの視線が、目を見開いて震えるのが感じられた。

 そこには……闇に浮かぶ、更紗サラサりんなの姿があった。

 同じ声だった。

 そして、すぐに統矢は気付いたが……トウヤの声がかすれて震える。


『あ、ああ……りんな。りんなっ! もう少し、あと少しなのだ! 今、やりなおす……そして、システムを使って生まれ直す。また、お前の力で生まれ変わるんだ!』

『もう、終わりにしよ? ねっ?』

『終わらない! 終わる前にまた始めるっ! お前のかたきを、俺は……俺はっ!』

『ううん、終わり……もう、わたしに縛られないで。わたしで世界を縛らないで』


 パイロットスーツを着ててもわかる、華奢きゃしゃでスレンダーな痩身そうしん

 それは、更紗れんふぁだ。

 だが、彼女の言葉が統矢にも一瞬、りんなに思えた。

 そして、トウヤには恐らくりんなそのものに見えただろう。

 トウヤが唖然あぜんとする中、静かに統矢がコクピットに入る。そして、呆然ぼうぜんとするトウヤの手から拳銃を取り上げた。

 死なせはしない……別の世界線への転生も、再びこちらの地球に生まれることも許さない。

 今まさに、統矢の戦いは終わりつつあった。

 そして、トウヤの身を拘束した、その時だった。

 苛烈かれつな光の奔流が、宇宙の深淵から溢れ出した。無音の爆縮が無限に連鎖して、地球に保管されていた全ての核弾頭が同時に起爆したのだった。

 それは、虹色のオーロラをくゆらせる、次元転移ディストーション・リープの反応を飲み込んでゆく。

 パラレイドと呼ばれた敵、新地球帝國しんちきゅうていこく残党の本隊は暴力的な光に飲み込まれて消えた。


「終わった、な……ありがとう、れんふぁ」

『うん……終わったよ、ね? でも……でも、千雪チユキさんや沙菊サギクちゃんが』

「ああ。……俺は正直、まだ自分に自信がない」


 あの五百雀千雪イオジャクチユキを失って、また黒い感情に支配されそうになる。そして今、復讐を遂げるべき相手は目の前にいる。

 皮肉にも、絶対に殺してはいけない男を、殺したい衝動に駆られるのだ。

 だが、それは千雪も望んでいないし、れんふぁを悲しませるだけだ。


「俺は……でも、俺は、もう間違えちゃいけないんだ。目の前のこの男を、俺の未来にしてはいけない。俺は……一緒に千雪や仲間たちを失った、れんふぁ……お前と生きていく」


 そう決意を口にして、振り返る。

 その時、統矢の視界の隅に光るなにかが漂っていた。

 それで思い出して、自分の拳銃をれんふぁに預ける。もう、必要ないから……今、武器も兵器もいらない時代が始まりつつあるのだ。

 だから、統矢は本当に自分の復讐と決別するべく、敢えて弱々しい光へんだ。

 それは、メタトロンから分離したコクピットブロックだ。

 ボロボロになった小さな戦闘機が、力なく虚空の闇を漂流していた。


「……レイル。レイル・スルール……俺がわかるか?」


 砕けて割れたキャノピーはもう、失われていた。そして、その奥でひざを抱える少女が泣いていた。静かに呼びかけると、彼女は顔をあげて声を詰まらせた。


『統矢……ボクは……ボクはっ』

「……記憶の制御が弱まったんだな? 俺が、わかるか?」

『う、うん……』


 そこには、以前のレイルがいた。いや、これが、この姿が本来の彼女なのかもしれない。パラレイドのエースとして、最強のセラフ級を乗りこなしてきたのは……本当は、ただの普通の女の子だったのである。

 監察軍かんさつぐんと呼ばれる異星人たちによって、人体実験のモルモットにされた。

 死の恐怖と憎悪が生み出したDUSTERダスター能力を、トウヤに利用されたのである。


『統矢、ボクは……ボクは、千雪を』

「ああ」

『……統矢、ボクを……殺して。許されない、許せる訳がない……ボクは、統矢の大事な人を』

「そうだな。お前が千雪を殺したんだ。でも」


 そっと統矢は手を差し伸べた。

 それを見上げて、レイルが思わず目を見開く。水滴となった涙が浮かぶヘルメットの中に、レイルのひとみが星空のように輝いていた。


「俺はお前を殺さない。お前への憎しみや恨み、そういうものは確かにある。でも、お前を殺しても千雪は戻ってこない。俺は……」

『そんなの、理屈だよ! ボクは、許されないんだ! 今までも、許されないことをしてきたんだ』

「なら、つぐなえよ。これからの全てを使って、あがなえ。俺は、それを手伝う」

『統矢……』

「お前は千雪の代わりにはなれないし、代わりのある人間なんて一人もいない。それはお前も同じだ、レイル。死にたいならまず、死ぬ気で生きてくれ。千雪が守ろうとしたものを、ちゃんと知ってほしい」


 それ以上、レイルはなにも言わなかった。

 そして、統矢も言う必要がなかった。

 ただ、黙ってレイルの手を取り、半壊したコクピットから引っ張り出してやる。

 この日、永久戦争と呼ばれた一連の動乱が幕を閉じた。地球は、異なる未来からの侵略を退しりぞけたのである。

 だが、迎えるべき平和を前に、人類同盟の誰もが忘れてゆく。

 戦いの中、使い捨ての弾除けとして使い潰された、幼年兵ようねんへいの少年少女たちを。

 SSSトリプルエス級の極秘機密として封印された、禁忌のシステムに身を委ねし者たち……リレイヤーズのことを。

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