第23話「確率と、確実と」

 真空の宇宙は、音も声も伝えては来ない。

 コクピット内に響く銃声や爆発音は、敵との距離感や緊張感を演出するためにAIが生み出したものだ。

 だから、摺木統矢スルギトウヤは我が目を疑った。

 空色のパンツァー・モータロイドが、ビームの光に溶けて消えたのだ。

 まるで花が咲くように爆発して、そのまま消滅してしまったのである。

 そして、現実を認識できぬ中に絶叫が響き渡る。


『あっ、あ、ああ……千雪チユキ殿っ! 千雪殿ォォォォォッ! ぐっ、がああああっ!』


 後輩の声が震えてとがる。

 獣の咆哮ほうこうのような、泣き叫ぶ悲痛な声だ。

 そのまま、渡良瀬沙菊ワタラセサギクの89式【幻雷げんらい】改型伍号機かいがたごごうきが突出してくる。天城あまぎの甲板に横たわる、メタトロンへ向かって彼女は突貫した。イエローに塗られた傷だらけの機体が、黄金の獅子ししごとく怒りに燃えていた。

 そして、再度の爆発。

 その衝撃波が、統矢の愛機をビリビリと震わせた。


『レイル・スルール……所詮はそこまでのDUSTERダスター能力者か。まあいい……フ、フハッ! フハハハハハ! チユキ、こちらの世界でも貴様は私に屈したのだ! 今! この瞬間!』


 スルギトウヤの下卑げびた哄笑だけが、回線の向こうから冷たく響く。

 彼の乗る【氷焔ひょうえん】から放たれたゾディアック・レイザーが、あらゆる角度から改型伍号機を切り裂き、爆発の中へと圧縮していったのだ。

 また一つ、命が消えた。

 いとも簡単に、容易たやすついえた。

 そして、ようやく統矢は理解した。


「沙菊、それに……千雪? 嘘だ、そんな」


 溢れ出す感情の全てが、必死で現実を否定しようとしていた。

 だが、統矢は懸命に事実を受け止めようとくちびるを噛む。

 そう、二人の仲間が死んだのだ。

 愛する五百雀千雪イオジャクチユキはもう、いなくなってしまった。

 一瞬せつなで。

 永遠とわに。


『クソッ、各機! 撃ちまくれっ! 統矢に誰か……あの馬鹿野郎に誰か! 時間をくれよ! なあ!』


 兄である五百雀辰馬イオジャクタツマが、泣き叫んでいた。

 だが、援護射撃は全てトウヤの【氷焔】に弾かれる。ゾディアック・レイザーと呼ばれる12基の遠隔誘導兵装は、最強の矛であると同時に無敵の盾だ。その中心に守られた【氷焔】は、武器すら持っていない。

 燃え盛る天城の上で、統矢は視界がぼやけてにじむ。

 泣いては駄目だと涙を堪えても、永遠に思える程に一瞬が苦しい。

 自分を愛してくれた少女だった。

 自分と一緒に、更紗サラサれんふぁを愛してくれる女の子だったのだ。

 それが今はもう、この宇宙のどこにもいない。


『摺木統矢、しっかりしたまえよ! くっ、ボク程度じゃもう、周りのみんなについていけないかな?』

『フン、次はお前だ……裏切り者、御統霧華ミスマルキリカァ!』

『トウヤ、二度もチユキを殺したね。君、本当に……そこまでやってしまったんだ!』

『チユキは私を否定した! 私とりんなの愛さえも!』

『愛という感情はね、トウヤ……寄り添い支えてぬくもりを分かち合うだけじゃないんだ。時にはこうして、あやまちを正すために向き合わなきゃいけない』

『知ったふうな口をっ!』


 トウヤの次のターゲットは、霧華だった。

 銀色の94式【星炎せいえん】が次々と火器を持ち替える。撃っては捨て、その都度つど満載された砲火を絶やさない。だが、その全てがトウヤに届いていなかった。

 恋を振り切った霧華の想いもまた、かたくなでいびつな復讐心に阻まれている。

 そして、統矢はそれを呆然ぼうぜんと眺めながら……引きずられるように意識と感覚を広げていった。以前も千雪が、一時いなくなった。その時と同じだ。

 それは恐らく、探しているのだ。

 求めて欲して、望む生命いのちがある。

 五百雀千雪を感じたくて、統矢のDUSTER能力が再び暴走を始めていた。

 しかし、悲痛な泣き声が統矢の自我を繋ぎ止める。


『統矢さんっ、戦って! また死んじゃう! お願いっ、統矢さん!』


 れんふぁの泣きじゃくる声が、統矢の意識を肉体へと引き戻した。究極の集中力をもたらすDUSTER能力は、無限の可能性を全て知覚させる力だ。だが、そのためにあらゆる情報が流れ込み、どこまでも自分が広がるような感覚が未来さえ見せてくる。

 統矢はもしかして、自分が薄く引き伸ばされて消える所だったのかもしれない。


「りんな……いや、れんふぁ」

『統矢さん! 千雪さんの死を無駄にしないで……これ以上は、駄目だよぉ……! 統矢さんっ!』


 れんふぁの言葉が胸に刺さった。

 深く突き刺さって、えぐるように刺し貫いた。

 その痛みが、失ったものの大きさを教えてくれる。

 だから統矢は、パイロットスーツの襟元えりもとを緩めてヘルメットを脱ぎ捨てた。涙を拭えば、ふわりと水滴がコクピットに舞う。

 そのまま統矢は、震える手で操縦桿スティックを握り直した。


「……れんふぁ、やるぞ。ここで負けたら、俺は千雪に二度と会えない」

『統矢さん、【樹雷皇じゅらいおう】のグラビティ・ケイジを!』

「ここでケリをつける! もう、誰一人殺させない!」


 統矢は悲しみと怒りを、燃える闘志で捻じ伏せた。

 その気迫に応えるように、【氷蓮】が微動に震え出す。ラストサバイヴの名の如く、蘇ったあるじの魂で生まれ直したかのようだ。

 その手に握った巨剣【グラスヒール】を手に、ゆらりと甲板上を歩き出す。

 【樹雷皇】の重力場が【氷蓮】の背に集束して、眩い翼を屹立きつりつさせた。それは、一時的に機体性能を向上させる諸刃もろはつるぎ……グラビティ・エクステンダーの輝きだ。


「トウヤ、俺はお前を許さないっ! 俺自身さえ、許せない!」

『ならばどうする、来るか! お前の弱さはそういうところだ! この私が捨てた、弱さそのものがお前なのだよ!』

「それがどうしたっ! 俺は弱くていい……弱さを知ることで、強くなれるんだ!」


 無音の咆哮と共に、【氷蓮】が【氷焔】へと斬りかかる。

 たちまち、周囲から敵意が殺到した。

 ゾディアック・レイザーが乱舞する空間は、無限にも等しい距離を両者の間に漂わせている。12基の刃が、繰り返し何度も統矢の【氷蓮】を襲った。

 【グラスヒール】からビームガンを外すや、片手で見もせずに統矢は光を放つ。その軌跡が敵を捕らえても、ゾディアック・レイザーはそれ自体が飛び交う重力場……グラビティ・ケイジが厚過ぎて攻撃が通らない。

 勿論もちろん、【氷焔】本体へは近付くことすらままならなかった。

 一方で統矢も、持てる力の全てで攻撃を回避してゆく。


『そらそら、踊れ踊れ! 私がDUSTER能力者を欲した時、既に敵に回ることも想定済みだ! お前たちは極限状態の中であらゆる感覚が拡張され、知覚する情報量が膨れ上がる!』

「べらべらとよく喋る! 黙れよ! いいやっ、黙らせるっ!」

『超人的な反応速度を得て、時には機体が追いつかない程に全てが見えるんだよなあ? だが、どうだ……お前のその動きは、完璧に100%を確定させるものではない』

「なにが言いたいっ!」


 トウヤの声には余裕が満ちている。

 一方で、統矢は機体性能が飛躍的に上がった【氷蓮】でさえ手一杯だった。

 そして、嘲笑あざわらうような言葉の中に真意を掴めてしまう。

 トウヤの【氷焔】は、あらゆる攻撃を防御するのだ。決して避けず、受け止め、無力化する。だが、統矢はDUSTER能力を総動員して、一撃必殺の連続を回避し続けなければいけない。

 どこまでも鋭く冴え渡るコンセントレーションは、統矢に可能性を突きつけてくる。

 それを取捨選択して機体を駆る限り、統矢は無敵だ。

 だが、永遠に彼の回避運動が続けば……その全てが、コンマ0の彼方に1を浮かべるだろう。防御することは100%の確定された結果だが、回避を選び続ける限り、99%の先に小数点以下が並ぶだけなのだ。

 これが、トウヤのDUSTER能力対策。

 それを体現するマシーンは、皮肉にもあちらの世界の【氷蓮】なのだ。


『ハハッ、あと何秒だ? 時間切れが来るぞ、摺木統矢! グラビティ・エクステンダーの力を使い果たせば、性能のダウンはまぬがれん! そぉら! 終わりは近いなあ!』


 グラビティ・エクステンダーによるパワーアップは、極めて限定的なものだ。飛躍的な性能向上も、タイムリミットを過ぎれば失われてしまう。

 そのカウンターが、サブモニターの端で回り続けている。

 周囲で仲間たちも援護してくれるが、その全てが統矢に焦りを刻みつけた。どこまでも澄んでゆく意識が、狭まる可能性の先に答えを浮かび上がらせる。

 必死で統矢は、死という未来にあらがい続けた。

 だが、無情にも時間は過ぎ去ってゆく。


「くっ、パワーが……ここまでなのかっ!? 俺はっ!」


 【氷蓮】の背に燃える翼が、小さくなって消えた。

 同時に、極限の運動性が失われてゆく。【氷蓮】は今、限界まで酷使したラジカルシリンダーの排熱によって、あらゆる機能が低下した状態に陥ったのだ。

 そして、貴重な180秒の間に統矢は、トウヤに触れることすら叶わなかった。

 絶対の防御は、確定された無敵の未来。

 統矢の力では、それを破ることができなかったのだ。


『では、さよならだなあ! もうすぐ私の本隊が到着する……全軍をこの世界線に集結させ、私はようやく私の戦いを始められるのだ!』

「そういうのは、宇宙人とまだやろうってんならさ……ひとりでやれっ! いつも、いつもいつも! 安全な場所で命を弄んで!」

『それが戦略というものだ! ただの一戦術単位でしかないパイロットには、それがわからんのだ!』


 激しい衝撃が襲った。

 スピードの落ちた【氷蓮】を、容赦なく十二の刃が襲う。

 あっという間に爆発が連鎖し、右腕と左脚が削ぎ落とされた。

 それでも統矢は、天城の上で【グラスヒール】を杖に愛機を支える。満身創痍まんしんそういの【氷蓮】は、ゾディアック・レイザーが織りなす円の中心で停止するのだった。

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