第22話「深海に舞い散る雪」

 五百雀千雪イオジャクチユキの集中力は今、無限の大宇宙がごとく広がっていた。

 この戦場の全てを把握するかのような、この手に掌握するかのような感覚。愛機【ディープスノー】の頭部に並ぶ六つのメインカメラは、コクピットに惨劇を伝えてくる。

 天城の艦橋が破壊され、巨大な艦体が炎に包まれている。

 その中で、摺木統矢スルギトウヤはもう一人の自分……スルギトウヤと向き合っていた。

 だが、その助けになることが今の千雪にはできない。

 頭上から敵意が絶叫と共に降ってくる。


『イオジャクチユキッ! お前は……お前はあ! またっ、トウヤ様の邪魔を!』


 重武装で膨れ上がったメタトロンが、高速で突っ込んでくる。

 その動きの全てが可能性となって、千雪にコンマゼロ秒の未来を無数に見せてきた。それが、彼女たちが持つDUSTERダスター能力。それは敵のパイロット、レイル・スルールも同じだった。

 DUSTER能力者同士の戦いは、永遠に終わらない千日手だ。

 互いに極限のコンセントレーションを発揮し、気の抜けない緊張状態が永遠に続く。あらゆる手を読み合い、その行動を封じ合って、そして激しく互いを攻め立てる。互角の勝負に見える激闘は、ただただ消耗するだけの削り合いだ。


「レイル・スルールッ! 今は貴女あなたの相手をしてられないんですっ!」

『だがっ、ボクにはお前を抑えておく理由がある! トウヤ様は今、偽りの自分を倒して正義を示すんだ!』

「偽り……違います。統矢君は、この世界線の本当の統矢君。私たちの大事な、大切なただ一人の統矢君ですっ!」

『虚言をっ、ろうすなああああっ!』


 無数のミサイルとビームが、雨のように降り注ぐ。

 千雪は最小限の回避運動を刻みつつ、【ディープスノー】が持つグラビティ・ケイジを展開させた。全面に集中して重ね、そして思い出す。

 ――メタトロン・ヴィリーズⅡアニヒレーター。

 極限の機動力と防御力、さらに最強の攻撃力をも内包した最後の熾天使セラフ。その最大の力は、背に揺らめく重力の翼だ。グラビティ・イーターと呼ばれる、相手のグラビティ・ケイジを奪い取る機能が搭載されている。

 最大出力にも関わらず【ディープスノー】のグラビティ・ケイジは徐々に弱まっていった。


「こちらの重力場が吸われて……それなら!」


 瞬時に千雪は決断した。

 そもそも、射撃兵装が中心のメタトロンに対して、千雪の【ディープスノー】は格闘戦特化型のパンツァー・モータロイドである。

 相性は最悪で、その上にグラビティ・ケイジには頼れない。

 なればこそ、DUSTER能力が見せる無限の可能性を、敢えて大量に捨てることができた。


『なっ……チユキ、お前はっ!』

「グラビティ・ケイジ、全カット! 推力全開……ブーストッ!」


 瞬時に重力のよろいを脱ぎ去り、爆発に包まれる千雪。

 だが、ビームは紙一重で回避し、ミサイルを両肘のブレードで切り払う。

 同時に、PMRパメラとしては大型の全身に配されたスラスターが、白い炎を迸らせた。もとより【ディープスノー】は、単騎での突出した打撃力を強化された機体である。その突破力は、セラフ級パラレイドにも引けを取らない。

 それに、千雪にはまだ奥の手がある。

 更紗サラサれんふぁにさえ知らせていない、切り札があるのだ。


『くっ、真っ向勝負! 望むところだ、イオジャクチユキ!』

「貴女が言うその人も、私ではありません……私に全てを譲ってくれた、その人はっ!」


 漆黒の宇宙を煌々こうこうと照らして、【ディープスノー】が流星となる。

 グラビティ・ケイジを全てカットしたことによって、コクピットの千雪は過激なGに押し潰されつつあった。重力制御システムは、暴力的な加速を生む【ディープスノー】のGを相殺するためにも使われている。

 それを切った今、身体の半分以上が機械の千雪でも苦しい。

 全身がきしんで、呼吸が詰まる。

 だが、迷わず千雪はさらなる加速へと踏み込んでいった。


「あと、少し……零距離ゼロきょりに踏み込めば!」

『やるな、ならっ! ボクとてすでに覚悟は決めているっ!』

「――ふふ」

『笑った? 笑ったか、ボクを!』

「ええ、少し。でも、笑えませんね……記憶を奪われ、貴女は忘れています。覚悟の意味も、その価値も」


 そう、レイル・スルールの記憶と人格は、あのスルギトウヤによって故意に操作された疑いがある。あの男は、監察軍かんさつぐんと呼ばれる異星人たちに勝つためには、そこまでやる男なのだ。

 彼にとって仲間は戦力であり、手駒でしかない。

 自ら先頭に立って戦う統矢とは、全く別人なのだ。

 それでも、そんなトウヤへ愛を捧げてレイルは戦う。それは千雪には、酷く痛々しく見えていた。何度も拳を交えたが、会話に付き合わず無視し続けた理由もそれである。

 お互い、同じ人間を愛した。

 しかし、平行世界のへだたりが同一人物を全く違う二人にしてしまったのである。


『くっ、はやい!』


 あっという間に、千雪の【ディープスノー】が距離を殺す。

 振りかざした手刀が、メタトロンの右肩のキャノン砲を叩き割った。だが、ダメージの反動で距離を稼ぎ、メタトロンは弾幕を張りながら飛び去ってゆく。奪う重力場を千雪が断ち切ったことで、グラビティ・イーターを封じる試みは成功していた。

 だが、濃密なビームのつぶてが装甲を擦過し、衝撃が千雪を揺さぶった。


「くっ、もっと……もっとふところ深くへ!」

『グラビティ・ケイジを封じた時点で、お前の射程は殺している! この勝負、ボクの勝ちだ!』

「たとえ貴女が勝とうとも……私は絶対に負けませんっ!」


 そう、千雪には負けられない理由がある。

 何度も被弾し、その都度減速がさらなる被弾を連れてくる。重装甲の【ディープスノー】でも、粒子の奔流が直撃すればダメージは深刻に蓄積されていった。

 溶断された装甲の奥に、深い蒼が薄れてゆく。

 はつられてゆく愛機を、それでも千雪は虚空へと加速させた。

 気圧けおされるレィルの気配を追って、今やただ一筋に絞って見定めた、唯一の道へと全てを賭ける。自分の可能性が全て一つの確信に変わった、それをレイルもまたDUSTER能力で悟ったようだった。


『見えたっ! 見切ったぞ、イオジャクチユキ……これでっ、終わりだァ!』


 ありったけの火力が、千雪の目の前に叩きつけられた。

 真空の宇宙に、紅蓮の炎が広がってゆく。

 その只中へと、迷わず千雪は飛び込んだ。

 機体がバラバラになってゆく中、軽くなって更に加速しその先へ。

 白く染まったモニターがひび割れ、コクピットもアラートと共に爆発を連鎖させた。そして、炎と煙の彼方に見据える……勝ち誇る大天使の威容を。

 刹那の瞬間、千雪の想いが鋼鉄の拳に宿る。

 そう……長らく共に戦ってきた、昔からの愛機に意思が伝う。


『――! そ、その機体はっ!』

「貴女の敗因を教えてあげますっ! レイル・スルールッ!」


 が、繰り出す拳でメタトロンを吹き飛ばす。

 そう、それは千雪が中等部から愛用していた……89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきだ。重力制御用の試作実験機【ディープスノー】とは、

 今、深海のあおを脱ぎ捨て、空色の一角獣ユニコーンが疾駆する。

 その先に繰り出す蹴りが、メタトロンの増加装甲をブチ抜いた。


「貴女は負ける! 何故なぜなら! 私の、私たちのっ、大事な、大切な! 貴女にとってもそうでした……統矢君を忘れたから!」


 千雪は知っていた。れんふぁもそれを許していた。

 レイルもまた、統矢に触れて少しずつ変わっていたのだ。

 だが、彼女は淡い想いも芽生えた気持ちも、スルギトウヤに奪われてしまった。戦うためだけのキルマシーンへと作り変えられてしまったのだ。

 なら、千雪には負ける理由がない。

 上書きされた忠誠心では、人を想う気持ちには勝てはしない。


『グッ、ガアアアッ! イオジャクチユキイイイイイッ!』

「加えて言うなら、貴女は対PMR用にメタトロンをダウンサイジングしました。それなのに、普段の乗り慣れたメタトロンの大きさで戦ってるんです! だから、射撃が僅かに芯をれる!」

『そんな、些細な誤差なんて』

「小さくて、僅かな……そして、決定的な差です!」


 加えて今、【ディープスノー】という鎧を脱ぎ捨てた改型参号機は、一回り小さくなっている。そのことも、サイズ差による視覚的な錯覚をより強くしていた。

 断ち割られた増加装甲をばらまきながら、メタトロンが吹き飛ぶ。

 その先へと追い付き追い越して、容赦なく千雪は膝蹴りを叩き込んだ。その反動で縦に一回転すれば、頭部の角のようなブレードアンテナが赤熱化する。

 この一撃は、かつてレイルに避けられた。

 だが、そのことすら彼女が忘れているなら――


「終わりですっ! 私の、私たちの……こっちの統矢君を! 思い出してくださいっ!」

『ヒッ! くっ、くく、来るな! 来るなあ!』


 フルブーストで改型参号機がメタトロンに突貫する。

 白く燃える一角獣の角は、さながら灼獄の剣インフェルノホーン……それが今、深々とメタトロンの頭部を刺し貫いた。そしてそのまま、質量差を感じさせぬ突進で加速を続ける。

 真っ直ぐ天城の燃え盛る艦体へと、そのまま千雪は愛機ごとメタトロンを叩き付けた。

 そして、へし折れたブレードアンテナを抜くや、最後の一撃を引き絞る。

 必殺の正拳突きは、メタトロンが光の剣を抜くのと同時だった。


『グッ! あ、ああっ、頭が……この痛み、お前が! ――トウ、ヤ、様? いや……統矢』


 既に動きを止めたメタトロンだったが、まるで泣きじゃくる幼子のようにビームの刃を振り回す。その光の軌跡が改型参号機を容赦なく襲った。

 それでも、迷わず千雪は拳を繰り出す。

 コクピットのあるコアではなく、上半身を形成するパーツの中にあるであろう、動力部を鉄拳が穿ち貫いた。

 それは、でたらめな斬撃の直劇で千雪が蒸発するのと同時だった。

 薄れゆく自我が熱を感じなくなる頃……千雪はあの声を聴いた。

 遠い並行世界、こことは違う世界線の自分に譲られた……新しい明日へと彼女の魂は薄れて消えるのだった。

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