第16話「凍れる戦姫の素顔」

 乱痴気騒らんちきさわぎの喧騒と、おごそかな儀式にもにた静寂。

 その両方を抱えて、航宙戦艦天城こうちゅうせんかんあまぎは静かに衛星軌道を進んでゆく。

 決戦は数時間後で、それで全てが終わる。

 あちらの地球が勝つか、こちらの地球が勝つか……全ては摺木統矢スルギトウヤたち反乱軍にかかっている。彼らが負ければ、あちらの地球で戦争は続く。そして、こちらの地球はDUSTERダスター能力者を飼育する巨大な兵士牧場になるのだ。

 だが、迫る緊張とは別種の緊張感が、今の統矢を包んでいた。


「……なんで、俺が、こんな」


 統矢は今、一人の少女を背負って重力ブロックを歩いていた。

 いなすでに少女を脱した大人の女性だ。そのぬくもりと柔らかさは、背中にじんわりと浸透して心をくすぐってくる。

 それで誘惑に負ける統矢ではない。

 誘惑に負けたら、恋人たちの恐ろしい折檻オシオキが待っているだろう。

 だが、誘惑を感じる心は素直で、それが全てだった。


「なんかでも、印象が変わったな。……雅姫マサキさんって、こういう人だったんだ」


 そう、背で眠りこけているのは、雨瀬雅姫一尉ウノセマサキいちいだ。ティアマット聯隊れんたいを仕切る氷の女隊長、【雷冥ミカヅチ】の異名を誇るエース中のエースである。

 その彼女が、乙女のように静かに眠っていた。

 そして、それを統矢が部屋まで運ぶ羽目はめになったのである。

 これには深い訳があって、今から恋人たちへの言い訳を考えている。しかし、なんど思い出してもせない、理不尽で不条理な出来事があったのだ。






 反乱軍の全てに許された、六時間程の休息……それは皆にとって、人間らしくいられる最後の時間だった。

 酒が許されたし、煙草たばこや菓子も大量に配られた。

 食堂では、全ての食材が御馳走となって溢れかえっている。

 そして、男は女と、女は男と、そうでなくても恋人同士で最後の時を過ごしていた。

 当然、統矢もそうするつもりで急いでいた。

 それで、近道に無重力ブロックを通ったのが、そもそもの間違いだったのだったが。


「あら、摺木三尉。ふふ、そんなに急いでどこへ行くのかしら」


 展望室でばったりと、雅姫に出会ったのだ。

 普段は艦内の全てが人工重力で覆われているが、今はエネルギーを節約するために無重力の区画が無数に存在する。展望室には雅姫一人で、他に人影はなかった。

 こうしたいこいの場は軍艦といえど何箇所かある。

 だが、多くの者たちはそれぞれに部屋で過ごしたり、食堂で騒いだりしていた。


「あっ、と、雨瀬一尉」

「雅姫でいいわよ。そうね、じゃあ私も統矢君って呼ぼうかしら」

「ど、どうぞ。……お酒、飲んでるんですか?」

「いけない? 末期まつごさかずきってやつ、かもね」


 雅姫の周囲には、空になった瓶が無数に浮いていた。

 目も覚めるような美人が、こんな場所で独り酒とは寂しい話だ。

 だが、統矢は瞬時に察した。

 彼女が杯を交わしたい相手は、もういないのだ。

 ティアマット聯隊は、日本皇国陸軍にほんこうこくりくぐん内部に創設された特殊部隊である。各部隊の軍規違反者……その実、無能な上官と大本営によって罪を着せられた、屈強なベテラン兵を集めた懲罰部隊の側面も併せ持つ。

 無数の反対を押し切り、部隊を創設した男は……もう、いない。

 そして、その背を追ってきた少女もまた、以前のままではいられなくなったのだ。


「えっと、雅姫、さん。未成年、ですよね?」

「ええ、そうよ。でも、成人を前倒しするくらいいいでしょう? それに、私たちは泣く子も黙る反乱軍なの。どこの国の法だって、縛れやしないわ」

「まあ、そうですね。じゃ、じゃあ、俺は約束があるんで」


 逃げるように統矢が去ろうとした、その時だった。

 少しムッとした顔を雅姫が見せる。

 一瞬だけ、年相応の女の子の表情を見た気がした。


「待ちなさい、統矢君」

「は、はい。……まだ、なにか」

「ええ。ちょっと君、付き合いなさいよ」

「へっ? いやあ、あの、俺は約束が」

「……【閃風メイヴ】ね?」

「はい。それと、れんふぁとも」

「そう。それで? ねえ、どっちが本命なのかしら?」


 うわっ、絡んできた……面倒臭い人だ。

 素直に統矢はそう思ったが、口には出さなかった。

 だが、顔には出ていたらしく、雅姫はグイと身を乗り出してくる。


「堂々と二股をかけて、まさかそのまま? どうなのかしら、君」

「ええ、まあ。でも、俺も真剣ですよ。千雪とれんふぁ、二人を幸せにする。そのためにも、俺は決着をつけなきゃいけない。なにより、俺自身のために」

「ふぅん、そう。ま、無宿無頼むしゅくぶらいの反乱軍ですもの? ……そういうのも、いいわよね」

「ですよね。じゃあ、俺はそろそろ」


 だが、雅姫はガシリ! と統矢の腕に抱き付き引き寄せる。

 かすかにお酒の匂いがしたが、そのまま統矢は巨大な超硬質硝子ちょうこうしつガラスの前に並ばされた。外には地球が、蒼い水と大気を湛えて広がっている。

 こんなところを見られたら、あらぬ誤解を誘発させるであろうことは明白だ。


「ねえ、統矢君。【閃風】は……どうして強いと思う?」

「えっ? うーん」

「天性のセンスは認めるわ。努力もしてる。けど、それは私も同じだと思うのだけど」

「うわっ、しれっと自分もセンスある人間だって言った」

「なによ、いけない? 事実だもの」

「……ハイ」


 ますます面倒なことになってきた。

 だが、雅姫にとって【閃風】……五百雀千雪イオジャクチユキは宿敵、そしてライバルだ。彼女の高校生活での華々しい戦果は、千雪によって唯一の汚点を残していたのである。

 それにずっと雅姫は、強いこだわりを見せていた。

 しかし、そこに恨みや憎しみは感じられない。

 そればかりか、高潔さからくるリスペクトさえ感じられた。


「できればお互い、こうなる前に一度また手合わせしたかったわ。せめて一勝一敗で引き分けにしておきたいもの」

「はあ。……でも、千雪は強いですよ。弱点もありま――っとっとっと、ちょっと雅姫さん!?」


 酔っているからか、雅姫はグイグイくる。


「ちょっと、何? 弱点? 教えなさいよ」

「い、いえ、戦闘とはあまり関係ないというか」

「統矢君、教えて。ほら、いいからお姉さんに言ってみなさい」

「も、黙秘します……駄目、ですか?」

「駄目よ。却下だわ。自白剤の使用も考慮しなきゃね」


 悪戯いたずらっぽく笑って、雅姫は未開封の瓶を押し付けてくる。

 飲めということらしく、少しだけならと断って統矢は付き合う羽目になった。

 だが、貴重な時間を雅姫はずっと、一方的に喋った挙げ句……酔い潰れて寝てしまったのだった。






 そういう訳で、統矢は雅姫を自室まで運ぶことにしたのだ。

 流石さすがに放り出してはいけないし、女の子にそういうことをしたら二人にもっと怒られてしまう。


「とはいえ、完全に遅刻だよなあ。トホホ……っと、この部屋だ」


 雅姫はティアマット聯隊の隊長で、高級将校が使う個室をあてがわれていた。このクラスの部屋を使っているのは、他には艦長代理の御堂刹那だけだと思う。

 ドアの前で、ちょっと手を拝借……雅姫の指紋を使ってセキュリティを解除する。

 シュッ、と圧搾空気が抜ける音がして、扉が横にスライドした。

 室内は広く、どこか閑散としている。

 当たり前だが、調度品の類は最低限だ。


「ん、これは……」


 雅姫をベッドに降ろして、ふと枕元を見やる。

 小さな棚の上に、写真立てがあった。

 その中に、とてもかわいらしい少女が微笑ほほえんでいる。多くの大人たちに囲まれ、若い士官と並んだ写真だ。


「ティアマット聯隊の集合写真……美作総司三佐ミマサカソウジさんさ。あ、今は昇進して一佐か」


 雅姫の直属の上官で、ティアマット聯隊を立ち上げた青年が微笑んでいる。

 彼と初めて会った時は、酷く頼りない感じだった。育ちがよくてお坊ちゃんという感じの、抱えた理想に押し潰されておぼれそうだった。

 だが、地獄を見て彼は変わった。

 理想を捨てることなく抱え直し、鍛えた自分で支え始めたのだ。

 それが形になったのが、幼年兵を絶対に使わない部隊、ティアマット聯隊だったのである。

 そのことを思い出していると、雅姫が寝言と共に寝返りを打った。


「ん……総司、さん……もうすぐ、ですから」


 統矢は溜息ためいきこぼしつつ、雅姫に毛布をかけてやる。

 彼女も言っていたが、既にもうティアマット聯隊はかつての戦力を激減させている。屈強な古参兵集団こさんへいしゅうだんだったのも今は昔、苛烈な戦闘が続いて戦死者が続出しているのだ。

 そして、補充される人員は皆、若く未熟な新兵ばかりなのである。

 それでも、雅姫は戦い続ける……愛した男の仇を取るために。

 統矢は最後に、写真の中の全員へ敬礼して部屋を辞するのだった。

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