第14話「涙を拭いて」

 あおみどりの星、地球。

 その美しさを見れば、自然と摺木統矢スルギトウヤは戦いを忘れられそうだ。

 だが、忘れてはいけない。

 一生、一時たりとも忘れてはならないのだ。

 今、航宙戦艦天城こうちゅうせんかんあまぎは大気圏を離脱し、化石燃料を燃やし尽くした巨大ブースターをパージしたところだ。パイロットスーツで統矢は、デッキに出ていた。

 あの水の惑星で、自分たちのために散っていった命がある。

 そして、自分たちのためだけに命を搾取さくしゅする者たちがいる。


「統矢君、これを……食堂にあったものをもらってきました」


 振り向くとそこには、恋人の五百雀千雪イオジャクチユキの姿があった。

 パンツァー・モータロイドのパイロットに、専用のスーツが開発されたのはごくごく最近である。女子供まで巻き込んでの総力戦を前提としているPMRパメラには、着の身着のままで乗ることが想定されていた。せいぜい、ヘッドギアで頭部を守るくらいである。

 だが、今や戦場は宇宙へ広がり、統矢は再び星の海へと戻ってきた。

 千雪が向けてくる花束を受け取り、再度統矢は地球を見上げる。


「なあ、千雪……大尉は、グレイ大尉は、俺たちを宇宙へ上げるために」

「ええ。グレイ大尉とその仲間たちがいなければ、天城はヒューストンで沈められていました」

「それが今、こうしてまだ無事に作戦を次の段階へと進めてる。けど、感謝しようにもさ……大尉はもういない。声も手も届かない場所にいってしまったんだ」


 千雪が一瞬、躊躇ためらうようにうつむいた。

 だが、次の瞬間には彼女は抱き着いてくる。その慣性のついた抱擁ほうようで、統矢の脚は合金製のデッキから離れた。ふねと自分とを結ぶ安全帯のケーブルが、ゆるゆると流れてゆく。

 千雪に抱き締められながら、統矢は宇宙遊泳の中で泣いた。

 ヘルメットの内側に、粒となって涙が浮かぶ。


「泣いたってさ、大尉は生き返らない。みんなもだ。そして、泣いたままでいちゃ、今度は大尉の奥さんや娘さんだって……だから、俺は」

「統矢君……なら、今のうちに泣いておいてください。ちゃんと、泣きましょう。……親しい人の死に泣けなくなったら、私たちも人間ではなくなってしまいます」


 身体の半分以上を義体にした千雪の言葉は、重みがある。

 統矢は小さくうなずいて、千雪の胸に僅かな時間だけ甘えた。そうして、気持ちを整理するとゆっくり顔をあげる。ヘルメットのバイザー越しでも、澄ました無表情の美貌はいつも通りだった。


「悪い、もう大丈夫だ。大尉は花ってガラじゃないだろうけどさ」

「花が嫌いな人なんて、そうそういるものではありませんよ」

「だな」


 そっと統矢は、手にした花束を放った。

 真空の宇宙では、それはゆっくりと艦尾の方へと流れてゆく。今、天城は推進力をカットして惰性で航行中だ。宇宙に出たことで、改めて艦内の機密チェック等で忙しい。

 そうこうしていると、回線にもう一人の声が割り込んでくる。


「よぉ、統矢。大尉になら、花よりこっちだろ」


 振り返ると、千雪の兄である五百雀辰馬イオジャクタツマが近寄ってくる。その手には、酒瓶さかびんらしきものが握られていた。どうやらウィスキーのようである。

 相変わらず顔の半分は包帯で隠れてるが、そこには普段のへらりとした笑みが浮かんでいた。


「っととと、あっぶね! 無重力ってこれだからよ」

「辰馬先輩、それは」

「ああ、厨房からくすねてきた。なに、とむらいに一本拝借するくらいいいだろ」

「ですね。ありがとうございます」

「うちの愚妹ぐまいだって、花を盗ってきたんだろ? 気にするなよ、統矢」


 千雪が真顔で「私は許可を得てもらってきたんです」と横やりを入れる。

 辰馬はそのまま瓶のキャップを開け放った。そして、軽く振れば琥珀色こはくいろの水滴が丸く流れてゆく。まるで海に溶けた人魚姫の泡のように、跡切とぎれ跡切れに流れ出していく。

 半分ほど星屑に飲ませたあとで、辰馬は瓶ごとそれを放った。

 クルクルと永遠の回転を与えられたまま、小さなデブリとなって酒瓶は遠ざかった。


「よし、こんなもんだろ。……つれぇな、統矢。未来をたくされたら、もう勝負から降りられねえ。逃げることもできないよな」

「……はい。でも、逃げられないんじゃないですよ。逃げないです……絶対に逃げません」

「ハッ、言うねえ! お前さんなあ、うちの愚妹とれんふぁちゃんと、普通に隠れて暮らしててもよかったんだ」


 そう言う辰馬は、重傷をおして早くから反乱軍で戦っていた。

 統矢が占領下の街で再会した時、彼はいわくつきの89式【幻雷げんらい改型零号機かいがたゼロごうきに乗っていた。本来の愛機である壱号機いちごうきは、以前の月の作戦で破壊されてしまったからだ。

 全身に火傷を負って、今も包帯まみれでまるでミイラだ。

 それでも彼は、惚れた女を取り戻すために戦い、奪い返したのである。


「ま、とりあえずは休んどけよ、統矢。愚妹もなー?」

「兄様、なんだかムカつきます」

「おーおー、怖い顔すんなって」

「でも、確かに今が最後の休息になるでしょうね」


 千雪の言う通りだ。

 天城がヒューストンから打ち上げられた宙域は、丁度パラレイドの……新地球帝國しんちきゅうていこくの本隊が合流する場所とは逆側だ。わざと地球の影になるように、ぐるりと180度逆側に飛び出したのである。

 旧世紀の核兵器を爆発させる地点は、地球の裏側だ。

 勿論もちろん、敵側は二重三重にじゅうさんじゅうの防衛ラインを構築して待ち構えているだろう。

 その全てを突破し、敵の本隊が次元転移ディストーション・リープしてきた瞬間に核を爆発させる……ほぼ全ての敵を一網打尽にする、乾坤一擲けんこんいってきの捨て身の作戦だ。


「ま、泣いても笑っても最後の戦いだからな。統矢、お前さんも悔いを残すなよ? やれることはやっておけ、やりたいことも、やりたい子ともやっておけ、ってな! じゃ!」

「辰馬先輩、どこへ?」

「決まってるだろ、桔梗キキョウのとこだよ! 作戦前に一生分甘えてベタベタしたいからな!」


 清々すがすがしいまでにスケベ根性丸出しだったが、正直な人だと統矢は思った。おびえる自分を隠さないし、恐ろしいからこそ恋人を求めて、そのぬくもりに甘えたいのだ。それができたなら、きっと彼はそれなりに戦えると知っているのだろう。

 統矢は、自分はどうかなと考えてみる。

 千雪とれんふぁの裸体が脳裏に浮かび、慌てて彼は頭を左右に振った。

 回線を通してカタパルトの方から、轟音が響いたのはそんな時だった。


「なにか、機体が上がってきますね。あれは」

「ん、沙菊サギク改型伍号機かいがたごごうきだな……って、なんだありゃ!?」


 イエローのカラーリングも鮮やかな機体は、その各所が歴戦の古強者ふるつわものを思わせる。細かい傷が無数にあって、塗装も一部剥げかけていた。

 だが、統矢が驚いたのはそこじゃない。

 恐らく空間戦闘用の調整を行ったのだろうが、姿


「あれは……両脚をブースターに換装してるのか? 背部にもブースターとプロペラントタンク。完全に宇宙仕様だな」

「急造仕様の突貫工事みたいですが、今の沙菊さんなら使いこなせるかもしれませんね」

「……俺は前の、微妙にへっぽこだった沙菊の方が好きだったけどな」

「はい……」


 渡良瀬沙菊ワタラセサギクは変わってしまった。

 まるで別人で、それも一度死んで蘇ったに等しい。生き返る時に、今までの全てを捨ててきたような少女なのだ。もう、以前のような笑顔は見せてくれない。暗く濁った瞳には、憎しみと怒りが渦巻いている。

 そして、短期間で彼女は一流の兵士へと自分を作り変えた。

 大怪我の治療とリハビリ、そして過酷なトレーニングが沙菊を戦士にしたのだ。


「あ、発進するみたいですね。多分、航路索敵です。少し下がりましょう、統矢君」

「あ、ああ」


 素人しろうとが楽に扱えるよう、登場者である女子供と同じ人型をした陸戦兵器……パンツァー・モータロイド。通称はPMRだ。それが今、再び戦場を宇宙に移したことで、人のシルエットを完全に脱ぎ捨ててしまった。

 もともと、今の仕様の改型伍号機は砲戦特化型の機体だった。その背には、46cm砲が搭載されているのである。射撃時に姿勢を安定させるため、両腕は一回り大きく長い。そして今は、脚部も巨大なブースターユニットに換装されていた。

 異形の兵器と化した改型伍号機は、もはやカタパルトには乗らない。

 唯一自分を繋ぎ止めるケーブルが、高鳴るロケットモーターの轟音と共に張り詰めた。そして、グリーンのランプが灯ると同時に解除されて、飛び出してゆく。


「行っちまった……なんて推進力だ」

「あれは、ラスカさんが黙ってませんね」

「まあ、そうだろうなあ。でも、改型四号機かいがたよんごうきはもう改造の余地ないだろ。いじりすぎだ」

「安全マージンが全くない機体ですからね」

「よくまあ、あんなおっかないのに乗る気になるもんだ」

「いい子ですよ? アルレインは」

「アルレイン、か……」


 いよいよこれから、最後の作戦が始まる。

 勿論、統矢たちが宇宙へ上がったことで、新地球帝國の全軍が反乱軍の意図いとを察知したはずだ。つまり、次元転移での合流地点には、過酷な戦いが待っていることになる。

 天城は単艦で突入……否、特攻する。

 片道切符で進む先は、闘争の荒波で沸騰する戦いの星海そらだ。

 だが、波濤はとうを越えて進まねばならない。

 同じ地球人でありながら、統矢と連中とは相容れない存在だから。地球を守って異星人と戦うためとはいえ、平行世界の別の地球を犠牲にしていい理由などない。


「なあ、千雪……このあとだけど」

「あ、統矢君。私はれんふぁさんと先約がありますので」

「えっ? あ、えと、うん……そ、そうなのか」

「はい。あとは」

「あとは?」

「今の改型伍号機、凄くなかったですか!? 整備班にスペックを聞いてこなければいけません。私の【ディープスノー】にも、プロペラントタンクを増設してはいるんですが!」


 統矢はあきれると同時に、妙にホッとした。怜悧れいりな美貌のサイボーグ戦士は、ただのPMRオタクな女の子なのだった。

 そして、この時はまだ思いもしなかった。

 最後の作戦が発動するまでの間に、とんでもない大騒ぎが始まるなんて。

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