第8話「戦士たちの休息」

 それからの数日は、穏やかな日々が続いた。

 勿論もちろん摺木統矢スルギトウヤは多忙を極めたが、その全ては敵のいない戦い。言ってみれば、自分との戦いだ。

 兵士として、パイロットとしての体力維持に務める。

 規則正しく寝起きし、決められた運動をこなす。そして、機体の整備をして、シュミレーターでの戦闘パターン解析なんかにも参加する。

 深海をく密閉された軍艦の中では、ストレスのコントロールだって立派な仕事だ。

 だから今日も、熱心に愛機である97式【氷蓮ひょうれん】ラストサバイヴのメンテナンスに精を出していた。


「どうだい? 少年。Gx感応流素ジンキ・ファンクションの感度を少しあげてみたんだけどね」

「ああ、いい感じだ。でも、ちょっと過敏過ぎるかな」

「フッフッフ、フェンリルの拳姫けんきはもっとピーキーな仕上がりだけどねえ? あっちのあかいのもそう。よくあんな危ない仕様を乗りこなせるものだよ」

「俺を千雪チユキやラスカと比べないでくれよ、霧華キリカ


 丁度今、ケイジに固定された【氷蓮】のコクピットに統矢は座っていた。

 覗き込んでくるのは、御統霧華ミスマルキリカである。白衣姿の少女は、ニマニマと締まらない笑みを浮かべていた。どうやら佐伯瑠璃サエキラピス八十島彌助ヤソジマヤスケは、別の機体の整備で忙しいらしい。

 リレイヤーズと呼ばれる、大人への成長を忘れた子供たち。

 その正体は、平行世界の未来からやってきた、あのスルギトウヤと同じ時代の人間だ。


「統矢、君はどうも自分を過小評価しているようだね。戦闘データは見させてもらった」

「そ、そうか?」

「うん。はっきり言って、操縦技術はまだまだ伸びしろがある。言い換えれば、全然未熟だ。フェンリル小隊の中ではダントツに弱い」

「……ハ、ハイ」


 はっきり言ってくれる。

 だが、自覚もあるし、統矢だって日々の中で強くなっている。

 そして、霧華はさらに言葉を続けた。

 それも、ちょっと優しくくすぐるような声音で。


「けど、君はDUSTERダスター能力者だ。そして、その力が覚醒した時……同じ能力者である五百雀千雪イオジャクチユキよりも、圧倒的な反応速度を叩き出している。追い詰められた時だけ、常軌を逸した動きを見せてるね」


 それは褒められてるのか、それとも唯一の救いみたいなものなのか。

 複雑な心境だが、霧華は面白そうに話し続けた。


「悲観するなよ、少年。ボクはこれでも立派だと思ってるんだ。そして……DUSTER能力者だって人間だ。極限の集中力が未来さえ引き寄せるとしても……その力を使いこなすのは、生身の肉体を持った摺木統矢という男の子なんだからね」

「それは、つまり」

「自分を追い込む必要もないし、酷使も無用だ。まして、自ら危険な状況に飛び込むようなこともオススメしないね。それに……最近のデータは、能力を極力使わない動きに見える」


 そう、DUSTER能力にこだわっていては駄目だ。そして、頼り過ぎてもいけない。

 だから、最近の統矢は無駄な近接戦闘を避けるようにしていた。戦闘時は周囲をよく見て、仲間との連携も大事にする。その上で突撃したり、吶喊とっかんしたり……まあ、臨機応変にやってるつもりである。

 そして、データ上の数字はそれを裏付けてくれてるようだった。


「なあ、霧華」

「ん? なんだい?」

「あっちのスルギトウヤは……奴は、DUSTER能力は」

「……ふふ、彼はね」


 霧華は意味深に笑って、ぐっと身を乗り出してくる。


「トウヤは、DUSTER能力を持っていない。彼にはあの力は、目覚めなかった」

「どうして」

「どうして、だって? フン、盤上ばんじょうこまを操るように戦争を遊んでれば、命の危険にさらされることなどまれだ。そして彼は、常に安全な場所からレイルたちを動かしてる」

「……なるほど、な。道理だ」


 そんな話をしている間に、【氷蓮】のチェックが終わる。アビオニクス系を中心に、データの整理と最適化を行ったのだ。

 反応速度やなんかも上げてもらって、今の【氷蓮】はベストな状態だ。

 この天城あまぎの格納庫は、パンツァー・モータロイドの完全な整備が可能な環境である。無理をさせた時期もあったが、今日の愛機は装甲までピカピカに洗浄されている。


「さて、と。統矢、ガールフレンドがお待ちかねだね」

「えっ? ど、どっちの」

「自分で見給みたまえ。いいねえ、若いっていうのは」


 霧華はウンウンと勝手に納得しながら、チェックシートのたばを持って行ってしまった。

 追いかけるようにコクピットを這い出ると、周囲はなんだか浮かれている。作業員たちもパイロットも、大半の人員が移動中だ。

 そして、そんな中で統矢を見付けた少女がほがらかに笑う。


「あっ、統矢さんっ」

「れんふぁ。千雪は? それと、この騒ぎは」

「天城、さっきから浮上してるんですよぉ。甲板に出てもいいって、刹那ちゃんが」


 外の新鮮な空気が吸えるというのは、これはありがたい。どうしても艦内は、最新鋭の循環装置をフル稼働させても空気が濁る。火薬とオイルの臭いも、なかなか消えない。

 統矢も当然、久々に解放感を味わいたかった。


「よし、ちょっと行くか? おーい、千雪!」


 格納庫の億には、一回り大きなPMRパメラが駐機してある。既存の規格を外れているため、特別な整備状況に置かれている【ディープスノー】だ。

 深いあおたたえたその巨体からは、千雪の返事はない。

 どうやらもう、整備を終えているようだ。

 部屋に寄ってみるかと思い、統矢は作業着のポケットに手を突っ込むや歩き出した。当然のように、その腕にれんふぁが抱き着いてくる。

 その体温と柔らかさが、今はとても愛しくて、恋しくて。

 終わらぬ戦争を終らせる戦争、その合間の貴重なふれあいを統矢はいつくしんでいた。


「なんか、辰馬タツマさんは釣りをするんだって張り切ってましたあ」

「先輩、遊ぶことにかけては本気だからな。そっか、釣りもできるのか」

「他の方も沢山、工作室で釣り竿作ってましたよぉ。余った廃材とかで」

「そこから始めるのかよ、はは……いいよな、そういうのもないと本当に息が詰まっちまう」

「はいっ! あと、ちょっとですがお菓子や煙草たばこ、お酒も配られるって」


 人間はマシーンにはなれない。

 人間のままでは、絶対になれないのだ。

 心があるから、苦しい時や悲しい時がある。息抜きや娯楽が必要だし、調子の悪い時だって確実にやってくる。

 統矢はふと、一人の少女を思い出した。

 自分を忘れさせられた、宿敵……レイル・スルール。

 統矢のことを全く覚えていなくて、その驚きは不思議な悲しさとなって胸にくすぶっている。本当に戦うマシーンに作り変えられたみたいで、改めてトウヤへの怒りが燃え上がるのだ。


「むーっ、統矢さん?」

「ん、あ、ああ、どした?」

「今、難しい顔してました。シリアスなの、今は、めっ! ですよぉ」

「はは、悪い悪い。よし、上がろうぜ」


 何人かのクルーと一緒に、外へのハッチを通り抜ける。

 三重になっててエアロックも兼ねた出入り口の外は、まばゆい太陽が照っていた。海も穏やかで、澄んだ空気がとても気持ちいい。

 統矢を離れて歩み出たれんふぁが、んー! と全身で伸びをする。

 すらりとスレンダーな少女の輪郭が、より健やかな美しさで陽の光に輝いて見えた。

 野暮やぼったい作業着のツナギを着てても、れんふぁの可憐かれんさは損なわれていない。


「あっ、見てくださいっ。統矢さん、あそこ! イルカです、イルカッ!」

「ああ、今はどのあたりを航行してるんだろうな」

「もっと近くで見ましょうっ! 凄い沢山跳ねてます、凄いですよぉ~」

「こ、こら、引っ張るなって」


 大人たちも皆、久々の外界を満喫しているようだ。

 広い甲板では、既にテニスをしている人たちもいるし、煙草の煙をくゆらしている人もいる。悲壮感を覚悟で武装した反乱軍の、ほんの僅かな憩いの一時がここにはあった。

 だが、艦首方向の主砲が並ぶ甲板が騒がしい。

 人だかりができてて、自然と統矢はその先が気になる。


「統矢さんっ、行ってみましょう!」


 ガッシ! と腕にしがみついてきて、ぐいぐいとれんふぁは引っ張るように歩く。されるがままの統矢も、なんだか悪い気がしない。こういう恋人らしいことを、れんふぁにも千雪にも、もっと沢山してやりたいのだ。

 戦いばかりで浮ついたアレコレが不足してるのに、肌が肌を求めてしまう。

 明日にも消えるかもしれないからこそ、生命のまじわりを欲してしまうのだ。


「ん……? なんだ、千雪か。なにやってんだ?」

「もぉ、統矢さんっ! なんだ、じゃないですよぉ。ほら」

「ああ、空手か。かたをやってるんだな」

「綺麗ですね……流石さすがは統矢さんの、!」

「……え、千雪の彼女がれんふぁじゃなくてか?」

「ふっふっふ、千雪さんが彼女さんです。わたしの彼女さんでもあるのです」


 なんとなく、逆のイメージがある。

 統矢を愛してくれる二人が、お互いに好きあってることも知ってたし、とても嬉しい。けど、どっちかというと千雪が彼氏役の方がしっくりくる気がした。

 そんなことを思いつつ、千雪の姿に目を細める。

 誰もが見惚みとれる空手着の少女は、りんとした空気を放っていた。その所作しょさの一つ一つが、洗練された美しさをつむいでいる。静と動の、なめらかながらもメリハリのある技。拳が、蹴りが、その全てがまるで舞うように空を裂く。

 周囲の大人たちも、最後の技が終わるや拍手喝采に沸いていた。


「これにて、りょう……ッッッ!? み、皆さん、いつから見てたのですか? は、恥ずかしい、です」


 やっと周囲に気付いた千雪は、赤面しつつ統矢たちを見付けてくれた。

 照れながらもこちらに駆けてくる。


「よ、千雪。やっぱ、お天道様てんとうさまの下だと身体を動かすのは気持ちいいよな」

「千雪さぁん、素敵ですっ!」

「さ、最近、少し稽古けいこをサボっていたので。でも、なんだか恥ずかしいです」


 いつもの無表情も、ほお紅潮こうちょうさせて少しバツが悪そうだ。整った顔立ちで千雪は、海風に長い黒髪を遊ばせる。その横顔は、なんだかやっぱりとても綺麗に見えた。

 一騎当千のPMR乗りであると同時に、五百雀千雪は女の子なのだと思った。

 統矢の視線に気付いた千雪は、少しはにかむように目元を緩めるのだった。

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