第6話「渡良瀬沙菊を忘れた少女」
待ち受けていたのは、医務室でのメディカルチェックである。パンツァー・モータロイドの狭いコクピットは、その内部に圧縮されているだけでも過度のストレスとなる。
まして、戦闘中のパイロットたちが強いられる極限状況は、
統矢はいい意味で鈍感で、そのことをあまり感じたことはなかったが。
「ふう、やっと終わったか……僅かに精神的な疲労が見られる、って言われてもなあ」
統矢は今、自分用にあてがわれた士官室へと歩いていた。
狭い軍艦の通路は、忙しそうに反乱軍の水兵たちが行き来している。すれ違うのもやっとの廊下もあって、その都度交わす敬礼もなんだか少し息苦しさを感じた。
だが、向かう先の曲がり角から、まるで花が咲いたような笑顔が現れる。
「あっ、統矢さんっ。お疲れ様ですっ!」
「おう、れんふぁ。そっちは?」
「【
ぽてぽてと駆け寄ってくる彼女は、エヘヘと照れつつ統矢の腕に抱き付いた。
実は、統矢たちが反乱軍になってからは、以前よりパートナーとの交際がオープンな雰囲気になった。そしてそれは、他の兵士たちも同様だ。
あの
参加する誰もが、明日をも知れぬ命……次の瞬間には、死ぬかもしれない。
兵の士気のためにも、比較的おおらかな処置が取られているのである。
「これからご飯ですか? あの、
「千雪は
「じゃあ、お夕飯はみんなで食べられますねっ」
れんふぁは作業着のツナギ姿で、はだけた胸元から白いシャツが
努めて意識しないようにしつつ、統矢は歩く。
すると、目の前に奇妙な光景が近付いてきた。
最初に声をあげたのは、れんふぁだ。
「あれ、千雪さんだ。ラスカちゃんも……おーいっ、二人ともーっ。お疲れ様ですぅ」
そう、振り返る少女たちは、
なにごとかと思ったが、とりあえず統矢は口を
そのまま近付けば、千雪が小声で教えてくれる。
「統矢君、医務室ではどうでしたか?」
「ちょっと疲れてる程度だ。それより、なにやってんだよ。あ、この部屋って」
「静かに。大きな声を堕してはいけません、統矢君」
二人は、とある部屋の入口にピタリと張り付いてる。
小さくドアが開いていて、その中から少女たちの声が聴こえていた。聞き耳を立てれば、その言葉の内容まではっきり聞こえそうである。
そして、この部屋は千雪の兄である
ドアにかじりついていたラスカが、振り向くなり統矢を見上げてくる。
「いいから黙んなさいよ! バレちゃうわ」
「いい趣味とは思えないけどな、って、れんふぁ? おいおい、お前まで」
「ラスカちゃん、なになに? なにかあったんですかぁ?」
やれやれと肩を
今、ベッドに腰掛けた桔梗と一緒にいるのは……意外にも、
その平坦な声が、中から聴こえてくる。
「その、辰馬隊長はこのあとすぐにブリーフィングでありまして。それを伝えて欲しいと言われただけであります」
「そう、ありがとうございます。お茶くらい飲んでいってください、沙菊さん。せっかく
「いや、えっと……で、では、いただきますであります」
桔梗はいつでも優しくて、誰にとっても姉のような存在だ。
彼女自身もまた、パラレイドとの永久戦争で多くを失い、一生忘れられない
それも全て、平行世界からやってきたもう一人の統矢……スルギトウヤ大佐の仕業だ。
だが、彼女は
その理由を、意外にも沙菊が桔梗に聞いているところだった。
「桔梗殿は、どうして……過酷な状況の中で生き残れた……生き続けようと思ったでありますか?」
「そうね……ふふ、だって、お腹にあの人の赤ちゃんがいるんですもの。この子を守るためなら、例え泥をすすってでも生きなきゃって思ったんです。それに」
「それに?」
「辰馬さんは必ず、みんなと助けに来てくれる。そう、信じてました。そして本当に、あの人は来てくれた……沙菊さんも一緒に、私を助けてくれたんです」
これから母親になる少女は、そのゆったりとした声にも芯の強さを感じさせた。
その彼女が「こっちに来てください、沙菊さん」と
「ちょっと、お腹に触ってみてください。まだ安定期ではありませんが……ここに、私とあの人との赤ちゃんがいるんです」
「……し、失礼するであります」
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ? ふふ」
「い、いえ、怖がってはいないのですが」
ちらりと中を覗き見る。
そこには、失われた昔の沙菊が、ほんの少し感じられた。
相変わらずホットパンツ姿に、素肌のままでボロボロのコートを着ている。その全身にはおびただしい傷跡がある。でも、この瞬間の沙菊の横顔には、昔の
彼女は桔梗のお腹に手を当て、僅かに目を細める。
「沙菊さん、私はもう
話せることだけでいいんです、と言う桔梗に、統矢の背後でもウンウンと全員が
勿論、統矢だって知りたい。
今の沙菊は、まるで別人だ。
あの日、数ヶ月前……月での死闘で沙菊が死んでしまったかのような喪失感だけがある。それほどまでに、今の沙菊は痛々しく、全身から発散する憎悪と殺意は刺々しい。
その彼女が、桔梗のお腹を撫でながら小さく
「……三分」
「えっ? 沙菊さん、それは」
「自分のあの時の、残存酸素であります。月の大空洞での戦闘のあと、自分は大破した【
統矢には、その時の記憶が少しだけ
セラフ級パラレイドとの戦いで敗北し、愛機【
だが、れんふぁの機転と奇跡が彼を救った。
奇跡は
会ったこともない、別の世界線で戦い続けた、もう一人のチユキによって。
「宇宙空間の闇を漂っていた時であります。自分はパニックに陥りかけていたでありますが、酸素の残量が三分を切った時」
「……助けが来たのですね?」
「いえ、友軍の小型艇……の、残骸に遭遇したであります。……乗組員は全滅、そこは死ばかりでした。自分は……死体から酸素を奪い、助けを待ったであります」
文字通り、絶体絶命のサバイバルだった。宇宙での遭難は、絶望的な生還率である。
沙菊は必死で、死体のスーツから酸素パックを回収し、飢えと寒さに耐えながら助けを待った。自分でも、どれだけの時間を漂流していたかは覚えていないという。
だが、彼女は運良く助けられた。
それも、桔梗のように新地球帝國にではなく、友軍にである。
「暗い真空の中で、自分は自我を保つために復讐を誓ったであります。そして、死地でもしやと……この憎悪を強さに変える、あの力が手に入るのではと思っていたであります」
――
死地から生還した人間の、
だが、静かに沙菊は首を横に振り、桔梗のお腹から手を離した。
「帰還後、御堂刹那特務三佐に頼み込んで、特殊訓練プログラムを受けたであります。怪我の治療よりも、肉体の強化を優先……しかし、自分にはDUSTER能力は生まれなかったでありますよ」
「そう……沙菊さん」
「あ、いえ、忘れてほしいであります。今の自分は、奴らと戦えればそれで十分でありますからして。それに、こうしていると……失うばかりではなかったと思えるであります」
ベッドに座っていた桔梗は、立ち上がった。そして、そっと沙菊を胸に抱き締める。
その光景を最後に、統矢たちはドアから離れた。
戦いは、人を変えてゆく。
それも、落ちては行けない闇へと引きずり込んでゆくのだ。
だからこそ、統矢たちは戦わなければならない。
自分以外の人間を、普通の人たちをこの地獄に向かわせてはならないから。
「……飯、行くか」
「ええ、そうしましょう。れんふぁさんも、ついでにラスカさんも」
「ちょっと! なんでアタシがついでなのよ! ……沙菊の奴、ムカつくわ。アタシ決めた、アイツのヘラヘラした顔が戻ってくるまで、絶対に連中を許さない」
いつになく真剣な表情で、ラスカは食堂へと大股出歩き出す。
その小さな背を追い、統矢も心に誓った。
沙菊だけではない……パラレイドとの長き戦乱の世は、この地球のあらゆる人間を徹底的に打ちのめした。奪われ、痛めつけられた人たちの心は荒んでいる。
統矢は
だから、その心を
だが、流血を
今こそ我が身を
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