第6話「渡良瀬沙菊を忘れた少女」

 摺木統矢スルギトウヤたちフェンリル小隊の全員を収容し、再び航宙戦艦天城こうちゅうせんかんあまぎは海中へと潜航した。

 待ち受けていたのは、医務室でのメディカルチェックである。パンツァー・モータロイドの狭いコクピットは、その内部に圧縮されているだけでも過度のストレスとなる。

 まして、戦闘中のパイロットたちが強いられる極限状況は、筆舌ひつぜつがたい。

 統矢はいい意味で鈍感で、そのことをあまり感じたことはなかったが。


「ふう、やっと終わったか……僅かに精神的な疲労が見られる、って言われてもなあ」


 統矢は今、自分用にあてがわれた士官室へと歩いていた。

 狭い軍艦の通路は、忙しそうに反乱軍の水兵たちが行き来している。すれ違うのもやっとの廊下もあって、その都度交わす敬礼もなんだか少し息苦しさを感じた。

 だが、向かう先の曲がり角から、まるで花が咲いたような笑顔が現れる。


「あっ、統矢さんっ。お疲れ様ですっ!」

「おう、れんふぁ。そっちは?」

「【樹雷皇じゅらいおう】の調整、ほぼ終わってます。いつでも合体できますよっ」


 更紗サラサれんふぁの笑みは今日も、優しくて温かい。

 ぽてぽてと駆け寄ってくる彼女は、エヘヘと照れつつ統矢の腕に抱き付いた。

 実は、統矢たちが反乱軍になってからは、以前よりパートナーとの交際がオープンな雰囲気になった。そしてそれは、他の兵士たちも同様だ。

 あの御堂刹那ミドウセツナが、軍規を緩めて反乱軍の中にある程度の自由を許しているのだ。

 参加する誰もが、明日をも知れぬ命……次の瞬間には、死ぬかもしれない。

 兵の士気のためにも、比較的おおらかな処置が取られているのである。


「これからご飯ですか? あの、千雪チユキさんや皆さんは」

「千雪は義体ぎたいの調整があって、別室さ。けど、先に終わってるはずだ」

「じゃあ、お夕飯はみんなで食べられますねっ」


 れんふぁは作業着のツナギ姿で、はだけた胸元から白いシャツがのぞいている。ささやかな胸の膨らみも、押し当てられると確かな柔らかさとぬくもりが感じられた。

 努めて意識しないようにしつつ、統矢は歩く。

 すると、目の前に奇妙な光景が近付いてきた。

 最初に声をあげたのは、れんふぁだ。


「あれ、千雪さんだ。ラスカちゃんも……おーいっ、二人ともーっ。お疲れ様ですぅ」


 そう、振り返る少女たちは、五百雀千雪イオジャクチユキとラスカ・ランシングだ。いつもはあまり馴れ合わない二人が、揃ってくちびるに人差し指を立てる。

 なにごとかと思ったが、とりあえず統矢は口をつぐんだ。

 そのまま近付けば、千雪が小声で教えてくれる。


「統矢君、医務室ではどうでしたか?」

「ちょっと疲れてる程度だ。それより、なにやってんだよ。あ、この部屋って」

「静かに。大きな声を堕してはいけません、統矢君」


 二人は、とある部屋の入口にピタリと張り付いてる。

 小さくドアが開いていて、その中から少女たちの声が聴こえていた。聞き耳を立てれば、その言葉の内容まではっきり聞こえそうである。

 あきれた話で、千雪とラスカは盗み聞きしているのだ。

 そして、この部屋は千雪の兄である五百雀辰馬イオジャクタツマが、パートナーの御巫桔梗ミカナギキキョウと使っている場所だ。

 ドアにかじりついていたラスカが、振り向くなり統矢を見上げてくる。


「いいから黙んなさいよ! バレちゃうわ」

「いい趣味とは思えないけどな、って、れんふぁ? おいおい、お前まで」

「ラスカちゃん、なになに? なにかあったんですかぁ?」


 やれやれと肩をすくめつつも、統矢だって気にならないと言えば嘘になる。それは、千雪が中にいる少女のことを教えてくれたからだ。

 今、ベッドに腰掛けた桔梗と一緒にいるのは……意外にも、渡良瀬沙菊ワタラセサギクだった。

 わずか数ヶ月で豹変してしまった、凍れる殺人マシーンのような後輩の少女。いつもフンスフンスとあとをついてきた、明るい笑顔はもうそこにはなかった。

 その平坦な声が、中から聴こえてくる。


「その、辰馬隊長はこのあとすぐにブリーフィングでありまして。それを伝えて欲しいと言われただけであります」

「そう、ありがとうございます。お茶くらい飲んでいってください、沙菊さん。せっかくれたんですし……ふふ、今は茶葉だって結構な高級品なんですよ?」

「いや、えっと……で、では、いただきますであります」


 桔梗はいつでも優しくて、誰にとっても姉のような存在だ。

 彼女自身もまた、パラレイドとの永久戦争で多くを失い、一生忘れられないきずきざまれた身だ。さらには、新地球帝國しんちきゅうていこくが正体を現してからは、想像を絶するはずかしめを受けている。

 それも全て、平行世界からやってきたもう一人の統矢……スルギトウヤ大佐の仕業だ。

 だが、彼女は恥辱ちじょくに塗れても生き残る道を選んだ。

 その理由を、意外にも沙菊が桔梗に聞いているところだった。


「桔梗殿は、どうして……過酷な状況の中で生き残れた……生き続けようと思ったでありますか?」

「そうね……ふふ、だって、お腹にあの人の赤ちゃんがいるんですもの。この子を守るためなら、例え泥をすすってでも生きなきゃって思ったんです。それに」

「それに?」

「辰馬さんは必ず、みんなと助けに来てくれる。そう、信じてました。そして本当に、あの人は来てくれた……沙菊さんも一緒に、私を助けてくれたんです」


 これから母親になる少女は、そのゆったりとした声にも芯の強さを感じさせた。

 その彼女が「こっちに来てください、沙菊さん」と微笑ほほえむ気配が伝わってくる。この部屋だけは今、戦争という現実から切り取られたかのように温かく感じられた。


「ちょっと、お腹に触ってみてください。まだ安定期ではありませんが……ここに、私とあの人との赤ちゃんがいるんです」

「……し、失礼するであります」

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ? ふふ」

「い、いえ、怖がってはいないのですが」


 ちらりと中を覗き見る。

 そこには、失われた昔の沙菊が、ほんの少し感じられた。

 相変わらずホットパンツ姿に、素肌のままでボロボロのコートを着ている。その全身にはおびただしい傷跡がある。でも、この瞬間の沙菊の横顔には、昔の面影おかげがあった。

 彼女は桔梗のお腹に手を当て、僅かに目を細める。


「沙菊さん、私はもうPMRパメラに乗って戦うことができません。だから……せめて、貴女あなたの悩みを聞いてあげられたらと思って。……月で、なにがあったんですか?」


 話せることだけでいいんです、と言う桔梗に、統矢の背後でもウンウンと全員がうなずいた。

 勿論、統矢だって知りたい。

 今の沙菊は、まるで別人だ。

 あの日、数ヶ月前……月での死闘で沙菊が死んでしまったかのような喪失感だけがある。それほどまでに、今の沙菊は痛々しく、全身から発散する憎悪と殺意は刺々しい。

 その彼女が、桔梗のお腹を撫でながら小さくつぶやいた。


「……三分」

「えっ? 沙菊さん、それは」

「自分のあの時の、残存酸素であります。月の大空洞での戦闘のあと、自分は大破した【幻雷げんらい改型伍号機かいがたごごうきと共に宇宙へ吸い出されました。飛び散った破片で、自分も全身に負傷を負ったであります」


 統矢には、その時の記憶が少しだけ曖昧あいまいだ。

 セラフ級パラレイドとの戦いで敗北し、愛機【氷蓮ひょうれん】セカンドリペアを破壊された。継ぎ接ぎの倉庫を引っ剥がされ、完全に擱座する寸前だった。

 だが、れんふぁの機転と奇跡が彼を救った。

 奇跡はすでに、れんふぁにたくされていたのだ。

 会ったこともない、別の世界線で戦い続けた、もう一人のチユキによって。


「宇宙空間の闇を漂っていた時であります。自分はパニックに陥りかけていたでありますが、酸素の残量が三分を切った時」

「……助けが来たのですね?」

「いえ、友軍の小型艇……の、残骸に遭遇したであります。……乗組員は全滅、そこは死ばかりでした。自分は……死体から酸素を奪い、助けを待ったであります」


 文字通り、絶体絶命のサバイバルだった。宇宙での遭難は、絶望的な生還率である。

 沙菊は必死で、死体のスーツから酸素パックを回収し、飢えと寒さに耐えながら助けを待った。自分でも、どれだけの時間を漂流していたかは覚えていないという。

 だが、彼女は運良く助けられた。

 それも、桔梗のように新地球帝國にではなく、友軍にである。


「暗い真空の中で、自分は自我を保つために復讐を誓ったであります。そして、死地でもしやと……この憎悪を強さに変える、あの力が手に入るのではと思っていたであります」


 ――DUSTERダスター能力。

 死地から生還した人間の、極稀ごくまれに発現する恐るべき力だ。

 だが、静かに沙菊は首を横に振り、桔梗のお腹から手を離した。


「帰還後、御堂刹那特務三佐に頼み込んで、特殊訓練プログラムを受けたであります。怪我の治療よりも、肉体の強化を優先……しかし、自分にはDUSTER能力は生まれなかったでありますよ」

「そう……沙菊さん」

「あ、いえ、忘れてほしいであります。今の自分は、奴らと戦えればそれで十分でありますからして。それに、こうしていると……失うばかりではなかったと思えるであります」


 ベッドに座っていた桔梗は、立ち上がった。そして、そっと沙菊を胸に抱き締める。

 その光景を最後に、統矢たちはドアから離れた。

 戦いは、人を変えてゆく。

 それも、落ちては行けない闇へと引きずり込んでゆくのだ。

 だからこそ、統矢たちは戦わなければならない。

 自分以外の人間を、普通の人たちをこの地獄に向かわせてはならないから。


「……飯、行くか」

「ええ、そうしましょう。れんふぁさんも、ついでにラスカさんも」

「ちょっと! なんでアタシがついでなのよ! ……沙菊の奴、ムカつくわ。アタシ決めた、アイツのヘラヘラした顔が戻ってくるまで、絶対に連中を許さない」


 いつになく真剣な表情で、ラスカは食堂へと大股出歩き出す。

 その小さな背を追い、統矢も心に誓った。

 沙菊だけではない……パラレイドとの長き戦乱の世は、この地球のあらゆる人間を徹底的に打ちのめした。奪われ、痛めつけられた人たちの心は荒んでいる。

 統矢は幼年兵ようねんへい、兵士だ。

 だから、その心をやすことはできない。

 だが、流血をいる諸悪の根源を叩くことはできる。

 今こそ我が身をおのに変えて、戦争の縛鎖ばくさを断ち割る時……強くそう思うのだった。

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