第4話「狂乱の熾天使」

 激震に揺れる凍土が、音を立てて崩れ始める。

 海中からなにかが、分厚ぶあつい氷を突き破って天に舞った。

 機体を安定させながら、摺木統矢スルギトウヤはその影を目で追った。敵影は二つ、飛翔体だ。それが今、全身をほどいたメタトロン・ヴィリーズに吸い込まれてゆく。

 青と金色に塗られた、どこかエポックメイキングなカラーリング。

 二つの熱源は上半身と下半身に変形し、メタトロンのコアブロックを挟み込む。

 そこには、生まれ変わった断罪の熾天使セラフが浮かび上がっていた。


『合体完了……メタトロン・ヴィリーズツー

「なっ、また全身を換装した!? しかも、この出力は」


 ビリビリと震えるコクピットに、愛機97式【氷蓮ひょうれん】ラストサバイヴの全センサーが訴えてくる。今までとは桁違いの反応は、この場の全てのパンツァー・モータロイドを凌駕りょうがしている。

 戦場の空気が、戦慄に凍りついた。

 恐怖がもたらす震えは、絶対零度の氷嵐さえも生温なまぬるく感じさせた。

 すぐに、側の【ディープスノー】から五百雀千雪イオジャクチユキが声をかけてくれる。


『統矢君、ここは私が……統矢君は兄様たちと脱出路の確保を』

「いや……俺がやる。俺がやらなきゃいけない。様変わりしちゃってるが、あれはレイルだ。俺と戦えば、なにかがわかるかもしれないし、正気を取り戻すことだって」

『それで死なれたら、私……泣きます、よ?』

「はは、そりゃ困るな。ちょっと想像できないけど」

『……その言いようは、怒ります』


 そんな会話の中でも、きっと千雪は涼しい無表情だ。

 頼もしくもあり、愛しくもある。

 そんな彼女と仲間たちと、必ず母艦へ帰る。待ってくれている人が……もう一人の恋人、更紗サラサれんふぁが待っていてくれるから。


「よし、グラビティ・エクステンダー起動! 千雪、お前の力を借りるぞ!」

『了解です、統矢君。グラビティ・ケイジ再配分、調整』


 【氷蓮】の背に、小さな翼状のユニットが屹立する。

 それは、僚機のグラビティ・ケイジを借りることで、180秒だけのパワーアップを果たす特殊兵装だ。たった180秒だけだが、【氷蓮】の力は何倍にも跳ね上がる。

 迷わず統矢は、短期決戦であおい重力場の翼を羽撃はばたかせた。

 目の前でメタトロンも、手にしたライフルをこちらへと向けてくる。

 ビームが放たれ、苛烈かれつ光条こうじょうが【氷蓮】をかすめた。


「レイル・スルールッ! まだ出てくるというのなら!」

『トウヤ様の名を汚す、重犯罪人……処刑する!』

「俺は、俺が! この世界では、この俺が摺木統矢だ!」

『その声さえも似ている……許せない! 死ね、トウヤ様のデッドコピー!』


 話が通じない。

 激しく位置を入れ替え、空中の闘技場でぶつかり合う。

 一進一退の攻防の中で、統矢は奇妙な違和感を感じていた。

 レイルは常に、戦場で自分を狙ってきた。彼女にとっては、新地球帝國しんちきゅうていこくのスルギトウヤ大佐こそが全てなのだ。それは以前と変わらない。

 だが、同時に彼女は知ったはずだ。

 触れ合い、言葉を交わして互いに知り得た。

 相容れぬ悲しさと同時に、真実を分け合ったのだ。


「お前たちは次元転移ディストーションリープで、この世界線にやってきた! 自分とこの戦争を続けるために、人んちに戦争を持ち込んだ!」

『全ては地球のため、人類を異星人から守るためだ!』

「そういうのはなあ……自分とこでやれって、言ってる!」

『トウヤ様の崇高な理念を理解せぬばかりか、その顔や声、名前を盗んだ反逆者! それがお前だ! 愛するトウヤ様のために今、ボクがこの手で殺してやるっ!』


 明らかにおかしい。

 そのことに、周囲の無人機、アカモート級やアイオーン級を処理する仲間たちも口を挟んできた。


『統矢殿、あれは以前のレイル・スルール大尉とは別人のようであります。様変わりしてしまったでありますからして』

『ちょっと沙菊サギク! 今のアンタが言うんじゃないっての! で、どうする? アタシも手伝おうか、統矢?』

『まあまあ、沙菊。ラスカも。俺たちは自分の仕事をこなすぞ。このまま陽動しつつ離脱に備えろ。千雪! そっちはお前が頼むな! ついでにお兄ちゃんたちも守ってくれよん?』


 相変わらず、五百雀辰馬イオジャクタツマの声は軽やかで、ともすれば軽薄だ。

 仲間たちの戦いぶりはいつも通りで、いつも以上に戦果をあげている。

 ならばと統矢も、目の前のメタトロンへと集中力を高めた。

 あっという間に、脳裏に無数の可能性が全く。

 自分でも驚くほどの、自明……あらゆる未来を掌握してゆく感覚。

 だが、それを相手もまた得ている。

 長い長い180秒は、既に半分を切っていた。DUSTERダスター能力者同士の戦いは、互いに決定打を欠いたまま加速してゆく。まさに、相手の未来を奪い合うような攻防が、一瞬で無数に交わされていた。

 だが、その均衡が突如として崩れる。


『反乱軍の偽物は、倒す! 今日、ここで! このっ、ボクが!』


 メタトロンが両手を広げて、突如とつじょとして下がる。

 絶え間ない攻防が途切れて、油断なく統矢も【グラスヒール・アライズ】を構え直した。

 そして、信じられない光景に機体が揺れる。


「な、なにっ……高度が? 落ちてる、ってのは……グラビティ・ケイジが、弱くなっている? 千雪っ!」

『こっちでも確認しています。これは……【ディープスノー】の力が、吸われて』


 メタトロンの背に、黒い翼が広がった。

 それは、肉眼ではっきり見えるほどに強い重力場。そう、グラビティ・ケイジだ。それは今、【氷蓮】は勿論もちろん、千雪の【ディープスノー】からも吸い上げられている。

 恐るべきことに、ヴィリーズⅡへと進化したメタトロンは敵の力を奪う。

 どうやら、対象のグラビティ・ケイジを引き剥がし、自分の力に変えることができるようだ。


「くそっ、飛んでいられなくなるっ! 時間も、もう」

『これがグラビティ・イーターだ……さあ、偽りのトウヤ様に、死を!』


 巨大な翼がひるがえる。

 メタトロンは、そのまま腕部から飛び出した剣の柄を握った。

 迸る粒子が刃を形成して、光の剣が突きつけられる。

 なんとか着地して体勢を整えつつ、振り下ろされた一撃を受け止める。零分子結晶ゼロぶんしけっしょうの刀身が、激しい火花を散らしてビームを撹拌かくはんした。

 並の刀身ならば、溶断されている。

 現代科学は勿論、敵の技術力でも解析できぬ【グラスヒール・アライズ】だからこそ、耐えきれたのだ。そして、上手く大剣で流して捌き、統矢は距離を取った。

 だが、状況は最悪だ。


「クソ……グラビティ・ケイジが使えないと、飛べない。脱出だって」

『どうした? 偽物としての罪におののいているのか? 今更だな! ボクは、許さない……トウヤ様を騙るなんて、絶対に許さない!』


 恐るべき速さで、メタトロンが踏み込んでくる。

 統矢は瞬時に、剣を振り上げ正面から受け止めた。

 すぐ目の前に、メタトロンのツインアイが迫る。小型化されて尚、メタトロンはPMRパメラよりも大きい。のしかかってくるようなプレッシャーは今、レイルの怒りにあおられるように翼を明滅させていた。

 だが、そんな時だった。

 不意にメタトロンの背後へ影が忍び寄る。

 それは、身を低く突進する千雪の【ディープスノー】だった。


『私もDUSTER能力者……なら、読み合えてる筈ですね。――そこです!』


 背後から、渦巻く空気をまとった正拳突きが放たれる。

 だが、驚いたことにメタトロンは避けた。

 咄嗟とっさに上下に分離し、そのまま【氷蓮】を上半身だけで押し倒す。

 千雪の【ディープスノー】には、下半身が壁となって立ち塞がった。

 恐るべきは、レイルの力量、そしてパイロットとしての技量だ。同じDUSTER能力者が二人がかりでも、今のメタトロンは全く動じた様子を見せない。

 それでも、小さな変化を統矢は見逃さなかった。


「助かった、千雪! それと……その、グラビティ・イーターってのは、合体してる時じゃないと作動しないようだな! レイルッ!」

小癪こしゃくな……ボクの分離回避が読まれていた? いや、奴らはそこまでは……ヴィリーズⅡの機体構造データだって、知ってる筈が』

「動きが鈍った? チャンスだ! けど、今は全員で生き残るっ!」


 千雪の【ディープスノー】から発するグラビティ・ケイジが、復活した。やはり、今のメタトロンは分離すると、グラビティ・イーターの効果を維持できないらしい。

 慌てて再合体しようとする姿から、辰馬の合図で皆が距離を取った。

 そろそろ潮時、あとは脱出するだけだ。

 だが、統矢は皆を振り返って叫ぶ。


「レイルは俺が抑える! 辰馬先輩、まずはみんなと脱出を! ……さあ、レイル。やるってんならとことんやってやる……ん、なんだ? レイル?」


 再び合体したメタトロンは、わなわなと怒りに震えるように立ち尽くしている。その機体挙動は明らかにおかしい。

 そして、回線の向こう側から悲痛な声が響き渡った。


『トウヤ様の、ために、グッ! あ、あがが……頭、が! 何故なぜ、っ! ああああっ! 統矢、助け、て……これ、じゃ……トウヤ様の、ために、たた、か、え――』

「レイル! お前……なにをされた! どうなっちまったんだ!」

『黙れ、まがものがっ! トウヤ様の名をかたるなんて……あの、優しい、統矢が、トウヤ様なら、ぐ、かああああっ!』


 突如、メタトロンは手にしたライフルを落とした。

 そのまま、両手で頭部をかきむしるように抱えて倒れる。

 先程のプレッシャーは、もうない……統矢には、コクピットで震えるレイルの姿が手にとるようにわかった。知りたくなくても伝わってくる、それほどまでに苦しげな声は切実に響いていた。

 終始迷い、武器を愛機に構えさせ……諦め、大きく距離を取る。


「撤退するっ、千雪! 下がるぞ!」

『了解です、統矢君。ふふ……トドメ、ささないんですね』

「明らかに様子が変だった。あいつは、今のあいつは……俺には、殺せない」

『いいと思います。統矢君のそういうとこ、好きですから』

「……茶化すなよ」


 全員で【ディープスノー】のグラビティ・ケイジに包まれ、ぶ。

 氷塊の上に取り残された熾天使を、一度だけ統矢は振り返り……そのまま二度と再会がないように祈って風に乗るのだった。

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