第2話「雪は舞い、氷は輝く」

 風が、んだ。

 相変わらず刺すように痛い冷気は、摺木統矢スルギトウヤの身を凍えさせてくる。

 だが、となりを見上げれば、ハンドルを握る五百雀千雪イオジャクチユキは前だけを見て走っていた。二人を乗せたサイドカー付きの大型二輪は、真っ直ぐに目的地へと向かう。

 白い息をはずませ、千雪が呟くように口を開いた。


「統矢君、雪です」

「ん、ああ。珍しいな……こんなに穏やかな」

「ええ」

「ずっと嵐ばっかりだったもんな」


 しんしんとただ、雪は降り積もる。

 白銀に染まる世界さえ、さらに漂白していくかのように。

 だが、そんな白無垢しろむくの大自然を、これから統矢は血に染める。そう、襲い来る無人兵器群はパラレイドだった時のまま。しかし、そのあとには必ず人間が乗ったエンジェル級が襲ってくるはずだ。

 相手は、人間。

 違う世界線、平行世界の地球から来た未来人だ。

 だからといって、奴らの野望を許す訳にはいかない。

 この世界の摺木統矢として、スルギトウヤ大佐の妄念もうねんを打ち砕かなければいけなかった。

 やがて、前方に小高い山並みが見えてきた。


「偽装解除、ゲートに入ります」


 千雪が取り出したのは、あのタブレットだ。

 更紗サラサりんなの形見で、統矢の宝物。そして、統矢の愛する少女を救ってくれた物でもある。いつからかこのタブレットは、千雪やれんふぁと一緒に使う、三人のパーソナルな共有財産になっていた。

 あの北海道での戦いは、統矢をこの小さな携帯端末に閉じ込めてしまった。

 毎日、タブレットの中に復讐の未来予想図を描いていたのだ。

 だが、そんな彼を引っ張り出してくれたのは、今も隣にいてくれる千雪である。


「統矢君? ……私の顔に、なにかついてますか?」

「いや? ただ、ながめてた」

「ふふ、おかしな統矢君ですね。まあ……顔にも自信がありますので、存分に。……統矢君の、私、です、から」


 自分で言ってて照れたのか、千雪は淡雪あわゆきのような白い顔をわずかに赤らめた。

 前方の山が消失したのは、そんな時だった。

 海底基地の出入り口である、ゲートを隠すための立体映像が消えたのだ。その奥から、大きく42と書かれた鋼鉄の扉が現れる。氷海である北極の海底基地へと伸びる、巨大エレベーターの出入り口だ。

 その周辺にはすでに、見慣れたパンツァー・モータロイドが展開していた。

 統矢の【氷蓮ひょうれん】と千雪の【ディープスノー】、そして【幻雷げんらい】の改型かいがたが複数機……ようやく青森校区あおもりこうく戦技教導部せんぎきょうどうぶ、フェンリル小隊がほぼ勢揃いした形になった。

 唯一、妊娠のため非戦闘員となった御巫桔梗みかなぎききょう改型弐号機かいがたにごうきのみ、姿が見えない。

 サイドカーが停止すると、すぐに隊長格の少年が駆け寄ってきた。


「よぉ、統矢。デートはどうだった? うちの愚妹ぐまいだけじゃなく、れんふぁちゃんも連れ出してやれよ?」

「そっちこそどうなんですか、辰馬タツマ先輩」

「んー、ナイショ! ハッハッハ、いやもうなんてーの? 新婚生活ってなぁ、それはもう……ウハハ! ウハハハハ!」

「顔、やばいですよ。あと、千雪がとても残念そうな顔でにらんでるんですけど」


 千雪の兄、五百雀辰馬イオジャクタツマはニヤケまくっていた。

 いつもの無表情だが、千雪はカミソリのような視線をジト目から送っている。

 辰馬は、顔は二枚目、中身は三枚目、そしてパイロットとしての腕は超一流だ。統矢にとっても頼れる仲間で、優れた指揮能力をも持ち合わせている。

 彼は今、いわくつきの暴れ馬である改型零号機かいがたゼロごうきを愛機としていた。

 周囲の雪を拒むように、漆黒の機体がスキンテープで包帯のように補強されている。それに乗る辰馬もまた、いまだに体中包帯だらけだった。


「こっち側は俺たちだけで守る。せいぜい時間を稼げて、二時間か三時間……そのあとは、天城あまぎとの合流地点まで撤退だ。千雪の【ディープスノー】がやられっと、グラビティケイジに乗っかって飛ぶことができねえから気をつけろ、な?」

「はい」

「心得てます、兄様。私、無敵ですのでご心配なく」


 わざとらしく、辰馬がヒュー! と口笛を吹いた。

 彼にとって千雪は、かわいげがないけど可愛い妹である。その兄妹愛きょうだいあいは、統矢が想像するよりずっと強い。目に見えぬ信頼関係は、両者が互いを認め合っているからだ。

 だが、千雪は時々兄に対して辛辣りんらつだ。


「兄様は指揮官、私たちの旗機ききです。あまり前に出ないでくださいね」

「へいへい! そのでっかい尻を眺めながら、後ろでのんびりやらせてもらうさ」

「いやらしい目で見るなら潰しますので」

「おー、怖いっ! なあ統矢、こんな愚妹のどこにれたんだ? 今からでもれんふぁちゃん一本に絞ったほうがいいぜ?」


 チラリと千雪に見られて、統矢は苦笑するしかない。

 選べないし、選ばない。

 どちらか一人という法は、常に人類同盟じんるいどうめい各国に厳然として存在している。だが、国家が国民を守る時代が終わり、パラレイドと呼ばれていた者たちが世界を支配してしまったのだ。それ以前にもう、パラレイドとの永久戦争が始まった時点で……世界はほころび、平穏な日常での節度やモラルは薄れて久しい。

 統矢は、千雪と愛し合った。

 れんふぁとも、同じく愛を交わした。

 千雪とれんふぁもまた、同じ愛を持つ者同士のきずながある。

 だから、これからのことを今は考えず、今だけはこのまま愛を育みたい。

 そうは思ってても、照れ臭くて口には出せない統矢だった。

 そんなことを思っていると、不意にハスキーな声が叫ばれる。


「ちょっと、アンタたち! なによ、ピクニック気分て訳!? 敵が来たわ、数は……えっと、沢山! いっぱいよ! 早く機体に乗って!」


 ラスカ・ランシングの声だ。

 彼女は身を乗り出していた矮躯わいくを引っ込め、コクピットのハッチを閉じる。真っ赤な改型四号機かいがたよんごうきは、片膝かたひざを突いた状態から立ち上がった。

 今回は、残念ながらアンチビーム用クロークを装備していない。

 ビーム兵器による攻撃を被弾する際、蒸発することで粒子を拡散させるリアクティブアーマーなのだが……その性質上、消耗品となる。辰馬の判断で、残された数少ない在庫は全て、雨瀬雅姫ウノセマサキのティアマット聯隊れんたいへ融通している。

 反乱軍ゆえに物資は常に困窮していたし、じきに食料や衣料品も尽きる。

 だからこそ、統矢たちは最短ルートで短期決戦に持ち込まねばならないのだ。


「よし! 行こうぜ、千雪。……死ぬなよ」

「任せてください、統矢君。自分ごと統矢君を守り抜きます」

「……お前、ほんっ、とぉ、に、かわいげないな」

「ええ。統矢君とれんふぁさんの前でだけしか、かわいくない女ですから」


 なんて頼もしい……だが、千雪の卓越した操縦技術は、もはやエースの風格を漂わせている。近距離での格闘戦ならば、統矢とて勝てないかもしれない。

 統矢と同じDUSTERダスター能力を持つ少女は、常にフェンリル小隊の一番槍だった。

 そんな彼女が、雪の中で愛機へと向かって遠ざかる。

 その背を見送り、統矢も【氷蓮】へ向かって走った。


「氷と雪と、か……相性いいよな、俺たち。さあ、行こうぜ……【氷蓮】ッ!」


 統矢もコクピットのハッチを開放する。

 僅かに凍っていた氷雪が、パラパラと舞い散った。

 既に火は入っている……微動に震える相棒は今、その心臓部たる常温Gx炉から力を発していた。それが全身に回って、全高7mの巨神が立ち上がった。

 システムチェックをすれば、耳元に無線で声が届く。


『統矢さんっ。あの、気をつけて!』

「お、れんふぁか。大丈夫だ、俺一人でもやれる。お前は【樹雷皇じゅらいおう】で天城を頼む」

『う、うん。あと、千雪さんをお願いします。……最近、あのぉ』

「……れんふぁも、ちょっとそう思うか? 変、だよな」


 統矢は手を休めず、サブモニターのタッチパネルへ指を走らせる。

 その間うっと、回線の向こうでれんふぁの不安が膨らむ気配がした。

 そして、再び彼女は口を開く。


『千雪さん、最近すっごく優しいんです。……優し過ぎて、なんだか、怖くて。千雪さんにはもっと、統矢さんとの時間を過ごしてほしいのに。こんなわたしにも、優しくて』

「おいおい、俺の好きな女の子は、こんな、って程度なのか? いいんだよ、それで」

『でもぉ』

「さっきまで千雪と一緒だったけど、調子は良さそうだった。そりゃ、ちょっと最近……変に気持ちが澄んでるっていうか。達人ってああいう雰囲気なのかな、どっしりしてるっていうか、透明感があるっていうか」


 システムは全て、オール・グリーン。今や【氷蓮】は、損傷機に修理と改修を重ねた継ぎ接ぎのPMRパメラではない。

 【シンデレラ】の装甲を纏い、未来と今とが繋がり結ばれた姿になったのだ。

 そう、【シンデレラ】の正体は、【氷蓮】……別の地球でトウヤが捨てた、平行世界の【氷蓮】だったのだ。


「よし、じゃあ行ってくる。またな、れんふぁ」

『うんっ。気を付けて……あ、あとぉ……その、どう、だった?』

「どう、って」

『千雪さんと二人きり、バイクで海岸線まで……デ、デート?』

「偵察だけどな。まあ……次はれんふぁと出かけるし、三人でももっとずっと、沢山過ごしたいな。そういうのってさ、いいと思うんだよ」


 うんうんとれんふぁが頷いてくれる。

 世界の平和、巨悪の駆逐……そんなことは大人がやればいいし、統矢が戦う理由はいつだってシンプルだ。

 りんなのかたきを、討つ。

 もう一人のトウヤを、ブッ潰す。

 千雪とれんふぁと、そして仲間と平和に暮らす。

 そのために、戦う。


『よーし、野郎共! 全員揃ってるな? みんなの頼れるお兄ちゃん、辰馬隊長ですよん、っと』

『ちょっと辰馬! アタシ、野郎じゃないわ!』

『……自分としては、どうでもいいであります』

沙菊サギクさんも私も、勿論もちろん野郎ではありませんので』


 気心知れた仲間の声は、今日も普段通りに行き交う。

 日常だった過去を奪われなくした者もいるし、新たな生命のために戦いを降りた者もいる。だが、戦う統矢にとっては、いつもいつでも仲間は仲間だ。


『お前等なぁ……ヘッ、元気いいじゃないの。じゃあ、行くぜ? ――SALLYサリー FORTHフォース FENRIRフェンリル!!』


 辰馬の号令の元、統矢たちは一斉に雪原へと飛び出した。

 すぐ側まで、心を持たぬ無人の兵器群れが迫っているのだった。

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