第1話「最果ての海にて」

 どこまでも広がる、真っ白な世界。

 極寒の極点周辺では、肺に出入りする空気でさえ凍って痛い。

 サイドカーで恋人の隣に座って、摺木統矢スルギトウヤは凍てついた海の上を走り続けていた。生命維持装置を搭載したパイロットスーツの上から、防寒具を着込んでいる。

 それでも、身を切るような寒さは骨身に染みた。

 一方で、二輪にまたがりハンドルを握る五百雀千雪イオジャクチユキは平然としている。


「もうすぐ海岸線に出ます、統矢君」

「ああ。警戒してくれ」

「了解です」

「……パンツァー・モータロイドが使えればよかったんだけどな」

「全機、徹底的に整備できる最後のチャンスですから。それに、こういうの……私、好きですよ? なにもない雪原を、統矢君と二人きり。どこまでも走りたい気分です」


 ロマンチックなことを言うが、千雪の平坦な声はやけに落ち着いている。相変わらず感情表現がとぼしいが、彼女の気持ちも想いも今はよくわかる。


「それな、千雪……れんふぁが怒るぞ?」

「ふふ、そうですね。れんふぁさんも一緒に来られたらよかったんですが」

「危険な偵察任務だからな。それに、れんふぁも一緒なら車両を変えなきゃいけない。これに三人は乗れないだろ」


 二人が乗っているサイドカー付きの大型二輪は、寒冷地用の処理を施した偵察車両だ。取り立てて珍しい技術を使っているでもなく、ごくごく普通の軍用車である。

 だが、ハンドルを握る千雪は、横から見上げればこころなしか嬉しそうに見えた。


「れんふぁさんとなら、事前にお弁当を作って、それから……」

「おいおい、ピクニックじゃないって。あの基地、そんな余裕ないだろ」

「です、ね。でも、よくあんな施設が残っていたものです」

「もう何十年も前に閉鎖された基地らしいからな」


 統矢たちを乗せた航宙戦艦天城こうちゅうせんかんあまぎは、潜水して海底から北極海基地のドッグへ入った。北極海基地は、氷に閉ざされた海底基地である。

 人類同盟じんるいどうめいが生まれる前は、大国同士が北極海の領有を争っていた時代がある。

 グリーンランドを要塞化していたアメリカが、北極海の極点付近に作った基地は、絶対零度の海を戦争の緊迫感で包んだ。

 それも今は昔の話、歴史に埋没してゆく過去である。


「……新地球帝國しんちきゅうていこく、いわゆるパラレイドとの戦争が始まり、北極基地は放棄されたんだよな」

「もともと、人類同盟が成立した時点で軍事拠点としての重要性を失ってましたから。閉鎖され、敵にもマークされていないのは好都合です。あとは」

「ああ。どうやってここから逆転するかだよな」


 この季節にしては珍しく、北極の空は晴れている。

 低い場所にぼんやり光る太陽からは、弱々しい日差しが注がれていた。

 氷雪を巻き上げ吹き渡る風だけが、白く煙ってキラキラと陽光を反射している。


「統矢君、右前方……ホッキョクグマです。親子、ですね。子熊を連れてます」

「襲っては、こないな?」

「大丈夫みたいです」


 かつて、地球の温暖化が深刻な時期があった。科学物質文明を極めた人類は、繁栄のために地球の調和を乱してしまったのだ。それが皮肉にも、パラレイドとの永久戦争で文明が衰退し、人類は滅びの中で戦いだけにリソースを注ぎ込んできた。

 結果、地球の自然は昔に比べてかなり回復していると統矢は聞いていた。

 そして、パラレイドとの戦争は終わり、新地球帝國が正体を現した。

 今、終戦後の世界で統矢はまだ戦っている……彼の戦争は、あの男の息の根を止めるまで終わらない。

 そうこうしていると、二人を乗せた大型二輪は切り立つ崖の上で停車した。

 そこから、海岸線が一望できる。

 統矢は双眼鏡を取り出し、敵を求めて目を凝らす。


揚陸艇ようりくていだ……結構な数が来てるな」

「こっちでも肉眼で確認しました。総数五十隻以上の大船団です。すでに陸揚げを始めてますね……アイオーン級が多数、アカモート級も見えます」

「……この距離で肉眼で見えるのかよ」

「私、いわゆるサイボーグですから」


 新地球帝國の目をあざむくことは、難しい。

 今ではもう、この地球の全ては敵に制圧されているのだ。

 既に、北極基地に天城が逃げ込んだことは察知されている。あの男は……スルギトウヤは、最後まで追撃の手を緩めないだろう。今、彼の野望の障害となる存在は、残された僅かな反乱軍だけだからだ。

 残された時間は少ない。

 そして、限られた戦力での反撃は、一点突破の打開策が必要だ。


「よし、戻るか」

「了解です」

「……千雪、お前……寒いの苦手だろ?」

「統矢君は平気なんですか?」

「平気って訳じゃないけど、北海道生まれの北海道育ちだからな。我慢はできる」

「私は……低温が生身と機械の接合部分に響くんです。少し、痛いです」

「じゃあ、急いで戻ろうぜ。……すぐ、戦いになる」


 千雪が車体をひるがえす。

 来た道を引き返し始める中、一度だけ統矢は振り向いた。

 敵の大群がもう、北極海全体に展開しつつある。全方向から包囲されれば、万能の航宙戦艦と言えど離脱は難しい。

 それでも、艦長代理の御堂刹那ミドウセツナはこの基地に逃げ込むことを選んだ。

 戦いの歴史から忘れ去られた、北極基地……ここになにか、状況を打破する秘策があるのだろうか?

 統矢には優れた戦略眼がある訳でもないし、前後の見通しだってない。

 パイロットという一つの戦術単位として、目の前の敵を倒すだけだ。

 そんなことを考えていると、無線機が鳴る。


「もしもし? 提示連絡いは早いと思うんだが……こちら、摺木統矢。南の海岸線にて敵の上陸部隊を確認。物凄い数だった」


 形式的な報告に対して、幼い声が返ってくる。

 童女の声なのに、酷く老成した言葉が耳を打った。


『こちら北極基地、了解。キミがあの……こっちの世界の摺木統矢だね?』

「そういうあんたは?」

『ボクは御統霧華ミスマルキリカ。御存知の通りリレイヤーズさ。この間まで、アラスカで新地球帝國軍に所属してた、まあ寝返り組の一人だね』


 御統霧華と名乗った少女は、先日のアラスカでの戦いで反乱軍に加わったという。既に反乱軍の中には、そした人間が多数参加していた。多くは、世界線を跨いで戦力を整え、DUSTERダスター能力者を増やして異星人と戦う……そんなスルギトウヤ大佐の戦いに疑問を持った者たちである。

 霧華もその一人なのだが、統矢の第一印象はあまり良くない。

 リレイヤーズ、それは禁断のシステムに全てを売り渡した、大人になれない子供たち。その多くは幹部クラスで、恐らく霧華も多くの機密情報を提供してくれてるはずだ。


『北極基地、こんな地図にもない施設があったとはね。ボクがいた世界……キミから見ての平行世界では、北極は監察軍との戦争で蒸発しちゃってね』

「そういうあんたたちも、こっちで南極をクレーターだらけにしてくれたじゃないか」

『まっ、そうだね! 人類同盟軍の残党が、あんまし派手に抵抗するものだからさ』


 昨日の敵は今日の友、それはすんなにとはいかない。

 はいそうですかと割り切るには、余りにもお互いを殺し過ぎた。新地球帝國にとって統矢は、人類同盟側で最も警戒すべきパイロットだった。そして、数少ない覚醒済みのDUSTER能力者であり、スルギトウヤ大佐とは平行世界の同一人物である。

 だが、霧華にはどうにも悪びれた様子がない。


「なあ、あんた……霧華っていったよな。何故なぜ、反乱軍に鞍替くらがえした?」

『……そうだね。ボクは単純にもう、無理だと思ったからかな』

「無理?」

『そ、どだい無理な話だったんだよ。別次元の違う地球に逃げ込んで、反撃のために軍備を再編する。DUSTER能力者を覚醒させるため、その地球で実験戦争を起こす。そんなことをしてまで、ボクは監察軍かんさつぐんとは戦えない……今はそう感じてるんだ』


 霧華は、疲れたのだと言った。

 彼女も、何度生まれて死んでを繰り返してきたのだろうか?

 追う側の刹那たち、秘匿機関ひとくきかんウロボロスのリレイヤーズは、無限に等しい刻を繰り返してきた。無数に存在する平行世界の中から、トウヤの逃げ込んだ世界線を手当たりしだいに探すしかなかったからだ。

 一方で、霧華のようなパラレイド側のリレイヤーズも、やはり苦難の旅だったろう。

 リレイヤーズは死なない……死ねないのだ。

 そして、生まれ直す都度、遺伝子情報が欠損して成長限界が早まってゆく。


『ん? ああ、ちょっとゴメン。……お客さんが動き出したみたい』

「敵か? そっちの作業状況は」

『例のものは天城に積み込み終えてるね。ただ、すぐには出港できないみたいだ。少し、PMRパメラ部隊で時間稼ぎしてもらう必要がある』

「了解した、すぐに戻る。小一時間ってとこかな」

『地上への42番ゲートに部隊を集結させるみたい。キミの【氷蓮ひょうれん】と……恋人ちゃん? 千雪ちゃんの【ディープスノー】も上げておく。直接そこで乗り換えて』


 短く了解と返して、統矢は通信を切った。

 反乱軍は追われる身、完全に勝利せぬ限り安住の地などない。

 無線機をしまっていると、前を見て運転したまま千雪が疑問をつぶやいた。


「例のもの、ですか? ……まさか」

「ああ。この北極基地が忘れ去られたのは、なにも軍事施設として無意味になったからだけじゃない。人類が忘れたいものが、大量に保管されてる……いや、打ち捨てられてるんだ」


 そう、それこそが刹那の狙いなのだろう。

 敵側の人間を複数抱き込んだことで、新地球帝國がこれから打ってくる手が透けて見え始めた。本当にあの男は、スルギトウヤはこの地球を使い捨てる気なのだ。自分の世界線へ戻って再び異星人と戦うため、統矢たちの世界線を捨て石にするつもりである。

 その傲慢ごうまんな復讐を、決して許してはいけない。

 だからこそ、統矢たちもまた禁忌きんきの力を自ら望んで手に入れるのだ。


「北極基地には、旧世紀の戦略核が多数保管されている。その威力は、Gxジンキニュークリアの比じゃない。大気中で使えば、地球全土を汚染させられる量の核弾頭があるって訳さ」

「それを……私たちが、使う」

「そうらしい。ま、守るべき地球を汚染させてまで勝っても、意味はないけどな」

「ですね」


 二人を乗せたサイドカー付きの大型二輪は、白い雪煙を連れて走る。指定されたポイントまでのわずかな時間、統矢は百年近く前の世界を想像してみた。互いに自分ごと相手を滅ぼせるだけの核を抱えて、それを突きつけ合うことで均衡が生じて成立する平和……そのために溜め込まれた核を今度は、実際に使うことで侵略者を一掃する。

 どうにも憂鬱ゆううつな話で、あまり深く考えるのを統矢は一時保留するのだった。

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