幕引き ―果(はたして)―

 狐一族の生き残りが現われたという騒動、後に「大社事変(おおやしろのじへん)」と呼ばれる出来事からおよそ一年後。

 守護大社の集殿にて、巫女一族の総員による次期大総巫への譲位ノ儀が行われていた。一同の前に築かれた壇上には現大総巫の姿があり、その御前に次期大総巫を襲名する弓千代の跪く姿がある。

 現大総巫は一年前に起こった事変を一例として挙げ、それを治めた『護ノ巫女』弓千代の偉業とこれまでの徳行を讃え、その本人の聡明さと人徳の高さを評し、それらを以て大総巫の位を譲る事を宣言していく。これに異議を唱える者もなく、譲位ノ儀は滞りなく進んでいった。

 そして、先代となった大総巫が壇上を退き、新たな大総巫となった弓千代は立ち上がり、そこより見渡す限りに集う巫女一族に向かって号令を下す。

「皆、聞け! 今日この時を以て、我は大総巫という最高位を与った。これは我の行いのみならず、皆が我を支え、これからの一族の未来に必要だと認めてくれたからこその成り立ちである。一同の心遣いには感謝の意を示すと共に、これを機に、我は巫女一族の大きな改革を推し進めていく所存だ。まず、これまで妖怪を一様に悪として滅ぼしてきた我が一族の行いを悔い改め、今後は妖怪との共存の道を模索していく事とする。これに先駆けて、かの大事変における元凶となっていた狐一族の生き残り、金狐と銀狐の処分については、推定処刑との事項を取り下げ、その共存の架け橋として働く事により、一切の咎を負わないものとする。次に、悪しき妖怪を討つ『破魔の力』とは別に、妖怪の妖気や妖力を無力化する事にのみ特化した新たな力、『破邪の力』の確立をここに宣言する。これに伴い、『破邪の力』を習得し、善き妖怪と悪しき妖怪を見極めて、人間との橋渡しを行う『縁ノ巫女(えにしのみこ)』なる高位を新設する。位の位置は『護ノ巫女』と同位とし、またそれと相互の補助を義務付ける事とする」

 弓千代は今後の巫女一族の方針や体制について述べた後、早速『縁ノ巫女』の任命も行っていく。

「巫女・立花を『縁ノ巫女』に昇格、偽諱として秋葉の名を与える。巫女・桜花を『縁ノ巫女』に昇格、偽諱として卯月の名を与える。巫女・蓮花を『縁ノ巫女』に昇格、偽諱として胡蝶の名を与える。巫女・小紅を……」

 そこに挙げられる巫女の名は一年前の事変に少なからず関わった者達であり、そのほとんどが禁忌領を監視する酉の分社、すなわち弓千代一行が老山へ赴く際に通過したその社の巫女達であった。彼女らは事変での体験を契機に妖怪への関心を持ち、妖怪との共存という方針に賛同していた。

 そして、列挙する最後の名前に差し掛かった時、弓千代は僅かな間を置く。

「巫女・桃椛(とうか)を『縁ノ巫女』に昇格、偽諱として初月(はづき)の名を与える」

 それは一年前の事変によって巫女へと昇格していた、小夜の巫字(かんなぎあざな)であった。自分の名前が呼ばれた時、小夜は巫女一族一同の中で唯一肩を震わせて、ささやかに反応したのだった。まさか自分が呼ばれるとは思っておらず、その理由を聞きたいという欲求に駆られても、今や弓千代の存在は壇上である。

「以上。また、これらの者の諱については、追って個々へと通達する」

 そうして、大総巫である弓千代の号令が一通り終わると、一堂に会する巫女一族を解散させて、譲位ノ儀を終了した。弓千代自身は後に控える先代との神事のため、本殿へと入っていったのだった。

 諸々の儀式を終えたその日の深更。

 小夜は新しい自分の住まいとなった屋敷の縁側に座り込み、夜空にくっきりと浮かぶ満月を眺めていた。『縁ノ巫女』となった彼女にはこうして守護大社内での個別の敷地が与えられており、来客がなければ一人の時間を作る事ができる。修練者や巫女の時には同室の仲間と寝食を共にするのが当たり前だった彼女にとって、それは慣れない環境であった。

 誰もいない静かな夜更けの空気になんとなしの寂しさを覚えていた小夜は、庭の土を踏み歩いてくる物音を耳にして、その方向へと振り返った。そこに立つ人物の顔を認めるや、彼女は慌てて立ち上がって深々と頭を下げる。

「これは大総巫、ご来訪とはいざ知らず、お迎えもせずに大変失礼致しました」

 大総巫と呼ばれた弓千代は束の間躊躇いを見せた後、儚げな微笑を浮かべる。

「顔を上げてくれ。私がお前と話をしたくなって寄ったまでだ、気にせずとも良い。隣に座っても構わぬか?」

「御意に」

 弓千代が縁側に腰を下ろすも、小夜は恐縮のあまり座り直す事もできず、目線を低く保つようにその場で片膝を突いた。これに弓千代は困ったような表情を示す。

「それでは、私が話しにくかろう。これは公の場ではない、あくまで私だ。以前と変わらず私の隣に座ってくれないか。……そう、できれば、もっと近くに」

 弓千代の言葉に従って、小夜は彼女のすぐ隣に腰掛ける。お互いの肩が触れそうなほど近くに寄ると、小夜は昔のように弓千代の存在を身近に感じて、安心にも似た細やかな嬉しさを覚えた。

 しばらくの間、二人はそのまま口を開かずにいた。弓千代は夜空の月を仰ぎ、小夜は庭先の池に浮かぶ月を見下ろす。そこに気まずさはなく、無理に言葉を交わさずとも満ち足りた心地良さがあった。ただ、どちらかが自然と声を発するのを待つばかり。

「あれからもう、一年の時が経ったか」

 先に話を切り出したのは弓千代であった。

「私は大総巫になった。そのおかげで、金狐と銀狐にもようやく自由を与える事ができ、天狗一族との和平締結に向けても乗り出す事ができるようになった。天狗や狐との交友を築くは、今後多くの人間と妖怪に大きな影響を与える事になるだろう。その前段階として、私は早速金狐の要望の一つを実現させるつもりだ。この守護大社に蘇凱恢を含む妖鼬閥族の御霊を弔う墓碑の設置――なんでも耄厳が申すには、ここ我が大山は遠い妖怪の時代には『中佑林(ちゅうゆうりん)』と呼ばれ、妖鼬閥族が朝廷を建て国を号したその地なのだとか。こうして我々巫女一族が妖怪との共存に歩み出せたのも、一年前の桃椛の献策があればこそだ」

 弓千代の言う通り、それらには小夜の働きが少なからず関与していた。

 一年前の事変、守護大社に帰還した弓千代は大勢の巫女達から次期大総巫に推挙された。その巫女達の多くは、弓千代の禁忌領入りを手助けし、事変の一部を見届けたあの分社にいた者達である。加えて、その分社の長である分司を筆頭に、次期大総巫の推挙とは別の、金狐と銀狐の処分に係わる上奏が行われた。狐姉妹の処刑は巫女一族と天狗一族との大戦やさらなる騒乱を招く故、その処分はひとまず保留とし、現状における妖怪の情勢を最も熟知している弓千代様が大総巫を襲名された後、その裁量に御一任するのが最善である、と。

 そういった推挙と上奏の流れ、また分司らの協力を得るよう考えたのが小夜であった。また妖怪との共存の道を模索する上で、『縁ノ巫女』なる位の構想を建てたのも彼女である。ただ本人の予想外であったのは、その位に小夜自身も名を連ねる事になった点と言えよう。

「聞けば、分社で蘇凱恢と銀狐を足止めする際も、お前は善き策を講じ、情けを以て銀狐を庇ったというではないか。分司からの評判も高く、何人かの巫女はお前が修練者の位に留められている事を不満に思っていた。此度、桃椛を『縁ノ巫女』に昇格させたのも、そうした評価と合わせて、私自身もこれからの新たな時代にお前の力が必要だと判断しての事だ。ああ、昇格したのだから、これからは初月と呼ばなければならないな」

「いえ、あっ……」

 思わず口を突いて出た否定の言葉に、小夜は自分の口元を覆う。

「どうした、もしや偽諱が気に入らぬか?」

「そんな、今のはなんでも……」

 こちらを気遣うような弓千代の柔和な眼差しを見ると、小夜は自分の気持ちを堪え切れなくなった。

「私は総巫に、小夜と呼んで頂きたいのです。実は巫女に昇格して以来、ずっと我慢していました。それまで何度も呼びかけて頂いた名がなくなり、総巫との距離が遠くなったようで、また今日の譲位ノ儀のせいで、より遠く離れてしまったように感じました。だから、もしお許し頂けるのなら以前のように、私の事は小夜、と」

 言い終えて、小夜は己の発言に後悔した。こんな事を言うべきではなかった。せっかく一人前の巫女として認めて頂けたのに、過ぎた事に固執するようではやはり未熟だったと失望されてしまう。

 その彼女の不安は、次の弓千代の言葉によって裏切られる。

「なんだ、それならもっと早く言えば良かったろうに」

「えっ?」

 見上げると、そこには弓千代の親しげな笑みがあった。

「どおりで、ここ最近の小夜は妙に元気がなく、たまに会いに行っても余所余所しい態度だった。実を言えば、私もその呼び名には違和感を覚えていたのだ。だが、これも巫女一族の決まり故、それに念願の巫女へと昇格した小夜を修練者の字で呼ぶのは憚られた。それがまさか、お前と同じ想いだったとは」

「では、また小夜と、呼んで頂けるのですか?」

「ああ、もうたった今から、そう呼んでおろう? ただし、皆の前ではやはり序列の厳格さを示す必要がある故、それはこうして二人の時のみとしよう。そして、私の事も、良ければ凛花(りんか)と呼んでくれないか?」

 慣れ親しんだ名をまた呼んでもらえると喜んだのも束の間、小夜は弓千代の頼みを聞いて緊張する。

「とんでもない! 大総巫を諱でお呼びするなど、とても恐れ多い事です」

「だから、こうして二人の時のみと言っておろう。時代が移ろうとしている今、巫女一族の大総巫たる私は一族の伝記に仔細を残す事になる。如何に我が振る舞いや言ノ葉を誇張して記述しようとも、私の真なる内面を知るのは小夜、お前しかおらぬ。故に、小夜には私を大総巫としてではなく、凛花として見て欲しいのだ。私のそれは大それた願いと申すか?」

 そうまで言われては、小夜も頑なに拒む訳にはいかなくなった。

「では、御意に」

 小夜の返答を聞き、弓千代は満足した面持ちで再び夜空を見上げる。

「それにしても、今宵は真に綺麗な月だ。これからの我が一族、そして妖怪との未来も、かように円満であろう」

 夜空の月を仰ぐ弓千代の横顔を見つめ、小夜は心の中で彼女の諱を囁く。

 凛花様の御心はすでに巫女一族の行く先にあった。

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凜花伝 坂本裕太 @SakamotoYuta

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