傍にいられるなら、犬でいい【9】

「お前、僕より年上なのに、甘えんぼだからな」

「うるさい」

「ふ。ほら、帰ろ」


 梅之介がわたしに手を出す。それを取っていいのか躊躇っていると、「行きよりも絶対に酔っ払いが増えてるぞ。何かあったら困るだろ」と掴まれた。


「まあ、お前みたいなファンキーな頭の女に手を出す酔狂な奴は、いないと思うけど」

「むか。手を離せ馬鹿」

「ほら、さっさと行くぞ」


 先を歩く梅之介に引かれるようにして境内を後にした。

 花見客の喧騒の中を、無言でサクサク歩く。ぎゅっと握られた手を見ると、複雑な気持ちになる。普通通りに話したいと思うのに、何を話していいのか分からなくなる。見慣れた背中が、知らない人の背中にも見えた。いつもの梅之介なのに、梅之介とはちょっとだけ違う、別のひと。

 眞人さんも、こんな気分だったんだろうか。

 わたしの想いを知って、眞人さんも私が『知らない女』に見えたかもしれない。


「なあ、白路」

「……え? ん?」


 ふいに梅之介に名前を呼ばれ、我に返る。


「あのさ。心配、いらない。お前は、他の女と違って眞人に拒否されたりしないよ」


 梅之介は真っ直ぐ前を見たまま言う。


「ど、うして?」

「『飼い犬』だから」

「なに、それ。だから、その『飼い犬』の枠をわたしがいきなり飛び出して、『女』になっちゃったんだよ? 他のひとと同じように拒否されることだって、十分あり得るよ」


 はあ、とため息をつく。

 小紅さんの登場で、眞人さんの傷は深くなったと思う。女への嫌悪感が増していてもおかしくない。

 そんなときに、わたしが『女』になっちゃってどうするのさ。

 昼間のアレは、お前まで俺を困らせるのか、と眞人さんが思うには充分な状況だった。


「お前は、なんにもわかってないな。そんなわけ、ないよ」

「どうして断言できるのよ」


 梅之介がわたしの手を強く握る。そんなに力を入れなくたって、さすがのわたしもはぐれたりしないのに。


「実際のお前は、犬なんかじゃない普通の女だろ」


 わたしの方を見ることなく歩き続ける梅之介。その声が怒っているように聞こえるのは、喧騒に負けないように少し大きな声で話しているからだろうか。


「『飼い犬』ですって名乗ってただけで、マルチーズやチワワに見える訳じゃない。その頭は、マルチーズみたいだけどな」

「うるさい」


 開いた方の手で背中をポコンと叩く。梅之介は続けた。


「眞人が傍に置いてたのは、お前だってこと!」


 首を傾げる。

 向かいから、大学生らしき集団がやって来た。

 酷く酔っ払っているみたいで、みんな大きな声で笑いあっている。少し端に寄りながら、梅之介に言った。


「それは分かってるけど、梅之介の言いたいことはよく分かんない。分かりやすく言ってよ」

「お前を一番、『飼い犬』ってカテゴリに居させたがっていたのは多分…………」


 すれ違いざま、ひときわ大きな笑い声が響いた。


「え? ごめん、聞こえなかった。なに」

「なんでもない。……あ、眞人」


 ぴたりと、梅之介が足を止めた。梅之介の言葉を間違いなく聞き漏らすまいと迫っていたわたしは、急に止まったせいで背中にぶつかってしまう。


「ぶえ、痛い。え、眞人さん?」

「ああ。ほら」


 梅之介が前方を指差す。

 ひときわ大きな桜の木の下のベンチに、眞人さんが座っていた。

 ビールの缶を灰皿代わりにして、ゆっくりと紫煙を吐きだしている。考えごとをしているのか、夜空を仰ぐように上を向いていた。


「帰って来ないと思ったら、こんなところにいたか。まあ、いいタイミングなのかもしれないな」


 ふ、と梅之介が息を吐く。それから、繋いでいた手をゆっくりと解いた。

 振り返り、わたしに言う。


「行って来いよ、白路」

「え?」

「あんな勢い任せの告白を一方的にしてるんだぞ。ちゃんと、話して来いよ」


 ほら、と梅之介がわたしを急かす。

 だけど、心の準備も何もしていないのに、どうしろって言うの。

 おろおろと梅之介を見ると、「行くべきだ」と言った。


「ちゃんと、どうしたいか伝えなきゃだろ。お前だって、さっき僕がお前に全てを丸投げしたら、困ってたはずだろ」


 ……それは、そうだ。

 梅之助は気持ちを伝えた上で、返事はまだいらないとわたしに言う。今までの関係でいい、とも。

 わたしは、すごくそれが嬉しかった。


「行って来る、わたし」

「ああ、そうしろ。僕、先に帰ってるよ。白路は、眞人と帰ってきな」


 わたしを見下ろす梅之介が、一瞬だけ目を細めて笑った。だけど、その笑顔はどこか寂しそうだった。その顔を見て、は、とする。梅之介は、眞人さんを好きなわたしをどんな思いで見ていたんだろう。どうして気付かなかったんだろう。好きな人が他のひとを見てることがどれだけ苦しいか、わたしは知らないわけじゃない。


「ごめん、梅之介。わたし、すごくすごく無神経だった!」

「なんだよ、急に」


 びっくりしたように眉を上げた梅之介の手を握る。


「ごめん! 私、梅之介のこと、全然考えられてなかった!」

「……なんだよ、びっくりした。謝んなくっていいよ。好きになったのは、僕の勝手だ。僕が何をどう感じようが、白路のせいじゃない」


 手を解いて、梅之介は笑う。


「白路も白路の勝手を通して来いよ。それがどんな結果になろうと、僕のことは考えなくっていい。大丈夫、僕は眞人のことも好きだから、お祝いだって言える」

「お祝い? それはないよ。だって、ありえない」

「どうかな。まあ、頑張ってきなよ」


 そう言って、梅之介は本当に帰って行った。

 しばらくその場に立ち尽くして背中を見つめていたわたしだったけれど、すう、と深呼吸して心を落ち着けた。

 梅之介が私にしてくれたように、わたしもすべきだ。ちゃんと、眞人さんと話して来よう。

 勢いで告白なんてしてしまった。そのケリをちゃんとつけて来よう。

 どんな結果になっても、納得しよう。受け入れよう。


 いけ、白路。

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