拾われたわたしの、新生活【3】

 *


 キンと張りつめた冬の空気。穏やかな日差しを仰げば、雲一つない青空が広がっていた。


「いいお天気ですねえ」

「ちゃんと前見て歩け、アホ女。迷子になるぞ」

「む。大丈夫だもん。って、うわ!」

「だっさ。そのままこけちゃえ」

「ほら、シロ。手を貸せ」


 ひとに押されてよろけたわたしを見て鼻で笑ったのは梅之介。手を差し出してくれたのは眞人さんだ。


「あ。ありがとうございます」


 大きくてあったかな手のひらを掴んで、わたしはへらりと笑った。


 さて、お正月は元旦である。

 わたしは朝早くから、眞人さんと梅之介と三人で『四宮』の近くの神社へ初もうでに向かっていた。

 有名な神社であるのか参拝客が多く、道路にはたくさんの露店が出ていた。どこのお店だろうか、美味しそうなイカ焼きの香りがする。後で買おう。あと、とうもろこしも。


「すごい行列だなあ。本殿に辿り着くには、まだまだ時間が掛かりそう」


 わたしの前を歩く梅之介が前方を見やってため息をつく。そんな彼は、今日はきっちりとした和装である。仕立ての良い、程よくレトロでモダンな感じの着物は、眞人さんのいまは亡きおじい様の遺品のひとつだそうだ。

 長着の上からグレーのとんびコートを着て、紫のマフラーを巻いた立ち姿はほれぼれするくらいかっこいい。スタイルの良さと端正な顔立ちが際立っている。ここに来るまでの道行でも、梅之介に見惚れた女の子を何人も見た。

 それに加え、梅之介は着物に慣れ親しんでいるのか、仕草のひとつひとつが妙に綺麗なのだ。動きの雑さというのか、荒さがなくて品がいい。いつもはよれよれのスウェットに寝癖だらけの髪で起きてくるひとと同一人物だと思えないくらい、完璧に着物を着こなしている。


 お坊ちゃま、なのかなあ。


 梅之介の、サラサラの茶髪の後頭部を見上げながらぼんやり考える。

 彼も、私と同様に帰る家がない。

 昨日の大みそかに、帰省しないのかというようなことをうっかり訊いてしまったわたしに、『帰る家があったら、ここに住んでないんだよ』と彼は酷く怖い顔で凄んだのだった。

『野良犬みたいなもんなんだよ、僕は。これ以上は詮索するな』と超低音で言われ、コクコクと頷いたわたしだ。眞人さんに、梅之介にも事情があると聞かされていたというのに、すっかり忘れていた。自分の考えのなさを反省した。

 その野良犬くんはきっと、しっかりした家庭で育ったいいところのお坊ちゃまなんだと思う。言動の端々から、大事に育てられたことが窺い知れるのだ。

 

 着物の扱いひとつにしてもそうだ。箪笥の奥深くに眠っていたという着物を見つけだし、きちんと手入れしているのは梅之介なのだそうだ。今日だってさっさとひとりで着物を着てしまったし、面倒くさがる眞人さんにも着付けをしていた。

 男性だけでなく女性の着付けも出来るらしく、わたしにも、おばあ様の遺品の中の着物を着せてやろうかと言った。まあ、こんなファンキーな頭に似合う着物はあるのと訊いたわたしが馬鹿で、梅之介に「そんなこと言うなら着なくっていい!」と怒鳴られたわけだが。なのでわたしはミリタリーコートにマフラーをぐるぐると巻いたラフな格好だ。多分、わたしが素直にお願いしますと言えば、梅之介はちゃんと着せてくれたに違いない。

 梅之介はどんな事情があって、家がないなんてことになってるのかなあ。立ち入ったことを訊くのってデリカシーなさすぎだからしないけど、やっぱり少し気になってしまう。


「シロ、どうした。人ごみに酔ったか?」


 ひょいと顔を覗き込んできたのは眞人さんだ。

 眞人さんも、前述の通り今日は着物である。黒の角袖コートにえんじ色のマフラーが良く似合っていて、とにかくもう、素敵の一言に尽きる。梅之介とはまた違う良さがある。大人の色気とでもいうのだろうか。眞人さんは着慣れていないのか、仕草は荒めだけれど、それがまたいいような気がする。そんな彼もまた、さっきから女性たちの視線を集めていた。

 まあ、当然だよね。多少見慣れてきたわたしだって、うっかりしたら彼らに視線を奪われてしまうのだから。

 そんな美麗着物男性ふたりと一緒に歩いているカリフラワー頭の自分が酷く恥ずかしい存在のような気がしてきているけど、きっと気のせい。そう、気のせいだ。


「いえ、大丈夫です」

「そうか?」


 ならいいけど、と前方に視線を向けた眞人さんの顔をそっと窺い見て、それから繋がれたままの手に視線を落とした。


 この人も、不思議なんだよなあ。


 あの家に住んでまだ数日。少しずつ眞人さんについて知ることが増えた。例えば、わたしと同じで両親を早くに亡くしていること。祖父母と共に生活していたが共に亡くなり、家を改装して『四宮』を開店させたことなんかは、彼の口から聞いた。幼い頃から料理が好きで、料理人に憧れていたことも。

 だけど、謎なのはそういう生い立ちのようなものではない。なんというか、『四宮眞人』というひとがどうにも掴みどころがないのだ。

 人嫌いという梅之介の言葉は、どうやら本当だ。彼は、接客中も笑顔を見せることがついぞないのだ。丁寧な応対で、決して無礼ではない。しかし、口角を少しも持ち上げないし、必要以上の会話をしない。どんな相手であっても。

 それでいて、厨房に戻ってくると、わたしに向かって笑顔で「今日の賄は小海老のかき揚げ丼にしようか」なんて言う。その変化たるや、二重人格梅之介のそれと互角であると思う。


 あれは二日前のことだ。閉店の片づけをしていると、誰かがそっと店に入って来る気配があった。


『あの……眞人さんに、お話があって……』


 緊張しているのか、少しだけ声が震えている。それは、若い女性のもののようだった。

 洗い場にいたわたしがこっそりと店内を覗くと、清楚な雰囲気の艶やかロングの美人が立っていた。


『あー、そろそろ来るなって思った』


 わたしの隣でぼそりと呟いたのは梅之介で、その言葉の意味を問おうと顔を窺うと、『愛の告白ってやつだよ。あの女、最近毎日のように通ってきてて、必死に眞人に話しかけてたから』と言われた。


『ふうん。まあ、眞人さんは文句なしにかっこいいものねえ』

『店に来ても、ずっと眞人のことを目で追ってたからな』


 そんな風にこそこそと話していると、女性が思い切ったように、『お気づきかもしれませんが、私、眞人さんのこと、好きなんです』と言った。


『わ』


 小さく声を洩らしてしまう。他人の告白を見たのは、初めてだった。

 おっとおっと、こういうのって失礼だよね、と洗い場に踵を返そうとしたその時だった。冷ややかな声が店内に響いた。


『迷惑です』


 驚いて足を止める。振り返り、店内に視線を戻した。


『貴方はお客です。来て下さるのはありがたいですが、そういった感情をむけられるのは、迷惑でしかない。どうぞ、お帰り下さい』


 眞人さんの台詞とは思えないくらい冷たくて、わたしは自分の耳を疑う。迷惑という感情がしっかりと乗った言葉は、離れたところで聞いているわたしの胸にもぐっさりと刺さるくらい鋭い。

 しかし、それは事実眞人さんの口から発せられたもので、顔を真っ赤にした女性は、何も言わずに店を駆け出して行った。


『相変わらず、けんもほろろだよなあ』


 くっと梅之介が笑って、『な。僕の言った通りだっただろう』と言った。


『お前も、眞人を好きになったらああいう風に拒絶されるぞ』

『びっくり、した……』


 断るにせよ、もっと優しい言い方がある。いつもゆったりとして、穏やかに構えている眞人さんなら、波風の立たないような綺麗な断り方が出来るはずだ。

 なのに、さっきの彼からは余裕なんか感じられなくて、全身で拒絶を示していた。

 人からの好意なんて、僅かでも向けられたくないという風に。

 一体、それはどうして……?

 わたしたちがこっそり覗いていることに気が付いた眞人さんが表情をふっと和らげる。それはいつもの優しい彼のものだった。


『さあ、片づけて飯にしようか』

『は、はい』


 切り替えについて行けなくて曖昧に笑うわたしの耳元で、梅之介が囁く。


『せいぜい、気をつけろよな』


 くすくすと笑う梅之介に、何も言い返せない。

 ただ漠然と、あんな冷たい言葉を浴びせられる日が来るのだけは、絶対に迎えたくないと思った。

 

――そんな人嫌いのくせに、こうしてわたしに優しくしてくれるんだよねえ。


 しっかりと繋がれた手を見下ろしながら思う。

 わたしと梅之介には、眞人さんは決して冷たい目を向けたりしない。いつもニコニコ笑っているし、気にかけてくれる。

 梅之介は『飼い犬』というポジションにいるから、犬として大事にしているのかもしれない。一年以上の付き合いがあるわけだし、その中で親しくなったのだろうとも思う。

 だけど、わたしは? わたしは一体何なの?

 梅之介同様拾われた身だから、わたしも『飼い犬』ポジにいるのかなと思う。あんなに強引な出会いをしたのだから、彼に拒絶する間を与えなかったのかもしれないとも思う。事情が事情なだけに、同情を買ったというのもきっと大きいんだろう。

 まあ、『飼い犬』であっても別に問題ないんだけどさ。完全に餌付けされてる状態だし、わたし。夕飯どきなんて、自分のお尻に尻尾が生えてて、ぶんぶん振ってる錯覚もある。

 でも、わたしって一応人間の女なわけだし、そんなにすんなりと『犬』に納まっていいわけ? と思わなくもない。だけど、『女』としてカテゴライズされた途端冷たく拒絶されるかもと考えると、それは『すごく嫌』なのだ。拒絶されるくらいなら、いまのままでいられるなら、犬でも何でもいい。それがわたしの本音だ。

 わたしが彼にとってどういう位置かなんて――知りたいけれど、この際どうでもいい。でも、どうして眞人さんがひとを嫌うのか、その理由はいつか知りたい。だって、せっかくこうして出会って、一緒に生活しているんだから。まだ数日だけれど、ふたりとの生活は思いの外楽しくて居心地がいい。だから、もっと相手のことを良く知りたい、と思う。


「シロ。やっと本堂が見えて来たぞ」


 考え込んでいる間に、列の先頭近くにまで来ていたらしい。眞人さんに言われてはっとする。


「さ、お参りだ」

「はい!」


 梅之介と眞人さんに挟まれるようにして一列に並ぶ。お賽銭を投げて、両手を合わせる。

 目と閉じてお願いしたことは、『これからの三人の生活が楽しくて幸せなものになりますように』だった。


 どうか、叶いますように。


「……すげえな、お前。『大凶』だなんて、僕初めて見た」

「あ、あうう」


 しかし、真剣にお祈りしたそのすぐあとに引いたおみくじが、人生初の『大凶』というのは、如何なものだろうか。


「一体、何を願ったんだよ。もう、絶対叶わないよ」

「あ、あうう」


 涙目で梅之介を見ると、「どうせ、大金欲しいとか下衆い欲望だろ」と鼻で笑う。


「違うもん! 梅之介と一緒にしないでよね!」

「はぁ? 僕はこれまで初詣では世界平和しか願ってこなかったんだよ」

「うわなにそれ。そんな願い事したって今までの悪事は帳消しになんないんだからね」

「そ、そんなんじゃねえし! ていうか、悪事ってなんだよ、バカ!」


 ぷんかぷんかと言い争いをしていると、わたしの手の中で握りつぶされたおみくじがひょいと引き抜かれた。見れば、くすくす笑っている眞人さんが「一番高いところに結んどこうな」と言う。


「いまが一番悪いってことは、後は上昇していくしかないってことだろ。悪くない」


 大きな梅の木の枝のひとつに結わえてくれる眞人さんを拝む。


「ま、眞人さん……なんて優しいの。梅之介に、その優しさの五分の一でもあれば……」

「むか。うるさいよ、ファンキー女。さあ、そろそろ行こうよ。いか焼き食べたいんだ、僕」

「あ! わたしも!」


 境内の中にまで漂ってくるいか焼きの香りは、抗いがたい魅力がある。行こう行こうと連れ立って歩くわたしたちの後ろを、眞人さんは保護者のようについてきた。

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