拾われたわたしの、新生活【4】
「はぁぁ。いか美味しい。この濃い味がいいよねえ。あー、ビール欲しい!」
「お前、すぐビールな。昨日も年越しビールとか言って飲んでたくせに、まだ飲むのかよ」
「梅之介だって飲んでたじゃん。あ、タレがこぼれそうだから気を付けて」
「うわ、やべ。あれ、眞人は?」
露店の前でいか焼きにかじりついていると、眞人さんがいないことに気が付いた。ふたりで周囲を見回す。
「あ、あそこにいるじゃん。おーい! 眞人さん、こっ、ち」
手を振って呼びかけようとして、しかし止めた。眞人さんは、知らない男の人と険しい顔をして話をしていたのだ。
眞人さんよりいくつか年上だろうか。恰幅の良い男性は、眞人さんの着物の袖を掴んで何か必死に言っている。眞人さんは困ったように眉尻を下げ、彼を振り払おうとしていた。
「喧嘩、とは様子が少し違うな。どうしたんだろ。シロ、行くぞ」
「あ、うん!」
ふたりで慌てて眞人さんの元に駆け寄った。
「こんなところで四宮さんを見つけられるなんて、思いもよらなかった! お願いです、戻って来て下さい!」
「だから、嫌だと言ってるでしょう。俺はもう、あそことは関わりを持ちたくないんだ」
「そんなこと、言わないでください。
話の流れが見えないけど、男の人は必死に眞人さんに縋っていた。眞人さんは彼からどうにかして逃げ出したいようで、後ずさりをしている。
「無理ですって。俺はもう戻りません。分かって下さいよ、
ああもう困ったなあ、と眞人さんが頭をがりがりと掻いた。そんな眞人さんに、浦部と呼ばれた男性はなおも言いつのる。
「お願いです!
その瞬間、眞人さんの顔が強張った。表情が消え、彼の周囲の温度がすっと冷えていった気がした。
「その名前、聞きたくなかったですね。あなた、よく俺の前でその名前を出せますね」
女性の告白を断ったときと同じ、いやそれ以上に冷たい声音。自分に向けられているわけでもないのに、足が竦んだ。
……眞人さんが、怒った。
「まだ怒ってるんでしょう、分かります。でも、小紅さんもあれから必死で四宮さんを探していたんです。見ているこちらがかわいそうになるくらい、必死に!」
「探して……? 意味が分かりませんね。俺はもうあいつとは何の関係もないし、何かしらの関係を築くつもりもない」
声音に、嫌な熱が入る。油が煮立つような、嫌な温度だ。
こんなにも分かりやすく眞人さんが怒っているのに、彼はまだ眞人さんに言葉を重ねる。
「すごく反省して、後悔していらっしゃるんです! だから、」
「だから赦せと? できるわけないでしょう」
掴んだ手を振り払った眞人さんだったが、浦部さんはそれでも縋ろうとする。
それを阻んだのは、梅之介だった。
「ハイハイ、すいませーん。ええと、あなた眞人のお知り合いですか?」
ふたりの間に割って入り、営業スマイルを浮かべてみせる。急に現れた梅之介に驚いたのか、浦部さんがぱちぱちと瞬きをした。
「え? あ、はい」
「そうなんですか。えっとですね、いま三人で楽しい初詣の最中なんです。これ以上邪魔しないで貰えませんか。それに、眞人がすごく嫌がってる。だから、もう話しかけないでください」
さらさらと流れるように言った梅之介は、眞人さんの手を掴んだ。
「じゃ、そういうことで失礼します」
言い捨てて、ずんずんと歩いて行く梅之介。引っ張られるようにして、眞人さんが連れていかれる。
この状況に全くついていけずにいたわたしは、浦部さんと共にそれを呆然と見つめていたのだったが、人ごみの中にふたりの背中が掻き消えたのを見てようやく我に返った。
「わ、ま、待って! あ、と」
慌てて追いかけようとして、浦部さんを振り返る。彼もまた、ふたりの消えた方向を呆然と見つめていた。
「じゃ、じゃあ失礼します」
「あ、待って!」
駆け出すわたしの背中に呼び止める声がかかったけれど、それに答えることもなくわたしはふたりを追いかけて走った。
「何やってんだよ、トロくさいな、もう」
少し行った先で、梅之介と眞人さんは待ってくれていた。着物男子ふたりというのは目立ってくれるので本当に助かる。
「ご、ごめん。つい、見送ってた」
「バーカ」
はあはあと息を切らすわたしの頭を梅之介が軽く小突く。それから、梅之介は眞人さんの方を見た。
「ていうか、眞人も何ぼんやりしてんのさ」
「え? ああ、すまん」
考え事をするように顎先に手を添えていた眞人さんが、慌ててぎこちなく笑う。
「どうしようかと対応に困ってたとこだったから、助かった。ありがとな、クロ」
眞人さんの大きな手が、梅之介の頭をぐりぐりと撫でる。
「ふん。僕は邪魔されたのを怒ってるんだよ」
子どもらしい扱いをされて怒るのかと思いきや、梅之介は少し照れたようにつん、と顔を背けた。
「散歩の途中で立ち止まった飼い主に、飼い犬が早く行こうって急かしただけだよ」
「ぷ、我儘なペットだな。しかしまあ、そうだな。じゃあ待たせたお詫びに、何か買ってやろう。何食いたい?」
「トウモロコシ!」
「ん、分かった。シロ、お前も食うか?」
わたしの方を見て、眞人さんが言う。その顔つきには、さっきの冷たさは欠片も残っていなかった。
さっきのは一体何だったんだろう……。
訊きたいけど、訊けない。それはまだ、わたしが立ち入ってはいけない部分だと思う。
「あー……と。食べ、ます」
「よし、じゃあ買いに行くか」
言って、眞人さんが先を歩き出す。今度は、わたしと梅之介が後ろから追いかける形となった。梅之介の横をとたとたと歩く。
「……ふう、ん。華蔵、ねえ。なるほど」
眞人さんの背中を見つめていた梅之介が、ぽつんと呟いた。
「腕がいいわけだ。へえ」
「梅之介、華蔵って知ってるの? 華蔵ってなんなの?」
何か知っている風な口ぶりだったので、顔を覗き込んで訊く。わたしを見下ろした梅之介は、べ、と舌を出して見せた。
「言わない。シロには関係ないもんね」
「む。なんで」
「これは『飼い犬の呟き』なんだよ。だから、シロには教えてやんない」
「なにそれ」
「言葉のまんまだよ。シロが入っていい場所じゃない」
それは、自分でも分かっていたことなので、わたしは口を噤むしかない。押し黙ったわたしに、梅之介がふっと息をつく。
「まだ」
「え?」
「まだ数日の関係だろ。お前はまだこれからってこと。ねえ眞人、たこ焼きも買って!」
眞人さんに声をかけた梅之介は、眞人さんの横に並んで歩き始めた。さっきのことなんてまるでなかったようにして、笑顔で話を始める。
「まあ、梅之介の言う通りだ」
ふたりの背中を後ろから眺めながら呟く。
暮らし始めて数日だ。そんなわたしがどかどかと入り込むには、デリケートな問題すぎるだろう。だって、わたしよりはるかに付き合いの長い梅之介でさえ、眞人さんに何も訊かないのだ。
「一年の付き合い……だったよね。それにしては、すごく仲がいいんだよねえ」
後ろから見ていると、ふたりはとても長い付き合いの友人のようにみえる。間に漂う空気が落ち着いてしまっているのだ。仲というのは、付き合ってきた時間の長さではなく、深さとか密度なんだろうとしみじみ思う。
まあ、それもそうか。だってふたりは互いに納得済みの『飼い主』に『飼い犬』なわけだもんね。しかも、ずっと生活も仕事も共にしているわけだし。
何だかその独特な繋がりが羨ましい。友情とはちょっと違って、でも信頼しあえている関係っていうのかな。
屈託ない笑顔を見せる梅之介の横顔を眺めながら、いいなあと思う。
わたしも、眞人さんや梅之介といつかそんな特別な関係に慣れるだろうか。いろんなことを話せるような、そんな関係に。なれたらいいなあ。
と、ふっと気になった私は後ろを振り返った。ひとごみの中に置いてきた、浦部さんを思いだす。
『小紅さんも必死に眞人さんのこと探して……』
名前だけで、眞人さんの顔つきを変えたひと。一体、小紅さんって誰なんだろう。どんなひとなんだろう。
ふっと足を止めて考えるわたしの頭に、ぽんと手のひらが乗った。振り返ると眞人さんがいて、「迷子になるぞ」と言う。
「ほら、行こう。シロ」
「あ、はい」
眞人さんの後を追いながら、わたしはもう一度だけ振り返った。ひとごみの中に、疑問の答えがないことは分かっていたけれど。
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