拾われたわたしの、新生活【2】
*
「連絡がないかと思えば、もう住むところを決めたってどういうこと」
「ごめん、真帆。でも、すごくいいひとなの。超好条件なの」
「ちゃんと説明してごらんなさい。あんたの為に精一杯の食事を用意してたっていうのに待ちぼうけをくらった私を納得させなきゃ、ひどいわよ」
翌日、わたしは真帆にこっぴどく叱られていた。泊まると言っておいて一向に姿を現さないわたしを心配してくれていたのだから、それも当然だ。土下座せんばかりの勢いで謝罪をし、事情を話す。それから、真帆のお気に入りのイタリアンバルでご飯を驕るということでようやく許していただいた。婚約のお祝いも兼ねて、婚約者となった彼氏もどうぞと言うと、真帆はようやく機嫌を直してくれた。けれど、眞人さんのことに話が及ぶと顔を顰めたのだった。
「小料理屋の店主ってところはいいとして……三十前後の男ぉ? それって、問題案件じゃないの。結婚は?」
「してない。独身です」
「だったら完全なる大問題案件です。あんた、手をつけられたんじゃないでしょうね。達也さんにフラれて、その寂しさの余り……」
「ない、ないです。まっさらです」
般若のような形相になっていく真帆に、慌てて言う。同じ布団で寝てはいたけれど、何もやましいことはしてないのだから、報告する必要はない。多分。
「いまのところはってことじゃないの? あんたっていまは髪型こそアレだけど、見られる顔してるし」
「大丈夫。そんなこと絶対しなさそうだもん」
酔ってヘロヘロのわたしと一緒に寝ていて何もしなかったのだから、大丈夫だ。それに梅之介の言葉を信じるなら、眞人さんがこれから先わたしに何か仕掛けてくるということはまずないだろう。
「すごくいいひとなの。真帆もきっと、眞人さんを見たら安心すると思う」
「会って間もないんでしょ? そうしてそんな風に断言できるのよ」
「まあ、そうだけど。でも、わたしは眞人さんにとって犬みたいなもんだから」
くすりと笑って言うと、真帆が不思議そうに瞬きする。
「意味わかんない」
「とにかく、そんな心配はいらないと思う。ほら、これも眞人さんが作ってくれたんだよ」
いまは昼休みだ。真帆と共に休憩に上がったわたしは、眞人さん手作りのお弁当を食べていた。二食という話だったのに、これじゃ三食になっちゃいますよと言ったわたしに、『作らない日もあるだろうから、気にするな』と彼は出勤前にお弁当をくれたのだった。
わたしには少し大きめのわっぱ弁当に、出し巻き卵やブリの西京焼きなどが品よく詰められている。ああ、美味しい。これ、余裕で完食できそう。
「見てよ、すごく美味しそうでしょ? 味も最高なの」
お弁当を覗き込んだ真帆が「確かに」と頷いて出し巻き卵を一切れ摘み上げた。ぱくりと口に入れてもぐもぐする。
「……美味しい」
「でしょ⁉ こんなに美味しいお弁当を頼みもしないのに作ってくれるんだもん、いいひとでしかないでしょ!」
「あんた……食べ物につられたんじゃないでしょうね」
「あう。な、ないよ」
食べ物につられたというより、匂いにつられて出会いましたとは、さすがに恥ずかしくて言えない。そんなわたしを疑わしげに真帆は見つめていたけど、「今度、その店に連れて行って」と言った。
「え、どうして」
「そりゃ、心配だからよ。変な男だったら、即刻出て行かせるの」
言いながら、真帆はわたしのお弁当から小芋の揚げ煮を摘み上げる。
「あと、美味しいから普通に客として行ってみたい」
最後はおどけたように笑う真帆だったけど、本当にわたしを心配してくれているのだろうと分かった。
「うん。今度連れてく」
「約束ね。しかし、本当に美味しいわ。もう一個ちょうだい」
「やだ! わたしのおかずがなくなっちゃう!」
休憩室で笑い合っていると、急にドアが開いた。入って来たのは武里チーフで、わたしを見ると「ごめん、三倉」と頭を下げた。
「国枝の移動の件、少し時間をくれないかな。移動先の店舗が簡単に決まりそうにないんだ」
「アヴェイル鷺ノ宮店に空きがありますよね? そこじゃだめなんですか?」
真帆が一番近くの店舗名を口にした。そこは先日スタッフがふたりも辞めたばかりで人材が不足している。わたしも、松子はそこに移動になるものと思っていた。
「それが、そうもいかなくなってね」
武里チーフが眉根を寄せてため息をついた。休憩室にわたしと真帆しかいないのを確認して「君たちにだけ言うけど」と続ける。
「国枝は、アヴェイルのスタッフの彼氏も盗っていたんだと。国枝が移動してくると聞いたスタッフのひとりがそれなら店を辞めると言い出して、それで発覚した」
「うそ!」
真帆が短く声を上げた。
「店舗が違うから仕事を続けられていたのに、と泣かれちゃこちらとしても国枝を移動させるわけにもいかない。かと言って、他の店となると調整がなあ」
四十を越したベテランの武里チーフの顔に、苦渋の色がある。
そういえば、アヴェイル鷺ノ宮店には松子と仲の良い子がいた。あの子だろうか、とぼんやり考える。いつからだったか、松子の口から名前を聞かなくなっていたっけ。
「本当にすまないと思ってる。だけど、もう少しだけ我慢してくれないかな。どうしてもというのなら、三倉が移動を」
「それはダメです! 白路に、彼氏だけじゃなく職場も明け渡せって言うんですか⁉」
就職して以来、わたしはこの駅中店にずっと勤めている。できれば、真帆もいて居心地のいいこの店舗に居たい。
「だよ、なあ。うん、わかってる」
はあ、と再び武里チーフがため息をつく。
「とりあえずシフトを見直して、ふたりがなるべくかち合わないように組むから、それで当面は許して欲しい。こんな状態が長く続かないようにするから。年明けには、どうにかする」
「え、と。お願い、します」
武里チーフの様子を見ていたら申し訳なさのあまり「このままでいいです」と言ってしまいそうになる。だけど、松子と一緒に働き続けると言うのは辛い。深く頭を下げた。
「まさか、あの子がこんな問題児だとはねえ。頭が痛い」
武里チーフは「本当にごめんな」と言って部屋を出て行った。
「やだ、あの子って前科ありじゃない。探せば、他にも盗られた子いるんじゃないの」
怒りで顔を赤くした真帆が力任せにテーブルを叩く。
「まあ、白路に対するやり方を考えたら、それくらいのことをやってそうではあるけど! ああ、ご飯が途端に美味しくなくなっちゃった」
食べかけのお弁当に蓋をして、真帆がわたしの顔を覗き込んだ。
「私もいるし、他のスタッフだって白路の味方だから。がんばろ」
「……ん。ありがと」
真帆の優しさに胸がいっぱいになる。わたしの代わりになって怒ってくれる人がいるというのは、とても有難いと思う。
「よし、ご飯食べよ。真帆もほら、残しちゃだめだよ」
「んー、そうね。食べる! だからさっきのお芋、もう一個ちょうだい」
「仕方ないなあ。あと一個だけね?」
真帆の笑顔を見ながら、わたしは大丈夫だと思う。真帆がいて、眞人さんみたいな優しいひととも巡り合えた。いまはまだ辛いけれど、この胸の痛みもきっといつかは風化していくことだろう。それまで、がんばろう。
眞人さんの作ってくれた出し巻き卵を頬張りながら、わたしはそう誓ったのだった。
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