最終話 転校生は運命なのかしら
ヒロインがヤンデレ化したものの、とりあえず断罪イベントからは逃れたのだ。夜逃げなんてしなくていいだろうと、ほっと一息ついて家に帰ったところ、父が夜逃げの準備をしていた。
夜逃げの準備をしていたといっても、私だけがしていたことだ。私にとっては人生を左右する問題であったが、前世の記憶などと妄想にしか思えない娘のたわごとである。一家総出で逃げる準備などしていない。
そもそも父母にはまったく落ち度はなく、横領の疑惑も晴らせる術がある。問題があるとすれば私が関わるゲームの強制力くらいだ。
つまり、私だけが夜逃げしてしまえば、伯爵家に何かが起こることはない。
ゆえに私は一人で夜逃げの準備をし、断罪イベントに挑んだというわけだ。
では何故父は夜逃げの準備をしていたのか。
理由はクレメテル男爵にあった。
クレメテル男爵は陰から父に執拗に絡み、夜会で娘が爆発したのをきっかけに謝罪に来たといって、ヤンデレを発揮したらしい。これがまた厄介なヤンデレで、下僕として密にお願いしますといってきたそうだ。
男爵は愛妻家で妻をどこにも見せたくないと豪語しているため、ちょっと親近感を覚えていた父は頭に雷が落ちる衝撃だったとか。
それでもなんとか下僕とはどういうことですかとドン引きしながら聞いたところ、この世で一番愛してやまないのは妻であるのだが、傅きたいのは貴方だけですという、大変拗らせた答えとともに靴を舐められそうになったそうだ。
父はその日のうちに陛下と職場に暇を乞い、王都から領地へと逃げ帰ろうとしていた。
母は母で、父をこよなく愛し伯爵家を愛する人なので、夫と娘が狙われているとあっては黙っておれず、クレメテル男爵夫人にクレメテル父娘の言動を告げ口する手紙を出してから、親子水入らずで旅に出ましょうと微笑んだ。
それならばと一家総出で夜逃げしたわけだ。夜逃げにしては生ぬるいが、男爵家は告げ口もあって混乱したようで伯爵家としてはしてやったである。
そんなこんなで夜会から数か月たった今、私は王立魔法学研究所付属学校にいた。
私が夜逃げするために準備していた転学先である。
この学校は魔法に関する知識が豊富で魔法に対する向上心が高い人間が行くところで、王立といいながら、魔法が盛んなディリー伯爵領内にあるという都合のいい学校なのだ。伯爵令嬢としての立ち回りさえなければ、最初からここに入学していただろう。
私は断罪イベントを避けるために勉学に励んでいたので、学力に問題はない。魔法に対する向上心に関しても問題なかった。魔法なんてあくまで物語の中であった場所からこの世界に転生しているせいか、魔法が楽しくて仕方なかったからだ。
先生方から太鼓判をいただいて編入試験を高得点で合格し、晴れての転学である。
「はいはい、皆静かにね。今日はまた転校生を連れてきたぞ。なんと驚け。この学校に好きな人がいるから転校してきた大馬鹿者だぞー」
新しい学校にも慣れ、穏やかで楽しい日々が続いていた。伯爵領内というだけあって、顔見知りもいる。友人は……できたような、そうでないような。相変わらず微妙な距離があるのは私の身分のせいか、顔のせいか、性格のせいか。
ただ、前より遠巻きにされることは少なくなっていた。
そんな中での転校生だ。もしかして油断大敵という奴だろうか。
「セ、セアルギィッ……せん、せい! そういうことは!」
身構えた私より焦ったのは、きっと転校生本人だ。
先生に教室に入れといわれる前に教室に入り、慌てて声を上げる。
転校生は夜会で友人になると約束していただいた共犯者クラヴィア殿下だった。
「いやこの大馬鹿者、魔法は使えるし頭はいいし運動神経もいいし向上心もありありだし、顔もいいこんちきしょうで、しいていうなら家柄がやんごとなさ過ぎて問題かなって思うんだけど、まぁ気苦労耐えなくても今は平和だし、玉の輿できるかなって感じがあってなんか世の中って不公平とか思っちゃうわけだ。だーけーど、夜会で惚れたご令嬢に逃げられてうじうじうじうじ悩んでやっとやってきたっていう、男前さ少なめってあたりが欠点かな!」
先生の最初の紹介は冗談をいっているだけで、約束でも守りにきたのかなと一瞬思ったが、どうやら違うらしい。
殿下は夜会で惚れた令嬢を追いかけて転校してきたそうだ。なかなかどうして情熱的である。
それをバラしてしまったセアルギィ先生は元宮廷魔法使いで、殿下の魔法教師もしていた人なので、殿下にまったく遠慮がない。
しかも自惚れでなければ、夜会で惚れた令嬢とは私のことだろう。
この学校に数か月前に転校してきた伯爵令嬢で、夜会で殿下に深く関わったのは私くらいだ。
「だからセアルギィ!」
慌てる殿下は育ちのせいか、師弟関係のせいか、セアルギィ先生を抑え込めない。
「おやおや先生はどうした、クラヴィア殿下よぉ。だいたい、もじくさもじくさ面倒くせぇんだよ。殿下がうじうじ悩んでいなければ試験はさっさと済んでたし、すぐ転校余裕だったってのに、何か月も悩んだんだよ。悩む間があったら、外堀でも埋めてろってんだ。そこの辺りが権力だろ! 王族だろ! 貴族だろ!」
セアルギィ先生は最低なことになおもペラペラとしゃべり続けた。内容といい有無をいわれる前にしゃべり倒すところといい本当に最低だ。
聞いている生徒たちも殿下の挙動よりセアルギィ先生の所業に、苦い表情を浮かべ殿下に憐れむ目を向けた。
「お前は! 本当に! 変わりなく最悪だな、セアルギィッ……先生!」
「ははは。ひと月くらいならこの俺も我慢してやったんだがな。最初から最低なことをいってしまっただとか、頼りない姿を見せてしまったとか、今更なんなんだよあっちいけとか思われてないかとか数か月延々相談された俺の鬱憤を知るがいい! それに見ろ! 想い人だっていうディンリィ嬢の堂々としたこと。嬢はできたひとだからな。熱烈で可愛そうな殿下に可愛そうだなぁという目をくれるけど優しくしてくれるぞ!」
自信満々に私に目を向けた先生に、淑女でなければ眉間に皺を寄せていただろう。殿下びいきでなくても、なんとも嫌なクソ野郎である。淑女でなく転生前の世界なら、品がなくともクソ野郎めと舌打ちをお見舞いしてやったのに、クソ野郎畜生めだ。
「セアルギィ先生が教師としても人間としても歪んでいるし最低だなと思っていたところです」
おそらく、舌打ちをしても先生は悪びれなく、愛情表現とニヤニヤしたに違いない。
舌打ちもできず眉間に皺を寄せる事さえできなかった、私の冷たい声に先生は手を叩いた。
「さすが嬢! 冷たい目が突き刺さるぜぇ。まぁ、皆は腕に覚えがあって腹芸できて表面繕えるなら最低最悪の魔法使いでも城勤めもまぁまぁできるって覚えておくといいぞ。代わりに助手と弟子と部下は苦労するが。な、殿下」
殿下は顔を両手で覆って、お婿にいくことはないのだがお婿に行けないといいそうな雰囲気さえある。確かにこれはかなり苦労しているし、可愛そうだ。
「……その、ディリー嬢……」
「はい」
「嫌いにはならないでほしい……」
殿下にとって大変恥ずかしく、不名誉で、デリカシーなどまったくない、心に傷しか残らない最低な告白であったが、私にとってもいい告白ではない。
巻き込まれて身の置き場がなくなり、こじれにこじれて殿下は悪くないのに苦手意識ができるなんてこともあるだろう。
けれど、小さく控えめに『嫌いにならないで』といわれると、私はこう思うわけだ。
「ふふ、お可愛らしい方ですもの。殿下を嫌うことなどありません」
すると殿下は半べそをかきながらも顔を上げ、明るい顔で笑った。
本当に可愛らしい方である。
おわり
悪役令嬢は運命と共犯になったので。 亀吉 @tsurukame5569
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