第5話 運命とは一体なんのことかしら


 私のきっぱりとした態度に、クレメテル嬢はよろよろと後退する。ショックのあまりか声も出さず、彼女は両手で顔を覆う。


「さすがにいい過ぎなのでは」


 殿下は顔に似合わず甘かった。

 外見は俺様系で我を通すように見えるけれど、よく周りを見ていて、たまに押し切れない。


 確かに私も彼女に初めてはっきりとしたものいいをしたときは、殿下のように反省した。けれど彼女と何回か顔を合わせているうちに、杞憂であったと気が付いた。

 私は王子に向き直り、首を振る。


「彼女は泣いてはいません。泣いているふりをしているわけでもありません。ただ衝撃が強かっただけなんです」


「泣いているように見えるが」


 うつむいてこの世の終わりみたいな様子で、彼女の小鳥のように愛らしいといわれる外見も相まって、彼女はか細い、哀れな女の子に見えるのだ。


「そんなことはありません」


 体当たりされきっぱりと彼女のいっていることを否定しているうちに、私は何度も『そんなことはない』現場を目の当たりにしてきた。


「ふふ……ふふふ、さすがディリー伯爵令嬢ですわ。私を理解してらっしゃる。こうなったら仕方ありません。殿下と結婚されたのではないのですもの。結婚するまでの間になんとか私を好きになっていただいて末永く密な友情を築きあげ殿下との婚約なんてそっちのけに……」


 彼女は衝撃を吸収し、自己解釈するために外界からの刺激を少なくしようと顔を覆って小さくなるのだ。


 まだよろよろしているものの、クレメテル嬢はぶつぶつと暗い顔でつぶやき始めた。そのせいでせっかくの純粋で清楚、天真爛漫で優しいヒロインのふわふわで可愛い顔が、一気に病む。


 殿下が小さく息を飲み後ずさる。

 今回のはいつもよりキマっていて……正直、私の話をしているだけに、私も怖い。


「ふふ、ふ。そうしたらディリー伯爵令嬢のことディンリィ様とお呼びして、ふふ、美しい薔薇、ふふ、棘があって。ふふ。痛みが心地よく、ふふ、ふふふ、ふふ。私、決めました!」


 何を決めたか知らないけれど、殿下だけでなく、私も一歩後退する。

 今までの彼女は自分の世界を作っても、なんとか私の話を聞いてくれたし『わかりましたわ!』と元気よく返事をして、ご機嫌で帰ってくれた。


 しかし今回の件はかなりの執着があるようだ。

 さすがの私もどうにか彼女を他に押し付けることができないかと、辺りを見渡し、絶望する。

 夜会参加者は遠巻きに私たちを眺めていた。あれほど煩い陰口や噂話さえ聞こえないほど遠くだ。


 どうしよう……クレメテル嬢以外で唯一傍にいた殿下に、私は視線を投げかる。

 すると殿下はハッと目を見開き、意を決したようにクレメテル嬢と対峙した。先程までじりじり後ずさっていた人とは思えない勇敢な行動だった。


「……っ、ディリー嬢は、私が婚約者にと望んだ女性……だっ。仲良くなるにしても、礼節を持って、手順を踏み、清く正しく、本人の望まぬことは強要せず、一人で盛り上がらず、節度を……きちんと節度を守ってだな……自分でも何をいっているかわからなくなってきたが! とにかく、クラール!」


 怖がりながら自分のいっていることもわからなくなりながら、勢いで前に出た姿は、情けなくも可愛らしく、なんだかかっこいい。

 夢見る乙女たちの理想とは程遠いものの、好感の持てる共犯者だった。


「すすすすすみません、殿下ァ―! こんなの私も初めてでぇええ!」


 殿下がその名を呼ぶと、クレメテル嬢の兄、クラール・クレメテル様がジャンピングスライディング土下座をせんばかりの勢いで飛び出してきて、ぺこぺこと頭を下げる。妹の破天荒な行動にいつも付き合っているのか、見事な謝罪だった。


 見事なのは謝罪だけでなく、妹の回収の速さもだ。

 初めて見る妹の行動にあっけにとられていたけれど、正気に戻ればその行動たるや、人間に追い回され警戒心をあらわにあっという間にどこかに行ってしまう猫のような俊敏さである。


 『待っていらして! 私は必ず! 必ずディンリィ様、ああ! ディリー伯爵令嬢を……!』という非常に恐ろしい声が聞こえたが、とにもかくにもクレメテル嬢はこうして兄君に担がれ、去って行った。


「すまない、ディリー嬢。貴女にばかり負担をかけてしまった」


 クレメテル嬢が兄君に担がれ会場を後にすると、殿下はしょんぼりとバツ悪そうに口を開く。


 私の役目はそのクレメテル嬢の行動緩和……衝撃緩衝材だ。殿下が私にプロポーズしたのは、そのためである。わかっていながら役に立てなかったのは私だというのに、律儀で素直、やはり可愛らしい方だ。


「いいえ、助けてくださってありがとうございます」


 結局、私が目的であったクレメテル嬢がエスカレートし私にはどうにもできなかった。断罪エンドを覚悟していただけに、この結末に対処できなかったのも申し訳なく思う。


「俺の方もありがとう」


 私の安堵が表面に出ていたのか、殿下はきょとんとして私を見つめたあと照れ臭そうに笑った。

 困ったといえば、この可愛らしい方にも困ったなぁ……とこちらも照れ臭くなりながら、また殿下の腕に手を添える。


 殿下は得意げな顔で、私と一緒に再び歩き出す。

 ほっとしすぎてヒールから足が落ちそうである。


 そうしてなんとか挨拶に向かうと王妃様がころころと笑ってこういった。


「災難に遭われましたね」


 殿下のお顔は王妃様、性格は陛下に似てらっしゃるんだなと青い顔をして王妃様に手を握られている国王陛下を見て、しみじみ思った。

 私は本当にしみじみと、疲れた気分でそう思ったのだ。

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