第266話 ヴェルトVSグスタフ その②

「リリィをこの国から守りたいから闘う」


 踏み込んだ。


「ほほ。勇ましい、勇ましいです! ですがそれは驕り! 傲慢ゆえの無謀! 独りよがりな我儘だと、気付かぬ愚か者がぁっ!」


 グスタフも猛り上げた。窓ガラスをビリビリと震わす、獣のような咆哮。悪鬼の形相を浮かべて、老兵が走る。悠然と拳を構えるヴェルトに、加速するグスタフが迫る。


「ヴェルト! 避けてっ!」


 あの速さでは、グスタフの拳の方が早い。また、サンドバッグのように打ちのめされてしまう。

 私の心臓は爆音を上げて高鳴っていく。

 だが、ヴェルトは逃げなかった。

 じっと引いた右の拳を、大きく振りかぶる。

 一撃が入る。右胸を強打するグスタフの一撃。続けざまに、左頬。右脇腹、左太もも、右顎……。連打が重なり、これでもかというほどの決定打が撃ち込まれる。何発撃ち込まれたのかわからない。もうやめてと叫びたくなるほど、グスタフは容赦がない。

 でも……。それでも、ヴェルトは逃げなかった。引かず、倒れず、のけ反らず、その一撃、意志と思いを込めた、たった一発のために全てを受けきり、――そして放った。


「な――!?」


 打ち続けられる軽い拳などものともせず、自身の防御など一切考えず、ただ一点、立ちふさがる巨大な壁を打ち砕かんとする勢いで、放った。

 それは、敵の攻撃も国の脅威も受け流し、俯瞰した視点から物語を見守って来たヴェルトらしくない、確固たる意志がこもった、特別な一撃だった。

 二人の勢いが止まる。

 痛いほどの静寂の後、からんと音を立てて転がったのは真っ白な仮面だった。

 左頬の部分は大きく割れ、反対の頬にまでひびが入っている。誰の拳が誰の頬を貫いたのかは、明白だった。


「はぁー……はぁー……はぁー……」

「ヴェ、ヴェルト!」


 思わず駆け寄る。同時に、グスタフが崩れた。


「……どうだ。参ったか、老兵」

「……ほ、ほほ。……完敗、ですな」

「文句ねぇな。俺はリリィと行くぜ?」

「……敗者に口なし、でございますよ……」

「グスタフ……」


 満身創痍の勝者と、運命を悟った敗者。お世話になったしわしわの両手を、今私は、労ってやることはできない。それはとても悲しいことだけれど、乗り越えようと決意したことだ。

 ヴェルトは、無情にもキャメロンを向ける。その意味するところを、グスタフはもちろんわかっている。

 瞳に移るのは恐怖か後悔か。数秒後の運命を飲み込んで、ひび割れた口から言葉が漏れる。


「もし、私の願いを聞いていただけるのでしたら……」


 醜く歪んだグスタフの顔が、まるで私の寝坊助を叱っているときのように柔和に微笑み……。


「リリィお嬢様を、頼みます」


 そう言った気がした。


 カシャリ。


 魔法が発動する。その音だけが、静かな廊下に響き渡った。

 国の威信と、王女の安寧と、執事の矜持を賭けて闘った、一人の男の英雄譚に、栄光あるエンドロールが流れることはなかった。

 私の大好きな家族は、私が見ている前で、初めて負けたのだった。

 しばらくの静寂をはさんでグスタフの表情が変貌する。


「お嬢様! ご無事ですか?」


 殴られた頬を気にすることなく、目を丸くして第一に私の心配をする献身的な執事。痛みなどなかったかのように立ち上がり、私の肩を揺さぶった。


「牢に閉じ込めていたフェアリージャンキーが暴れ回っているようです。安全な場所まで逃げましょう」


 さぁ、と言って手を差し出して来る。しわしわで、ごつごつで、暖かな、私の大好きな手……。

 けれど私は、毅然としてその手を拒んだ。代わりに、横に立っているヴェルトの手を握る。


「だ、誰ですか? あなた!」

「グスタフ。聞いて」


 ヴェルトの存在にようやく気が付いたグスタフは、突然現れた不審な男に戸惑っているようだ。けれど、説明している時間なんてない。


「私を、お父様、……いいえ、童話王のところへ案内しなさい」

「お、お嬢様?」

「これは、王女としての命令です!」


 さらに戸惑うグスタフを、私は逃さない。力を込めた強い瞳で、その目を見る。

 私は、生まれて初めて王女として振舞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る