第238話 誰もが幸せになる最善策 その②

 歴史の国で革命家の烙印を押され、逃げ込んだ童話の国では取引の材料にされて散々な憂き目に遭った彼が、どういうわけか今、ここにいる。

 ヴェルトが要求したのはアルトゥールの身柄だった。


「兵士の人に牢屋から出ろって言われて、騎士様や皆さんのいた部屋に連れて来られて、あのガラの悪い人たちと交換だって言われて……。もう頭パンクしちゃいますよぉ。僕、どうしたらいいんですかぁ」

「大丈夫。アルティ君は何も悪いことしてないってことだから」

「そ、そうなのかなぁ?」


 半信半疑といった感じで首を傾ける。


「イバール騎士団長が条件を呑んでくれたからよかったものの、だよ。ヴェルト君。一歩間違ったら戦争に発展していたかもしれない。わかってる?」

「わかってるさ。教典の国とも火種を作って来たんだ。ちゃんと守ってくれよ、軍隊長殿」

「他人事じゃん!」


 イバール騎士団長は、泰然自若と言う言葉が似合うパンダのような人だった。身長はヴェルトよりも大きく、ヴェルトの五倍ほどの体重がありそうな巨漢。頬の肉と一緒に垂れた目が、肩書に似合わずチャーミングだった。

 イバールはヴェルトの乱入にこそ驚いたようだったけれど、取引の内容を聞いて公平に吟味してくれた。

 大して害も力もない一人の少年と、自身の領土を侵略する恐れのある教典の国の人間……。利用価値があるのがどちらかなんて、考えるまでもない。


「ヴェルトと言ったかな。君の真意を私は知らないが、きっと君にとって価値のある取引なのだろう。そして、私にとっても価値のある取引だ。構わない。その少年は国のルールに引っ掛かったというそれだけの理由で捕らえられた可哀想な少年だ。連れていくといい」

「感謝いたします」

「若者の未来を摘むことは辛い。生まれる場所が悪かっただけで未来を閉ざされる今のこの国は、確かに間違っているのかもしれない。けれど騎士は王の物。こうして大義名分を与えられなければ、小さな子供一人助けることができない。――君はもしかして、そこまで考えてこの話を持って来たのかな」

「さぁ、どうでしょう。買いかぶり過ぎではありませんか」


 かくして歴史の国と童話の国の国境が引かれる条件に、小さな付加条件が追加され、ついに両国の国境は成立したのだった。湖の向こう側には砦が出来て、両国が正式に交流するための関所として機能していくことだろう。

 それは、誰もが願った未来だ。


「で、この子を引き取って、君は一体何をするつもりなの? 教典の国との火種を作ってまで助ける価値があるようには、おねーさんには見えないんだけど」


 レベッカがしびれを切らして詰め寄ってくる。

 ヴェルトは気にした風でもなく、ポロリと漏らす。


「童話の原石、か。よく言ったもんだよな?」

「なに?」

「いいかレベッカ。それにリリィ。童話王によく伝えてくれ。俺はここで、最後の責務を果たす」

「ヴェルト!? 何を言っているの!?」


 慌てた私が腕にすがる。

 こんな状況で、一体誰の記憶を奪うというのだ。

 童話軍の人たちが見張っていて、村人たちが見守っている。こんな状況でたった一人の生贄を差し出そうものなら、偏りが生じてあっという間にバランスは崩れてしまう。私たちに選べる選択肢なんてないのに……。首から提げたキャメロンを、思わずぎゅっと握りしめた。

 ヴェルトは私の心配をよそに、ここに集まった全員の顔を見回した後、懐から何かを取り出し、みんなに見えるように応接用のテーブルの上に投げた。


「それが、この童話だ」

「童、話……?」


 表紙に『時間旅行』と書かれた例の童話が、ぽんと一つ、静かな湖面に波風を立てるように置かれた。

 レベッカやギールの頭にも、そしてモニカやシューゼル、私の頭にも疑問符が浮かぶ。

 アルトゥールだけが、あっと言って口を押えた。

 ヴェルトは大きく息を吸って続きを始めた。


「過去に戻りたいと思ったことはないか? あの時違う選択をしていたら、今のようになっていなかった……。運命は残酷で、一度過ぎた時間は元には戻らない。俺はこの村に帰ってきて、そんなことを何度も思ったよ」


 ヴェルトが何の話を始めたのか理解はできなかったけれど……。うん、確かに過去に戻りたいと思った経験は私にもある。

 ヴェルトが責務を果たすたびに思っていたことだ。

 辛い思いを誰にもさせたくはない。私が守れるなら守りたかった。そう思ったことは一度や二度ではない。この村に来てからも何度も思った。モニカの記憶が奪われなければいい、ヴェルトをあそこで引き留めていれば……。後悔したことはたくさんある。

 みんなも同じように顧みたのか、静かな時間が少しの間流れた。


「も、もしかして、その童話に過去に戻る方法が書いてあるのか!?」


 期待に満ちたシューゼルの言葉。けれどヴェルトは首を振る。


「これはただの童話だ。特別な力は宿っていない。――人を虜にするっていう、童話本来の魅力以外には、な」

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