第234話 ヴェルト奪還 その①

 長くたなびく雲が月を隠す。忍び寄る冷気に身震いを一つ。 

 クリフが敷いた包囲網は着実に奴らのアジトを包囲しつつあった。私たちは息を潜めて配置につくのを待っている。

 森の中は不気味なほど静かだ。

 そよ風が吹くたびに草木が揺れ、音にびっくりして私の心臓がビックリする。緊張感で胸が張り裂けそうだ。


「クリフさん。もう間もなく包囲完了っす」

「おう。――お前ら、準備はいいな?」


 クリフは膝立ちしたまま隠れる同胞を見渡す。誰も彼もがたった一つの目標を胸に、まっすぐな決意を込めてクリフを見上げていた。

 目の前には丸太を積み上げて作ったロッジ。ちろちろ揺れる橙色の光とともに、賑やかな笑い声がこぼれて来ていた。

 彼らは一体何を肴に酒盛りをしているのか……。考えたくもない。


「不安か? リリィ王女は俺と一緒にここにいるといい。万が一があるといけない」

「ありがと、シューゼル。でも、私も行くよ。助けに来たんだから」

「……強いな」


 私は胸にぶら下がるキャメロンを握りしめる。

 待ってて、ヴェルト。


「伏せろ! 誰か出て来たぞ!」


 風の音に混じって、クリフの鋭い声が聞こえた。私は咄嗟に身を屈める。


「くっそ……。あの野郎、絶対イカサマしてやがった……。今度こそ見破ってやる。うー、さみぃ。えっと、薪、薪~っと」


 クリフにも負けない体格の男が勝手口から出て来て、ロッジの裏手へと歩いて行く。酔っ払っているのか、足取りがおぼつかず、地表に出ていた木の根につまずいて、転びそうになっていた。


「あの人、見たことある。前襲われたときに、私を拘束していた人だ」

「ビンゴってことだな? 王女様」

「間違いないよ」


 クリフに向かって自信を持って頷いた。羽交い絞めにされた太い腕。あんな恐怖体験、忘れるわけがない。

 クリフの眉がにやりと上がる。私は少しだけ、モニカがクリフに憧れる理由を理解できた気がした。


「一班は俺に続け、残りは待機だ。まずはあの大男を抑える」


 言うと、伝令役の自警団の人が、音もたてずに森の奥へと消えていく。クリフはその後ろ姿を見送った後、大きく息を吸い込んだ。

 のしりのしりと大きな図体を晒して、男の消えたロッジの裏へと歩いて行く。


「こんなもんでいいか。うぃっく。……あぁん? ブルーネかぁ? いくらおいらが鈍臭いからって、えへへ、心配してついてこなくたっていいんだよぉ……?」

「酔っ払って気持ちよさそうなとこ悪いんだけどよぉ」

「あぁん? ブルーネじゃ、ない……?」

「俺たちは今、無性にさぁ」

「だ、誰――!?」

「気が立ってんだよぉ!」


 クリフの丸太のような右腕が、下から上に突き抜けるのが見えた。

 鉄拳は大男の顎にクリーンヒットし、首を持って行かんばかりの勢いで振り抜かれる。ふわりと宙に浮いたのも束の間、意識を刈り取られた巨体は重力のなすが儘に柔らかい地面の上に叩きつけられる。

 見事な一撃だった。

 クリフが握った拳を胸の前で突合せ、そして月に向かって振り上げた。


「うぉおおおおおおおっ!」

「おおぉぉぉぉ!」


 遠吠えを上げるオオカミも逃げ出すほどの雄叫び。自警団からも呼応するように雄叫びが上がった。

 切られた火蓋を歓迎するように、自分たちの戦意を鼓舞するように、木霊のように雄叫びが上がる。異様な光景だった。


「す、すごい……」

「ったく。あの馬鹿。これじゃ奇襲の意味がないだろうが……」


 驚く私の隣でシューゼルが頭を抱えた。

 けれど、雄たけびを上げたくなる気持ちもわかる。

 湖の村は、これまでずっとやられる一方だった。大切に育てた野菜を踏みにじられ、家畜は盗まれ、集会場に火までつけられた。被害の度合いではなく、負け続けていたというコンプレックスが眠っていた。

 どれだけ酷いことをされても、童話の国の庇護下にいる以上、下手な報復はできない。辛酸を舐めたことなんて、一度や二度じゃなかったはずだ。

 ようやく今日、一矢報いた。

 クリフの一撃が、反撃の狼煙だ。

 雄叫びは止まず、ヒートアップする。

 案の定、騒ぎに驚いたゴロツキがドアを開けて出て来た。


「おい、デブ。うるせぇぞ! ……は?」


 松明に照らされた自警団の面々が一斉に開いたドアの方を向く。


「ちょ。何だよコレ。何だよコレぇ!」


 あまりの光景に尻餅をついた男は、慌てて立ち上がると勢いつけて扉を閉め鍵をかけた。窓から見える蝋燭の灯りが、激しく揺れ、俄かに騒然としてきたのが伝わって来た。

 慌てているに違いない。だが、向こうが落ち着くのを待つほど、クリフたちはお人よしではない。


「これより、突入作戦に映る。全班、準備を怠るなよぉ!」

「うぉぉおおおおお!」

「突入――ッ!」

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