第230話 ヴェルトのいない世界 その⑥
モニカを見つけるのは骨が折れた。
おにぎりの宅配に勤しむモニカと何度も行き違い、二刻ほど探し回ったところで、ようやく村の中心の花壇のところで捕まえた。
「あら、リリィさん。どうしたの? そんなに慌てて」
「モニカ!」
ヴェルトが……。そう言いかけた言葉を飲み込んだ。
「人が、私の友達が、ピンチなの。叩かれて、蹴られて、連れ去られちゃった! 私の大切な人なの! お願い、力を貸して!」
頭を地につけるほど懇願した。案の定、モニカの動揺する声が後頭部に響いた。
「え、いや、ちょっと。リリィさん? 顔上げて、ね。みんな見てる。事情話して」
「聞いて、くれるの?」
「うんうん。聞くから。だから、顔上げてよ。みんな見てる」
私は救われたような気分で、顔を上げた。
モニカの発言力なら、シューゼルやクリフも動かせるかもしれない。希望が見えた……。
「ごめん、リリィさん。そのお手伝いはできないよ」
「どうしてっ!」
ベンチに腰掛け、私の話を聞いてくれたモニカは、小さく首を振った。
裏切られた気分だった。
「リリィさん。今、この村がどういう状況かわかっている?」
「……」
「大事な時期なの。歴史の国とも、教典の国とも。リリィさんは外から来たからあまり危機感はないのかもしれないけれど、レベッカさんたちが頑張ってくれているおかげで、希望が見えてる。シューゼルさんもクリフも、賭けてるんだよ。台無しになんてできない」
「台無しなんて……」
そんなことがしたいんじゃない。ただ、私の大切な人を助けるために力を貸してほしいだけなのに……。
「それにね、シューゼルさんが拒絶した理由、私もなんとなくわかる」
「え?」
「リリィさん。ヴェルトって人、本当に存在する人なの?」
本当に存在する人なの?
その一言が、今まで言われたどんな言葉よりも、私の心を傷つけた。
ヴェルトに嘘を吐いて怒鳴りつけられたときも、嘘がバレて諭されている時も、感じなかった屈辱を、私は今感じた。
ヴェルトはいる。絶対いる。私の妄想なんかじゃない。
それなのに、ヴェルトを信じる私が、まるで世界の悪者のように言われてしまう。
ヴェルトが守った村の人に、酷いことを言われてしまう……。そんなのないよ……。
悔しさが涙となって溢れ出しそうになる。喉元までせり上がってきた感情を、必死に押し留めた。
……まだだ。まだ諦めちゃダメだ!
私は弱音を吐き出しそうな頬を思いっきりつねった。痛みで身体を奮い立たせる。
どんなにひどいことを言われたとしても、どんなにヴェルトの存在を否定されたとしても、私だけは決して忘れない。どうにかしてやるんだ……!
私はモニカの説得を諦め、礼を言ってその場を立ち去った。しばらくの間、背中に視線を感じていたけれど、引き留められることもなかった。
メイリン飯店のメイリンさん、靴屋のバスタルトさん、洋服屋のペッティさんとランディさん、貸し馬屋のランボルドーさん、大工のアテモンロー一家、公園で遊んでいたリッツにビーンにガーネール、洗濯屋のコーデリアさん、役所で働くシャトーさん、トステムさん、畑を耕していたミーロさん、トレーニさん、元村長のコロネロさん……。
私は、声の続く限り、ヴェルトの助けを訴えた。
子供も老人も関係なく、私の話を少しでも聞いてくれる素振りを見せたら、必死に伝えた。
ヴェルトという人間が、私にとってどれほど大切な人なのかを……。
でも、駄目だった……。
「おね、がい、です……。話しを、聞いて……」
泣くもんかと目に力を込めても、心無い言葉に痛みは生じる。痛いとまた泣きたくなって、必死でそれを我慢した。
「お願いしますっ。お願いします……」
日は落ち、身を割くような寒さに襲われても、私は足を止めなかった。人通りが少なくなってからは、一軒一軒民家のドアをノックして回った。次第に門前払いされることが多くなり、しまいには居留守をつかわれるようになった。
窓からこぼれる暖かい灯り。そこに広がる営みを想像して、私は歯を食いしばった。
――ヴェルトなんて最初からいなかったんじゃないか。
拒絶されるたびに、邪念のように内側から湧いて来る。
それは形容しがたい恐怖であり、甘美な誘惑でもあった。
認めてしまえば楽になれる。おかしいのは私の方で、村の人たちの方が正しい。ヴェルトを忘れてしまいさえすれば、今のこの辛い状況からも逃げることができる。
そのための道具を、私は首から提げていた……。
――……。
……。
……そんなこと、するわけない。
するわけないよ!
「するわけないじゃんっ!」
決意とともに口に出した。そして、弱気に負けそうになった頬を強くつねった。
「……リリィさん」
声がした。憐憫を含んだ無機質な声。
振り向くと、街灯の下にモニカとシューゼルの姿があった。
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