第224話 夢うつつ

 いつ眠ったかも覚えていない。今がいつかもわからない。

 気が付いたら辺りは橙色で、それが朝日なのか夕日なのかもすぐに理解できなかった。

 泣きつかれて寝ちゃったんだ……。

 目元は目やにでぱりぱりしているし、喉は酷く枯れている。

 鏡に顔を映すと、王女とは思えないほどの不細工な私がいた。

 もともと美人ではない顔が、さらに醜く変化していた。まるで『あひるの王子とあやかしの森』に出て来たネコ娘を惑わす魔女のようだ。

 ……終わっちゃったのかな?

 辺りは随分静かだった。外で遊ぶ子供たちの声も、親の帰りを待つ雛鳥の鳴き声も、何も聞こえてこない。

 私一人が、この寂しい世界に取り残されたかのように、物音一つ聞こえなかった。

 しばらく静止した部屋の中で耳を澄ませていたけれど、あまりに静かで心細くなり、私は部屋を出ることにした。喉もひどく乾いていた。

 階段を下りる。お日様の方向を見るに、どうやら夕暮れであるようだけれど、家の中の灯りは全て落とされていて薄暗かった。

 ぺたり、ぺたりと、足の裏が廊下の板張りに張り付く。

 リビングを覗いても誰もいない。

 私は透明なグラスを取り出して、水を汲んで喉を潤す。

 玄関の方で物音がした。

 私は急いで玄関へと駆けつける。

 鋭い西日に浮かび上がったシルエットは随分と背が高かった。


「……ヴェルト」


 ヴェルトは私が出てきたことに驚いたような表情を作った。それが意図して作ったのか本当に驚いたのかは、今の私にはわからない。

 ヴェルトは私の目線に合わせるように膝を折った。


「やり切ったぞ」


 短い言葉に詰め込まれた思いを感じ取って、また込み上げてくるものがあった。私は体の外にその思いが出てしまわないように、きつく掌を握り込んだ。

 ヴェルトは、一人になってしまったんだ……。

 悔しい……。悔しいなぁ……。結局何もできなかった……。


「見つかっちまったな。最後の仕上げを済ませてから、お前の顔を見にくるつもりだったのに」

「え?」


 仕上げ? まだ何かあるの?


「まぁいい。ちょっと野暮用があってな。レベッカの奴に会ってくるんだ」

「レベッカ?」


 ヴェルトが回収した童話の原石のことだろうか? それとも、私のことだろうか……。

 私が黙って俯いていると、大きな掌が頭の上に乗る。その手は不躾にも髪の毛をくしゃくしゃにし、満足すると温もりだけ残して去っていった。


「ちょっと行ってくるよ」

「……ヴェルト!」


 気が付いたら手を伸ばしていた。

 西日の中に佇むヴェルトの後ろ姿が、とても儚いもののように見えたのだ。

 吹けば消えてしまう灯火のような……。

 ヴェルトが弱かったことなんて、一度たりともなかったというのに……。


「帰ってくるよね?」

「ん? 俺がリリィを置いてどこか行っちまったことなんてあったか?」


 無邪気な笑顔。モニカの記憶を奪いとった後とは思えない儚い綺麗な笑顔。


「う、うん。そうだよね。何言ってるんだろうね、私……」

「いつまで経ってもポンコツは治らんな」

「もう! ポンコツ、言うな……」


 ヴェルトはもう一度、行ってくると言って玄関を出て行った。

 私は大きな背中を見送った。

 この旅で何度となく助けられた大きな背中が光に溶けて、消えていく。


 ……私は忘れていた。

 こういうシチュエーションを、何度も童話で体験していたはずなのに。


 さよならも言わずに出て行ったヴェルトは、結局、私の元へ帰ってくることはなかった。

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