第222話 最後のお願い

「……ねぇ、最後に一つだけ、私のお願いを聞いてほしいんだけど。ダメかな?」

「モニカが俺にお願いしたことなんて、これまで一度もなかったな」

「そりゃ、兄さんに頼るのは恥ずかしいし。これでも年相応の乙女なんだよ」


 仲のいい兄妹。羨ましくなるほどの。

 この関係も、もう終わってしまう。

 モニカはは少しの間躊躇してから言う。


「私はやっぱり、兄さんの記憶をなくしたくない。すごく怖いし、私だけが兄さんを知らずに、村の人たちと生活する事も、怖い。よりどころを失った私は、たぶん、もう今の私じゃないから……。迷惑、かけたくない。ううん。見られたく、ないの……。一人っ子だった我儘な私なんて、見られたくない」


 切実な訴え。

 モニカの内側に隠していた感情が、小さな蛇口からこぼれだしていく。


「だから、お願い……。私だけじゃなくてさ」


 息を吸い込んで願望を口にする。


「村の人たち全員の思い出も、一緒に奪い取ってほしい!」


 私は耳を疑った。


「ちょっとモニたん!?」

「何を言っているのモニカ! そんなことしたら……」


 ヴェルトが……空っぽになっちゃう……。故郷が、無くなっちゃう……。

 振り返った拍子に見たモニカの顔は、清々しいほど輝いていた。


「シューゼルさんのも、クリフのも、メイリンさんのも。村で生まれ育って、今生きているすべての人の記憶から、兄さんを消し去ってほしい。この村を救ったのは、名もない英雄。そう言うことに、してくれないかな」


 モニカの決意は冗談ではなかった。本当にそうしてほしいと思っている。私たちに有無を言わせない迫力があった。


「一応断っておくけど、童話の国はそんなにたくさんの同じような童話の原石を欲してはいないよ。ヴェルト君の責務はあと一人、モニたんの分で足りる。そこは間違えないように」

「わかっています、レベッカさん。これは私の我儘です。それに、レベッカさんたち童話軍の方々の記憶まで要求はしません」


 あくまで村のこと。されど村のこと。

 モニカは湖の村に、自分の我儘を押し付けようとしている。

 湖の村の住人になら、我儘を押し付けられると思っている。

 ヴェルトのいなかった世界に、たった一人、取り残されないために……。

 こんなの……。こんなの、おかしいよっ……!


「俺は構わん」


 シューゼルが言う。

 眼鏡を取って、ヴェルトを見つめる。


「モニカ君一人に負担を強いたのがそもそもの間違いだ。村の問題は村で解決する。村長としては、モニカ君の要求を受け入れよう」

「シューゼルっ!」


 私は叫んでいた。周りがだんだん固められていく恐怖を感じた。


「モニカ、やめよう。それじゃ、私が描いた未来よりも悲しい結末になっちゃう。ヴェルトは。この先、どこに帰ってくればいいの? 湖の村はヴェルトの故郷なんだよ」


 村を救ったのに、その功績は誰にも知られない。称える人もおらず、待っている人もいない。

 そんなの、悲しすぎる!


「……わかったよ」


 静かな声が執務室に響いた。

 その声の発生源が理解できなくて、私は間抜けな声を漏らした。


「わかった。お前の気持ちは汲んでやる。俺を忘れて、そして、幸せになってくれ」

「ヴェルト!」


 私の声はヴェルトに届かない。嘘を吐いていたからでも、騙していたからでもない。ヴェルトは今、湖の村の一人の村人として、モニカと話している。部外者である私が入る余地は、残されていなかった。

 そんな。こんな結末……私は、望んでなんていない。

 モニカも、ヴェルトも、この村の人たちはみんな優しすぎるよ!


「ありがとう、兄さん」


 モニカの表情が切な過ぎて、眩しすぎて、見ていられなかった。

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