第221話 童話の筋書きのように

「……」


 弁明、できない……。

 計画の立案を全て聞かれていた……。私が思いついて、モニカとガロンを説得して、嘘を作り上げた、その全貌をミヨ婆にも聞かれていた……。

 言い訳……。

 言い訳を考えなくちゃ……。

 額から流れ落ちた汗が鼻筋を通って跳ね、スリッパの上に黒いシミを作った。


「ヴェルトや。今回の貸しは高くつくよ。こんなことをするためにあたしはあんたらを見張っているわけじゃないんだからね」

「恩に着る。ミヨ婆」

「そうさね。やっぱりあの元気溌溂な王女様を実験体として……」

「それは勘弁してやってくれ」


 楽しそうな会話が耳を通り抜ける。ちょっと前だったら、私もその会話を楽しめたはずだった。なのに、今は……。

 ジワリと掌に汗が滲む。

 ううん、掌だけじゃない。髪の毛の生え際辺りから、気持ち悪い汗がにじみ出ている。背中も首筋も、脇の下も。

 まるで私の悪事が漏れ出ているようだ。


「み、ミヨ婆が、嘘、ついてるんじゃないのっ!?」


 私は垂れさがる前髪で視線を隠したまま言う。


「ヴェルトは私とミヨ婆の言葉、どっちを信じるの!?」


 酷い二択だ。

 筋の通ったことしかしないヴェルトがどちらを選ぶかなんて、最初から分かり切っているのに……。


「俺は真実を信じている」


 ギュッと胸が痛んだ。


「リリィ。もういい。全部わかってるんだ。我慢しないでくれ」

「何それ。何それっ!? 私は嘘なんてついてないよ! モニカの思い出は、私が奪い取ったんだからっ!」

「リリィ。聞き分けがないこと言うな」

「聞き分け? 何それ? ヴェルト意味わかんない。私は真実しか言ってないのに、私を嘘つき呼ばわりする。どうして? 私が悪いことしたって言うの? ヴェルトこそどうしちゃったの?」


 嘘がバレる。

 それだけが脳内を支配して、私の思考力は全然まともに働いてくれなかった。思いついた言葉を並べるだけの幼稚な抵抗。誰が見ても、嘘を吐いているのは哀れな私の方だった。

 でも。でも……! もう、引き返せないんだよ……!


「私は!」


 勢いに任せて顔を上げた。レベッカの、シューゼルの、ギールの、ヴェルトの。それぞれの顔が脳内に焼き付けられる。

 大人の顔だ。私の我儘をみんなでどうにか収めようとしている大人の顔。察してしまった。私が折れなければ、この場は収まらないのだと……。

 握り込んだ掌から力が抜けていく。

 私はただ……ヴェルトとモニカを、守り立っただけなのに……。

 ヴェルトも、レベッカも不幸が待ち構えていることを知っていて、それでもそんな顔が出来るの……?


「リリィさん……」


 左手に温かい感覚を覚えて、私は振り向いた。

 モニカの両手が私の掌に重なっている。


「もう、いいです……」

「……モニカ?」

「もう、いいんです」


 薄っすら濡れたその瞳を見た時、私の涙も抑えきれなくなった。


「ダメ! モニカダメ!」

「リリィさん。ありがとうございました。私、いい夢を見れました」

「ダメだよモニカ! そんなこと言っちゃダメ! もう何も言わないで! 私が何とかするから! 絶対に何とかしてみせるから! もうちょっとだけ任せて!」

「いいえ、もう十分だよ。リリィさんは、十分頑張ってくれた」


 するりと温もりが逃げていく。

 ふわりと隣に立ちあがると、モニカは顔を上げた。私よりもずっと背が高い。

 その長身を、ぺこりと半分に折り曲げた。


「みなさん、ご迷惑をおかけしました。私の我儘のせいで、兄さんをはじめ、たくさんの人たちを惑わせてしまった」


 『兄さん』、と。

 その一言が幻想の終わりを告げることを、私はこの部屋の誰よりも理解していた。

 瓦解する。私が守りたかったものすべてが、掌から零れ落ちていく。


「リリィさんをけしかけたのも私。この計画を作り上げたのも私。責任も取るし、非難を背負う覚悟もある。だから、……終わりにしよう。兄さん」


 私とは対照的に、モニカの背はピンと伸びていて、俯いた私ではその表情を見ることができない。


「……そうだな。随分長引かせちまった」

「本当だよ。全くもう。兄妹喧嘩に、他人を巻き込み過ぎなんだよ」


 モニカの口調は笑っていた。けれど、震えていた。


「ねぇ。兄さんの記憶がないって、どんな感じなのかな?」

「ここ二日演じてたんだろ? 俺よりもお前の方が想像つくだろう」

「そうか。うん、嫌だな。とてつもなく、怖いよ」

「大丈夫だ。その怖いって感情も、ちゃんと綺麗に忘れられる」

「兄さんは怖くないの?」

「俺は……」


 答えに詰まったヴェルトは、けれど思い直したように頷いた。


「怖く、ない。俺はモニカと違って、師匠からスパルタの教育を受けてるからな」

「そっか。やっぱり兄さんには敵わないな……」


 心のどこかで、最終的にこうなってしまうのではないかという不安はあった。それが認められなくて、何とかしようと精いっぱいやってみた。

 でもダメみたいだ。

 運命というのは、童話の筋書きのように、あらかじめ決まっていて、私のようなちっぽけな人間がちょっと頑張ったところでは、何も変えることはできないのだ。


「私は怖い。……ねぇ、最後に一つだけ、私のお願いを聞いてほしいんだけど。ダメかな?」

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