第219話 幕間 リリィの嘘 その③
歩き慣れた砂利道を辿って家に戻ると、椿の生垣から丁度入れ違いでリリィが出て来た。
「あ、おい」
「ごめんヴェルト。今忙しいから」
玄関ですれ違ったというのに、リリィはこちらを振り向くこともせず、早口でそれだけ言って、走って行ってしまった。
「ったく。何が忙しいだよ」
この村でリリィが急ぐことなんて何もないというのに。俺と顔を合わせたくないのがバレバレだ。おかげで自由に家の中を物色できるわけだが……。
「自分の家を物色するってのも、変な話だよな」
リビングやダイニングを回り、リリィたちが数日の間生活していた痕跡を辿る。別段変わったものは見つからない。
証拠がそこらに転がっていなくても、俺の探し物はこの家に必ずあるだろう。
すれ違った時、よっぽど慌てていたのか、リリィの首にはキャメロンがかかっていなかった。一人で移動できないガロンを、俺が来るかもしれないこの家に置いて行ったのは、明らかに失策だ。
「お、あったあった」
階段を上がったすぐの部屋。今はリリィが使っている元モニカの部屋に、目的のものはあった。風が舞い込みカーテンが揺れる窓辺のテーブルに置き去りにされている。
「よ、ガロン。昨日ぶりだな」
「よぉ、ヴェルト。嬢ちゃんに置いて行かれて退屈してたんだ。話し相手になれよ。……ん?」
部屋の中を大股に近づく俺を見て、違和感を覚えたのかもしれない。
「お前、憑き物が落ちたみたいな顔してんな。妹のことはもういいのかよ」
「そうだな。俺にも考えがあるから」
「ほぉー。なんだか不気味なくらい物分かりがいいぜ?」
訝しむガロンを刺激しないように近づいて、キャメロンを両手で持ち上げる。
「お? どこか連れてってくれんのか? この村に来てからろくに外に出れなくて退屈してるんだ。地元なんだろ? かわいい姉ちゃんがいっぱいいるお店に連れてってくれよ」
「んなもんねぇよ。田舎舐めるな。……ま、残念ながら用があるのはガロンじゃないんだ。ちょっと眠っててくれ」
「は?」
ぽかんとするガロンをよそに、俺はキャメロンを視線の高さまで持ち上げ、レンズの中身を覗き込んだ。
この向こう、距離を超越したその先に、目的の人物がいる。
「……っておい! まさか!」
「まさか? 何を慌ててるんだ?」
「い、いや。別に慌ててはねーけど。でも、ほら。嬢ちゃんだってな、心を鬼にしてだな」
「いいんだよ。リリィのやったことに怒っているわけじゃない」
ガロンの言い訳を遮って、キャメロンの紐を首にかけた。自然と重さは感じなかった。この中にモニカの思い出が入っていないと知っているからだろうか?
「今度は、俺の番ってだけだ」
「お前の番?」
状況を理解できないガロンを置き去りにして、俺は用の済んだ部屋を後にする。
ドアを閉める直前、俺の視界に違和感が映り込んだ。
ピンク色を基調としたこの部屋に似つかわしくないものが今一瞬、映ったような気がしたが……。
気になって戻る。
違和感の正体は、テーブルの上に置いてあった一冊の本だった。
真っ赤な表紙には筆力の高い文字でタイトルが書かれている。
『時間旅行』。
リリィの読みかけの童話か。こんな童話買ってやった覚えはないが……。
「そういや、どっかでこの名前を口にしてた気がするな……」
一ページめくると、後を引く気になる文章が並んでいた。
――貴方がこの物語を読み始めた時、私は既にこの世に存在していないだろう。
質の悪い紙に手書きで記されたそれは、明らかに出版されたものではない。ぺらぺらめくっていると、途中から白いページが続いていることに気が付いた。
「未完なのか……」
ページを戻って作者の名前を探したけれど、残念ながらそれも見つからない。モニカはともかく、リリィは自分の感情によって読む童話を選んでいる節がある。逆に感化されることもある。リリィの精神状態を把握する、いい手掛かりになり得そうだ。
そう思って持ち帰ろうとしたとき、玄関の扉が開く音がした。
「あれ? おかしいな。玄関開いてる。おーい、リリィさーん。帰ってるのー?」
モニカの声が階下から響いた。
「家主のお帰りだぜ? どーすんだ、ヴェルト」
「ここで鉢合わせは面倒だな。ガロンを誘拐してドロンするよ」
本を元の位置に戻し、俺は自分の部屋へと逃げ込んだ。
モニカが階段を登る足音が近づいて来る。
物音を立てないように窓を開け、家の側面を這っている雨樋に手をかけて屋根へと上がった。
モニカはリリィの部屋の窓を開けて不思議そうにあたりを見回しているが、流石に屋根に逃げたとは思わなかったようだ。いまいち納得いかないようだったけれど、自分を納得させて顔を引っ込めた。
「さて。目的のものは手に入ったが……。ここからが重要だな」
ほとぼりが冷めるのを待って、反対側の雨樋を伝い、森へと逃げることにした。
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