第207話 すれ違い続ける兄と妹
外はしとしとと冷たい雨が降っている。
窓から見下ろす金木犀の波打つ葉にも、ピチャリと跳ねて雫が広がる。気品高く優雅で、けれどどこか儚い、金木犀の花の香りも、冷たい雨に流されてしまったように届いてこない。
アンニュイな午後。気分が沈んでいるのはもちろん雨のせいばかりではない。
私は水を含んだように重い身体を、重力に任せてベッドに横たわっている。寝返りを打つとモニカの愛蔵書が詰まった本棚が視界に入って来た。
あの事件から二日経った。
レベッカは宣言した通り、その次の日には説明会を開催しようとした。それぞれの思惑があって、歩み寄れていない現状を鑑みて、誰もが公平に思っていることを打ち明けられる場にしようといろいろ準備していたようだ。だが、結果的に説明会は開催されず、レベッカの準備は徒労に終わってしまった。
まともに顔を出したのは、レベッカとギール、シューゼルと私だけだった。
クリフは元村長である父親のコロネロの逆鱗に触れ、自宅で謹慎しているといい、ヴェルトは時間になっても現れなかった。モニカは私が寄り添って集会場まで来たには来たけれど、ヴェルトの不在が分かるや否や、話すことはないと言って帰ってしまった。
残りの四人が顔を合わせたところで、話は一向に進まないというのに……。
「どうしよー、ガロンー」
仰向けになって枕を抱え、まとまるはずもない思考に私は悶々とする。
「ヴェルト、帰って来ないし、モニカもご飯作ってくれないし」
「ご飯は嬢ちゃんが作るしかねぇんじゃねのか?」
「違うよ。ご飯の話をしているわけじゃないんだよ。ヴェルトとモニカの関係の話。いくら食いしん坊でも、行間を読んでよね」
「行間を読んだ結果、そっちを選んだんだが……」
ガロンがなんか言っているけれど、私は無視を決め込んだ。
「こういうのは時間が解決するんだぜ。……って言ってやりてぇところだが、嬢ちゃんの話を聞く限り、そうもいかないんだろうな。頑固な兄妹だぜ、まったく」
「やっぱガロンもそう思うよね」
確固たる意志を持って、誰かのために行動しようとする熱意に関しては一級品なのに、自分のこととなると途端に意固地になる。自分の意見を曲げないし、他人の意見に耳を貸そうとはしない。そう言えばヴェルトの元師匠であるレゾさんもそういうところあったな。血は繋がっていないけれど、受け継がれてしまったものがあるのだろうか。
「進んだこともあるじゃねぇか。ほら、なんつったっけ? アルデンテみたいな……」
「アルトゥールのこと?」
やっぱりお腹が空いているのかもしれない。
「昨日の夜に、無事歴史の国に移送を完了したってレベッカから連絡があった」
夜遅くに訪ねて来たレベッカは、私を抱きしめようとするいつものやり取りをした後、淡々と事実だけを伝えた。
国家反逆の革命家がその後どうなるのか、どんな表情で国境を越えていったのか、そんなことは一切語ってはくれなかったけれど、歴史の国との境界の話がようやく前進したと嬉しそうだった。この分なら、湖の村の湖は童話の国のものとして認めてもらえるらしい。
「ちなみにだけど! ここだけの話、やっぱりイバール騎士団長は、男色の気があるかもしれない!」
耳を貸してと口を近づけて来るから、どんな重要な話が飛び込んでくるのかと身構えると、レベッカは楽しそうにそんな話をした。小声でする話ではあるかもしれないけれど、勿体つける話じゃない。
「身分とか年齢とか性別とか考えず、一方的に好意を向ける変な女性なら童話の国にもいるし、国の中に一人ぐらい嗜好がずれている人がてもおかしな話じゃないよ」
「あれれ? 自虐かな、リリィちゃん。おねーさんなら、その愛情を全て受け止めてあげるんだけどなぁ」
「逆! 逆だから! 今のは全部、レベッカの話!」
もしかしたら同じ境遇かもしれないあの少年に、こっそりとエールを送った。
「ま、ヴェルトがモニカに対して誠意を見せるのが筋だわな。この場合」
「だよねー」
寝転がったまま、キッチンからこっそりくすねて来た乾燥フルーツに手を伸ばし、小さく口を開けて放り込む。苺の酸味がいいアクセントだ。
けれど、あのヴェルトが謝りに行くだろうか。
自分本位ではないけれど、意地を通そうとしてしまった以上、簡単にプライドは引っ込まない。自分の過ちを認めて頭を下げているヴェルトの姿なんて想像すらできない。
「そもそも、ヴェルトは何を謝ればいいんだろうね?」
「そりゃあれだ。嘘ついててごめんなさいってするんだろ」
「あぁ、うん。嘘はよくないよね、嘘は。でも、それじゃ解決しない」
「解決しねぇな」
「最終的には、童話のエンディングとして綺麗な形に落とし込まなければならないのだから」
これまで何人もの切ない思い出を回収してきた。
今回のパターンは、初めてヴェルトが記憶を奪った塩の街のアリッサに似ている。人の想いをパターン化してしまうのは気が引けるけれど、解決の糸口に藁をもつかむ思いなのだからしょうがない。
アリッサの時は、一度はこじれたお互いの感情を、ヴェルトもアリッサも一度飲み込んで、お互いに受け入れた。アリッサは数日泣いて、落とし込んで、消化した。好きだったのに、大好きだったのに、永遠の別れを告げられてどんなに辛かったんだろう。今でも胸が痛くなる。
けれど、乗り越えた。ヴェルトとの最後の思い出を、祖母への安心に変えて、納得した。
綺麗な物語だった。
今回もそうできたらよかった。
でもきっと、兄妹ではそんな綺麗にはいかない。
恋はまた始めればいい。
でも、血縁は望んで手に入るものじゃない。
泣いたから、落とし込めたからで、消化できるような問題じゃない。
「あー、あー、あー」
私は枕を抱えたままベッドの上をゴロゴロした。
「ポンコツだって言われるぞ?」
「そう言ってくれる人は、一体どこ行っちゃったんだ! もう!」
私は、今すぐ窓を開け放って、大声で「ヴェルトぉー、かむばーっくっ!」と叫びたくなった。……思いとどまったけれど。
つまるところ、当人同士が解決しなければいけない問題で、外野がとやかく言えるわけではないのかもしれない。
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