第198話 大男の立ち往生
ここ数日で一段と冬に近づいた気がする。
街路の樹木からは完全に緑が消え、虫も鳥も冬支度を始めていた。頬を掠める鋭い風に首をすぼめながら、私は低い位置の太陽を見つめる。
「ヴェルト、今日も忙しそうに行っちゃったね」
「どこに居ても忙しない奴だな、まったく」
考え事が多すぎて籠っていると気が滅入ってしまいそうな気がしたから、今日はヴェルトを誘って村を案内してもらおうと思っていた。思っていたのに、朝早くヴェルトの部屋を訪ねると、
「すまん、お前のことが大好きな軍人さんからお呼びがかかった。行ってくる」
そう言い残して出掛けてしまった。
あの男は王女である私を差し置いて、レベッカを選んだのだ。これが恋愛童話だったら、ヴェルトを奪い合うドロドロの三角関係に突入するのだろう。手練手管を駆使して奪い取ろうとするレベッカに、私は正面から思いをぶつけて……。って、いかん! 昨日読んだ童話に思考が引きずられている。
私は両頬をつねってチャンネルを正常に戻す。
第一、何故私が三角形の頂点を担わなければならないのだ。大変不本意だ。
そんなわけで、今日はガロンと二人である。さて、どうしたものか。
「あの影の調査をするのか、嬢ちゃん?」
「うーん。そうだなぁ」
納屋には近寄らないようにきつく言われてしまったし、家の中を調べるのも気が引ける。教典の国の刺客が潜り込んでいるという仮説も否定できるわけじゃない。藪蛇を突いて私が襲われたら、それこそ童話の国の危機だ。
「童話屋さんを探そうかな」
「……ぶれねぇなぁ」
「アイデンティティだからね!」
深い思慮から明けて、私は欲望に従った。
日が天に登り切るまでは、ガロンとともに村の商店をいくつか回った。
この村に来てもう四日目だというのに、こうやって目的もなく村の中をぶらぶらするのは初めてだ。四日もあればヴェルトは責務を終えて次の街を目指すこともあったし、ようやく散策する時間ができたと考えると、この村の抱えている事情の特殊さが際立つ。
やはり観光地ではないからか、見て回って楽しいお店は少ない。村で生活するために、お互いに協力する。その建前で店という形を作っているような感じだ。雑貨屋さんにあるのは生活用品ばかりだった。
そして、案の定というかやはりというべきか。
途中から途中から勘付いてはいたけれど……。
「書店? やだねぇ、あんた。こんな田舎の村に、童話を売っている店なんてあるわけないじゃないかい。童話は行商のお婆さんが通らなきゃ手に入らないよぉ」
「そんなぁ……」
立ち寄った洋服屋のおばさんが丁寧に教えてくれた。
「この国に書店がない村が存在するなんて……。なんということだ……」
「地獄の蓋を開けちまったような顔してるだぜ、嬢ちゃん」
私はきっと、この村に生まれていたらとっくの昔に死んでいただろう。死因は極度の童話飢餓。
日が昇って私のお腹が空腹を告げる。
せっかくだから妹のところに行ってやろうぜというガロンの進言に頷いて、お昼はメイリン飯店でとることに決めた。空に浮かぶ雲を見つめながら数日前に食べたあの優しい味を思い出すと、口の中に涎が溢れてくる。
村の外れの一軒家。砂利道の続く先に大きな桜の木が植わっている。かまどに火が入っているのだろう、青い空に伸びた煙突は、白い煙をもくもくと吐き出していた。
ほのかに漂う香辛料の香りに釣られてお手製看板の近くまで行くと、ドアの前で大男が立ち往生しているのが見えた。
「あ! あの人……。えっと、シューゼルの弟の……」
「クリフっつったな。妹にゾッコンラブな」
「ゾッコンラブって……。そのセンスはどうかと思うよ」
「ちょっと様子を見てみようぜ?」
私の白い目にも全く動じないガロン。鋼の心臓だ。心臓などないけれど。
まぁ、その方針には私も賛成だった。
明倫暗転の前に立つクリフはあからさまに挙動不審だった。知らない人が見たら自警団を呼ぶくらいにおろおろしている。その自警団の団長がクリフなのだからシュールな光景だ。しきりに時間を気にしては、そおっと店の中を覗いている。
「モニカが出て来るのを待ってるのかな?」
「他にここで待ち合わせる理由は思いつかねぇな」
集会場の執務室で会ったときは、身体と声の大きさから、ちょっと怖いという印象を持ってしまったけれど、背中を丸めておどおどしている様子は恋する少年のようでどこか微笑ましい。
しばらく見ていると、ようやくモニカが店から出て来た。驚いた表情を見せるモニカに、さも平然と今来た風を装うクリフ。小さく笑い合う二人は、再び扉を開けて中に入って行った。
「私たちも行こう」
キャメロンを揺らして後に続く。
お昼時のメイリン飯店はそこそこ繁盛していた。テーブルもカウンターも七割ほど埋まっている感じだ。モニカの他にも給仕さんが働いていて、緑のエプロンを揺らしながら丁寧に料理を運んでいた。
恋路を邪魔するのは本意ではないけれど、知らない仲ではない。せっかくだからお昼をご一緒させてもらおうかとモニカの姿を探していると、店の奥の方で大きな声が上がった。
「見られたぁっ!」
「ちょ、馬鹿っ! しーっ! 声、大きすぎっ!」
何事かと興味を引かれたお客さんの視線が一斉に声のしたテーブルへ集まる。語るまでもなくクリフたちのテーブルだ。
モニカは腰を上げて、ぺこぺこと頭を下げた。
「すみませんー。この馬鹿がお騒がせしまして。お食事続けてください」
客たちは、モニカの姿を確認すると、途端に興味を失ったように自分の食事を再開する。「またいつものか」なんて声が聞こえたから、クリフとモニカがお昼時にここで注目を集めるのはよくあることなのかもしれない。
それにしても、見られた、とは何だろう。ちょっと気になる。
「嬢ちゃん、盗み聞きしてみようぜ」
「いい、ガロン。人の秘密をこっそり聞くのはいけないことなんだよ」
「いいじゃねぇか。調査だ調査。人道的な救助活動だよ。危ないことに足突っ込んでる妹を助けられんのは、今この時の嬢ちゃんだけかもしんないんだぜ?」
「また屁理屈をこねまわす。そういう人のこと、なんて言うか知ってる?」
「心配性、だろ?」
「お節介、って言うんだよ」
あれ? なんだっけ? なんか懐かしい。いつかも同じやり取りをしたような気がする。
私は遠目から二人を見つめた。
ガロンの言うことにも一理あるのも確かだ。道を踏み外しそうになっていて、それを正せるのが私だけだったとしたら、二人の知り合いとして手を差し伸べたいと思う。私は、モニカが心配なんだ。
「しょうがないなぁ。まぁ、ヴェルトの妹だし、ヴェルトのためになるなら、少し情報を集めたいところではあるよね」
理論武装を整えて、私はモニカの死角になるテーブルに腰を掛けた。
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