第197話 庇うだけの価値
「ヴェルトも知らなかったの?」
私は微妙に逸れた空気の軌道修正にかかった。
「知らなった。いつからだ?」
「んー。兄さんが旅に出た頃かなぁ。家に一人になって、一人じゃつまらないし何かしようと思って筆を執ってみた。とはいっても、まだ形になったものなんて一つもないんだけど」
私、形から入るたちだから、とモニカは胸を張る。
今目の前で照れている人物が、童話作家……。
小さい頃から童話が好きだった私にとって、素敵な物語を作る人間は、脳みその構造が違う雲の上の人だと思っていた。ポラーノ氏の書斎を見せてもらった時も思った。童話というツールを用いてようやく、私たち一般人は童話作家の考えていることを理解できる。だから、モニカが童話作家だと言われてもいまいちピンとこなかった。
モニカは胸の前で手を合わせて頭を下げた。
「お願いっ! コレ、誰にも言ってないから。絶対にバラさないでほしいの」
「それは構わんが……」
「えー、勿体ないよ。私、モニカのお話読んでみたい!」
「うーん、ごめんね、リリィさん。まだまだ人に見せられるレベルじゃなくてさ」
「そう……」
まるで、この先ずっと、誰かに見せる予定すらないような、そんな強い拒絶が含まれている気がした。見せたくない、ではなく、見せられない、というニュアンスの……。
「じゃあ、リリィが見たっていう黒い影は何だったんだ? あれもお前だって言うのか?」
こめかみに手を当てをとんとんと叩きながらヴェルトが聞く。
「黒い影? あー、一昨日だっけ? 家にいたっていう?」
「今日も出たの! 庭にいてね、私と目が合うと、一目散に逃げてった」
「あー、今日の話」
私がフォローすると、横でヴェルトの舌打ちが聞こえた。
え? 私なんか変なこと言った?
ちょっと考えて、はたと思い至った。もしかしてヴェルト、モニカにカマかけてた?
モニカには聞こえなかったようで、空を見ながらすらすら答える。
「うん。確かに、今日はちょっとお昼の時間開いたから、こっそりインクを買い足して来たんだ。まさか見られていたとはね」
「何で逃げたの?」
「ん? そんな風に見えた? 慌てていただけだと思うけれど」
噛み合っていない。あれは慌てていただけではなかった。明らかに私の方を覗いていて、私と目が合って逃げた。
私が間違いを正そうと口を開きかけた時、すっと横から腕が伸びて来る。
「ま、わかったわ。別にこそこそするような趣味じゃないし、堂々とやればいい」
「そうだけどさ。私はあそこが気に入ってるし。……あ、だからってあそこ開けたりしないでよね。書いてるとこ見られるの、やっぱり恥ずかしいから」
「はいはい」
話は終わったと切り上げて、ヴェルトはリビングを出て行った。
「あ、ヴェルト待ってよ。モニカ、また夜ご飯で!」
私もその後を追う。
いいのかな? まだ十分聞いていないと思うけれど。
階段を登っているところで追いついて、袖口を小さく引っ張った。
「アレでいいの? たぶんモニカ……」
「嘘ついてるな」
「え?」
「あれは、モニカの字じゃない」
きっぱりと言い切る。
「リリィも違和感があったんだろ? 雰囲気でわかった」
「う、うん」
モニカは恋愛童話が好きだった。部屋の内装も、本棚に収まっていた童話を見てもそれは明らかだ。にもかかわらず。
「あれはどう考えても恋愛がテーマになる様な資料じゃなかった。自分の好きなジャンルが絞られているのに、処女作で全然違うテーマを書くっていう心理がよくわからなかった」
掲げられていた文章は恋愛とは程遠い。社会派サスペンスでも書こうとしていたのなら別だけれど……。
「モニカの趣味とは全然違うと思う」
もちろん、趣向が変わったということもあり得なくはないけれど。童話が好きな童話の国の王女として、その違和感は見逃せなかった。
ヴェルトは、腰を曲げて私の肩にぽんと手を置いた。
「いい推察だな。リリィらしい」
「あ、ありがとう?」
褒められた、んだよね? また、「童話狂いだな」なんて言われてからかわれるのかと思った。
「誰かを庇った嘘。理詰めで切り崩すこともできたが……。モニカが無駄な嘘を吐くとは思えん。庇うだけの価値が、その人物にはあるのだろう」
「例の、革命家?」
「恐らくな。ただ、放っておくわけにもいかない」
真剣に妹のことを考えるヴェルトの姿は純粋にかっこいいと思う。私もそう思える誰かが欲しいし、そう思ってくれる誰かが欲しかった。
そんな大事な妹から、自分の記憶を奪わなければいけない運命。
ダメだ、考えると切なくなってしまう。
私はヴェルトと別れ、自室にこもって童話に現実逃避した。
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