第191話 ヴェルトの決意
「えっ!? 何それ! 革命家って」
「そいつは初耳だな」
ヴェルトが隣で身を乗り出すのが分かった。
革命とは、現在の権力体勢に不満を持って、社会変革を起こそうという動きのことだ。この童話の国において、革命される対象は王女である私だ。
「あー、ごめんごめん。童話の国の話じゃないの。そんなに怯えてくれるなら、隣におねーさんが座ってればよかったぁ」
「ま、間違っても、そんな物騒な単語を出す人に飛びつこうとは思わないから!」
レベッカはいつもの調子だ。革命される対象は軍人であるレベッカも同じなのに。
「童話の国じゃない?」
「そ。うちじゃなくてあちらさん、歴史の国の話。何でもさ」
レベッカは端的にいきさつを語る。
歴史の国の政治体制を揺るがす人物が見つかって、軍が追いかけていたところ、どうやら川を渡って湖の村に入ってしまったらしい。辺境領を預かる歴史の国のイバール騎士団長は、取り逃がした汚名を返上するべく、湖の村に駐屯する童話軍に圧力をかけてきている。
「捕まえて歴史の国に引き渡したら要求を下げてくれるみたいだからさ、検問を作ってみたんだけど、御覧の通り、なしのつぶてよ」
掌を上に向けて大袈裟に降参のポーズをするレベッカ。
「歴史の国も大変なんだね……」
「明日は我が身、なんて思う必要はないよ、リリィちゃん。歴史の国と童話の国じゃ状況が違う。そりゃ童話王に意見する人がいないとは言えないけれど、でも歴史の国のように弾圧したりしない。これほど自由の利く国もないからね」
「うん。私はお父様を信じてるし!」
歴史の国は規律に厳しいと、昔ガロンに聞いたことがある。建国当時に作られた規律を、何十年もの間、ずっと守り続けてきているらしい。歴史を築いてきた人たちは偉大で、その栄光は守り抜くべきであるという基本方針のもと、どんな変革も許されていない。そこに不満を抱える人間が出てきても、不思議ではなかった。
自由とは対立にある歴史の国……。国民の意識統一という面では列強諸国のうち群を抜いているのだろうけれど、少なくとも私は、自由な童話の国に生まれてよかったと思う。
「というわけだから、リリィちゃんも思想犯っぽい人を見かけたら通報してね」
思想犯っぽいってなんだろう、と思ったけれど口には出さなかった。
軽い調子で言うレベッカの態度が、この件に対する重要度を表しているようだった。
しばらく、村の行く末について議論が交わされたが、有益な意見は出てこなかった。教典の国については本当に有効打がないようだ。私がお父様のお尻を蹴り飛ばさなければいけないのかもしれない。
と、盛り上がった議論の中で、一人だけ無言を貫いている人物がいた。ヴェルトだ。
肘を立てて組んだ両手をじっと見つめたまま、銅像のように固まっている。私が違和感に気付いて声を掛けようとしたとき、ようやく固く閉ざされていた口を開いた。
「最後は俺の番だな」
大きな決意をしたように深呼吸をして、ヴェルトは語り出す。
「この村を庇護下に置いてもらうために背負った、俺の責務の話だ」
「責務? 何のことだ? ヴェルトの交渉によって、この村はめでたく童話の国の庇護下に入ったんじゃないのか?」
シューゼルは怪訝な顔をしてヴェルトを見つめた。どうやらレベッカもギールも責務の話をシューゼルにしていなかったらしい。童話軍の方針は一貫している。
救いを求めるように一同の顔を順に見て回ったけれど、誰からも否定の言葉は出ない。
「ま、湖の村の村長になら、童話軍も目を瞑るよ」
童話の原石の回収。それは童話の国の恥部であり、国を揺るがしかねない大きな爆弾だ。レベッカは任務に忠実に、けれど人情を優先して目を瞑ると言ってくれた。
シューゼルの額から一筋の汗が流れ落ちた。
「この村の未来と引き換えに、俺は童話の国に自分の思い出を差し出す契約を結んだ」
滔々と、ヴェルトから語られるこれまでの旅の物語。
私もレベッカもギールも、懺悔のようなヴェルトの話を黙って聞いた。シューゼルだけが、そのあまりの内容に衝撃を受け、次第に顔から血の気が引いて行き、聞き終えた時、力なく椅子へと座り込んでしまった。
「そういうわけだ」
「……そういうわけだ、では、ない……。どうしてお前ばかり、そんな、過酷な……」
絞り出すような声に、胸が締め付けられる。
「いつも貧乏くじはお前じゃないか! 知り合いから記憶を奪い取る旅だと!? 俺がこの執務室でぬくぬくと書類仕事をしている間、お前は身を削っていたってのか……。お前の犠牲の上に胡坐をかいて、俺は村長なんて肩書を……」
うなだれるように頭を垂れ、じっと机の木目を見つめている。
「お前もお前だ、ヴェルト! そんな重大なことを一人で背負い込んで……」
「気にするな。俺は俺のやりたいようにやっただけだ。目指す未来はシューゼルと同じだ」
「……。……俺はいつまで経っても、お前の影なんだな……」
沈鬱な言葉がどんよりと重い。
二人の関係は二人にしかわからない。
かつてモニカを虐めていたというシューゼル。そのシューゼルに暴力で対抗したヴェルト。子供のころからの因縁は、お互いの心の深いところに傷を残していて、表面上は綺麗になっても、今もまだ苛んでいるのかもしれない。
「ちなみにのう」
ギールが空気を読んだのか敢えて読まないのか、二人の会話に横から入る。
「こやつに課せられた責務の大半は、もう果たし終わっておる。勤勉な若者じゃ。期限内に果たし切れん奴が多い中、この男は順調に回収を進めていった」
「……」
「わしの見立てが間違いなければ、一人、というところじゃな」
「一人……?」
「うむ。ヴェルトが献上すべき童話の原石は、あと一人分じゃ」
「一人分……。……っ!」
シューゼルが何かに気付いたようにハッとして顔を上げた。
少しの間虚空で目を泳がせた後、穏やかな顔をしているギールを見て、その後ヴェルトの顔を見た。ヴェルトの顔に表情はなかった。
「おい……。ちょっと待てよ……」
震える手が、ヴェルトへと伸びた。眼鏡がずれて床に落ちたけれど、取り繕っている余裕はない。
「ヴェルトお前、何考えてるっ。考え直せ! それはだけはやっちゃいけないだろ!」
「……決めたんだ」
悟ったようなヴェルトの言葉は、私が想像していたよりもずっと滑らかに出て来た。出て来てしまった……。
「決断したんだね」
「まことに骨のある青年じゃな」
「……ヴェルト……」
レベッカ、ギールに続いて、何かを言おうと思っていた。けれど、口を開いても声は出て来なくて、名前を口にするのがやっとだった。
静かに深呼吸した後、ヴェルトはそれを言葉にしてしまった。
「俺は、モニカの記憶を童話の原石として、童話の国に献上する」
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