第192話 リリィの決意

 大きなオレンジ色の太陽が、村の西にある山に沈んでいく。高い山々に囲まれた湖の村は、日の入りが早いらしい。昨日と同じように夕暮れに沈んでいく街並みをヴェルトと歩く。

 気が付いたら日が暮れていた。私たちが集会場を訪ねたのがお昼前だったはずなのに、ヴェルトの責務、最後の原石をモニカにするとヴェルトが宣言してから今まで、シューゼルによる説得が続いていた。

 過去の因縁としての弁明も、友人としての忠告も、同じ村の家族としての叱責もあった。シューゼルは一人の人間として、ヴェルトの決意に反対した。

 けれど、ヴェルトは折れなかった。

 山の如くどっしりと構え、熱量のあるシューゼルの説得を頑として受け付けなかった。


「ここまで言われて、お前の心に煮えたぎるってくる怒りはないのかよ!」


 シューゼルのきつい一言に対し、ヴェルトは、


「……あるに決まってんだろ」


 と静かに言った。


「感情に任せて現実も見ずに文句ばかり言える奴は、さぞ気持ちがいいんだろうな、なんてどす黒い感情がわだかまってる」

「……」

「そんなどぶ川みたいな気持ちを胸に抱きながら、お前の文句を涼しい顔で受けきってるんだ。察しろよ」


 それは、私が今まで見たことがないヴェルトだった。

 怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただひたすらに感情を殺し、自分を責め続けている。義務でも義理でもない。罪。その言葉がしっくりくる。モニカの記憶を奪い取るという決断をしたことへの自責の念と、必死で戦っているようであった。

 いつの間にか、私の目から涙が伝っていた。レベッカが側に来て肩を抱いてくれた。

 どうしてヴェルトは泣かないんだろう。鋭く尖ったナイフで、自分の身体をめった刺しにしているのに、悲鳴も嗚咽もこぼさない。ヴェルトの尋常ならざる覚悟が、痛々しくて見ていられなかった。

 シューゼルは、せめて自分が代わりになると食い下がったが、それは却下された。


「村長だけが俺の存在を知らないんじゃ、村の運営に支障が出るだろうが」


 用意されていた答えになすすべがない。


「あいつが寂しい思いをしないように、村のみんなを導いてやってくれな」


 突き放すような言葉に、シューゼルは頷くほかなかった。


「……決めたんだね」


 ヴェルトと目を合わせることなく、遠くの山を見つめたまま、声を掛けた。ようやく絞り出せた私の声は酷く枯れていて格好がつかない。


「……あぁ」


 ヴェルトも同じように遠くを見つめたまま、口だけを動かす。

 いったい何を思っているんだろう。ヴェルトは自分から自分の感情を話してくれない。こちらから聞いたとしても、拒否されるかはぐらかされる。どんなにつらかったとしても、きっとこの人はそんな弱みを誰かに見せたりしないんだろう。

 せめて、私にだけは見せてくれればいいのに……。

 ヴェルトを支えたい。傲慢かもしれないけれど、いつも頼っている恩返しに、何か出来ることはないのかな……。

 声を掛けてあげたかったけれど、強く結ばれた口元を見て、臆病風が吹く。

 私は無力だ。

 どれだけ童話を読んで、童話の中の悲劇を体験したとしても、ヴェルトを支えるセリフ一つ出てこない……。

 せめて普通に接しよう。今日は駄目かもしれないから、明日から。一晩寝て、気持ちを切り替えよう。

 決意したら、少しだけ気持ちが軽くなった。

 家に帰ると、温かい夜ご飯を用意したモニカが待っていた。食卓を飾る他愛ない話も、モニカが作ってくれた香辛料の強い料理も、なんだか味気なくて、何を食べてもお腹いっぱいになってしまった。

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