第169話 院長室 その③

「やっちゃえ、お姉ちゃん!」

「成敗するっ!」


 豪胆とした一言が空気を震わせ、同時にレベッカの身体が迫って来た。ゼロ距離で加速して、鋭い刃先が私たちに迫る。


「マジかっ! ――早っ」


 咄嗟にヴェルトの腕が私の肩を押した。私はバランスを崩し、反発した力を利用してヴェルトも反対側に転がった。その間を、煌めく一閃が通り抜ける。


「軍隊長は伊達じゃねぇな……。こりゃ、カラテアまで意識している場合じゃなさそうだ」


 尻餅をついたまま、カラテアに視線を向ける。相変わらず足を組んだまま微笑を浮かべていた。院長室の調度品と羽織ったローブと胸元に見える入れ墨が見事に調和して童話の一ページのようである。


「リリィ、お前が見てろ。何か怪しい動きしたらすぐに教えてくれ」

「えっ!? 怪しい動きって何!?」

「ほら、怪しい感じだよ――っと! 危ねぇ。お前にはミヨ婆もいる」


 私の胸元で揺れる心強い味方。きらりと光る黒い光沢が、任せてくれと言っているようだった。握りしめ、力いっぱい叫ぶ。


「負けないで! ヴェルト!」

「当たり前だ!」


 鋭い右ストレートがレベッカの頬を掠めた。けれど、痛みすら感じていないのか、能面のような表情は一切変わらず、崩れたバランスを立て直し、カウンターにレイピアを繰り出してくる。

一撃、二撃。顔の横を通り過ぎるレイピアの切っ先を、ヴェルトはギリギリのところで躱した。


「ど、どうしよ、ミヨ婆。カラテアは何かしてるのかな?」

「いんや、王女様。あやつはただ座っているだけさね。魔力の欠片すら感じない」

「そ、そうなの?」


 部屋の隅の本棚を背にして、戦闘の邪魔にならないようにカラテアを観察する。


「そもそもだね。あやつは学問の塔を飛び級したおかげで基礎が育っていない。精神に作用する感応魔法を除いて、まったくといいほど手札がないんだよ」

「基礎?」

「学問の塔は腐っても教育機関さね。魔法の根幹から積み重ねて、応用を身に着けていくようにできている。……まぁ、塔の制度なんてものは今はどうでもええ。肝心なのは、ドンパチやるような火や水を操る魔法を、あやつは使えないってことさね」

「だから、こちらに手を出せない……」

「そういうこと。あやつの魔力量で操作魔法が使えたら、本棚を倒してそれで終わりだというのにねぇ」


 それゆえ手駒を増やすのかもしれない。自分は非力な人間だから。

 なら、私がカラテアを倒してしまっても……。

 目が合った。


「なぁに。怖い顔しちゃって。……あぁ、なるほどぉ。ガルダナイトと刺客のお兄さんのバトルを見守らず、私を先に叩こうとしているのねぇ。同じ童話好きとして、それはさせないわよぉ。無粋ではなくって?」

「……うぐぅ」

「ふふふ。それにね、いくら私が体力に自信がないと言っても、王女様一人相手にするのは訳ないの。気付いているのでしょう? 私はまだすべての魔法を見せてないの」


 細く長い指が、口元からつぅーと首筋を伝わって、胸元をはだけさせた。エキゾチックな文様が、さらに広く視界に入る。


「う、嘘だ!」

「本当よぉ。私、嘘は嫌いなの」


 挑発されている。明らかに私を誘っている。そして、躊躇する私を見て楽しんでいる。童話の中の悪役を演じられるくらいには、この人、性格が捻じ曲がっている!

 ヴェルトとレベッカは拮抗状態を保っていた。押してはいなされ、耐えては反撃する。ヴェルトは自分の身長ほどある帽子掛けを槍のように構えて、レイピアの間合いに対抗していた。

 何か、何かないかな……。

 レベッカを止める手立てでも、カラテアを倒す手立てでも……。

 童話の中では、もちろんガルダナイトが勝利した。アマネム王子が放った刺客もそれなりの手練れだったけれど、エリカ姫の剣となると誓ったガルダナイトの前では歯が立たなかった。

 童話は童話。『ガルダナイト』のテーマである勧善懲悪を示す意味も込めて、ここはガルダナイトが勝たなければいけない。

 ガルダナイトが窮地に陥ったシーンを思い返してみても、ヒントは得られない。多勢に無勢だったり、信頼していた人間に毒を盛られたり……。不意を突かれさえしなければ、向かうところに敵はいなかった。決戦が始まってしまった今、勝負に置いてガルダナイトに弱点はない。

「ハッ」とか「うぉっ」とか、小刻みに息を吐き出す回数が増えて来た。迫りくるレイピアを避けた拍子に、頬を流れていた汗が飛び散って床に染みを作る。


「これだけ強けりゃ、この国も、安泰だな、リリィ!」

「ヴェルト、大丈夫? 息切れぎれだよ」

「ったく、やりにくい相手だぜ。……おっと」


 距離を取ったヴェルトを追撃するように、銀色の閃光が迫ってくる。背を逸らして交わし、身をよじって繰り出した右足は、けれどレベッカには届かない。十分に予想の範囲だったと言わんばかりに悠然と、一歩引いてその攻撃を躱す。


「いい加減、目を覚ましてくれよ。この戦いが一番不毛だって気づけって!」

「貴様こそ、アマネム王子の下で手を汚して恥ずかしくないのか! 多くの民の犠牲の上に成り立つ国なぞ、すぐに滅びる。歴史が物語っている」

「あー、もう。話が通じない。レベッカさえこちらについてくれれば、あんな不埒な女にてこずることなんてないのに」

「何を言っても私の正義は揺るがない。大人しく、成敗されろ!」


 ヴェルトが投げたナイフを、レベッカが叩き落とす。一本、二本と弾かれては、床や本棚に突き刺さる。距離を詰められたヴェルトが、咄嗟にテーブルを押し倒したが、そんな木の板は盾にもならず、突き抜けた切っ先がヴェルトの肩口を切り裂いた。

 何とかしなくちゃ……。ヴェルトが押され始めている。

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