第170話 正義を貫く者

「頑張ってぇ。お姉ちゃん」


 カラテアの甘ったるい声が耳障りだ。

 童話のガルダナイトだったら、こんな不愉快な気持ちになることはなかった。一巻から苦楽を共にし、決して諦めないガルダナイトに感情移入していたからだろう。エリカ姫の声援は、ガルダナイトの力を後押ししてくれていた。

 でも今、私たちは敵。それだけで受け取る感覚ががらりと変わってしまう。私を挑発するようなわざとらしさも、怒りの感情に拍車をかけている。

 ……あれ? ちょっと待って、今、何か頭をよぎった。

 唐突に訪れた閃きを逃さないよう、私は必死で考えを巡らす。


「正義一閃! 秘技、桔梗一輪ッ!」

「のわっ! 何だ今の。手元で加速したっ!」

「逃さんっ。くらえっ。雪花剣山ッ!」

「ちょ。馬鹿っ。そんなに捌き切れるかっ」


 レベッカのガルダナイトは完璧だ。本当に小さい頃からずっとずっと好きだったんだと思う。一字一句暗記するほど読み込んで、鏡の前でガルダナイトごっこをしていたかもしれない。おかげでまったくぶれていない。

 理想も、信念も、情熱も。ガルダナイトそのものだ。

 でも。

 完全に演じ切れていない人物がここにはいる……!

 私はカラテアに視線を送った。

 容姿はともかくとして、エリカ姫はあんなに媚びた声を出さない。余裕をもって命令しない。

 か弱くて、引っ込み思案で、でも常に必死で、無力であることを悔いている。

 違う。全く違う。カラテアはレベッカに合わせて『ガルダナイト』に出て来るエリカ姫を演じてはいるけれど、それは形だけだ。感情も、行動も、まったく真似出来ていない。レベッカを縛り付けるための装置としてしか、エリカ姫の存在を考えていない。

 物語に参加しているつもりで、カラテアは舞台に上がってはいないんだ。


「……なら、私が上げてあげる!」


 役割としてしかキャラクターを知ろうとしない、その姿勢を。同じ童話好きとして私がたしなめてあげる!


「エリカ姫! お覚悟をぉ!」


 私は、棚に大事そうに飾ってあった骨董品の壺を掴み、勢いよく振りかぶった。

 カラテアだけでなく、レベッカとヴェルトの注意も、一瞬だけ私の方へと移る。


「えぇいっ!」


 全力投球。陶器でできた壺は、綺麗な放物線を描いて、カラテアの座る場所へ吸い込まれていく。


「なぁに? 私がこの程度避けられないとでも?」


 椅子を蹴り飛ばして、カラテアが身を翻す。

 そして、事故が起こった。


「エリカ姫っ……何っ!?」

「え……?」


 避けたカラテアと、エリカ姫を庇いに来たレベッカが衝突した。

 バランスを崩した二人が折り重なって倒れた直後、派手な音を立てて壺が砕け散る。


「ば、馬鹿なのぉ? 私があのスポンジ頭の攻撃を避けられないとでも思ったのかしらぁ?」

「も、申し訳ないっ! けれど、姫。いつの間に一人で避けられるように……?」

「何を言って……」


 やっぱり……。私は叫ぶ。


「ヴェルト! 畳みかけて!」

「おう!」


 体勢のおぼつかないレベッカに向けて、ヴェルトの帽子掛けが迫る。カラテアを背にし、突くための鈍器であるレイピアを、防御に使い何とか攻撃を逸らす。


「ちょっとぉ。私は私で自己防衛するから、貴女はあのお兄さんに集中しなさいよ」

「あ、あなた? ……いえ、姫を守れなくて、何が騎士です! 姫の危険には、命を賭してでもお守りするのが私の使命」


 カラテアがエリカ姫を演じ切れていないから起こる事故。

『ガルダナイト』では度々エリカ姫がピンチになることがあった。敵に掴まって人質に取られたり、ガルダナイトの動きを封じるために、こうやって先に狙われたりすることがあったのだ。気の弱いエリカ姫は、悪意にあてられると身体が硬直してしまい、動けなくなる。

 ガルダナイトはそれを知っているから、どんなに自分が優勢でも、戦いを放り投げてエリカ姫を守りにいった。それを使命だとおのれに課していた。

 そう。だから、避けられるはずがなかったんだ。私が投げた山なりの壺だとしても。


「せいっ!」


 ヴェルトが帽子掛けを振り上げると、レベッカの手からレイピアが巻き上げられた。くるくると回転し、部屋を横断したレイピアは、斜めの角度で床に突き刺さる。


「え?」


 茫然とするレベッカ。武器のなくなった右手をじっと見つめ、やがて苦痛に苛まれて頭を押さえて崩れ落ちた。


「うあぁああっ!」


 拳を握り、フローリングに振り下ろす。


「私は……。あたしは……。あぁあ、うがぁあぁあ」


 葛藤しているんだ。レベッカとガルダナイトの間で、レベッカの意志が揺れている……!


「頑張って、レベッカ!」

「私は……っ。ガルダ、ナイト……。エリカ姫の……騎士ぃっ!」


 獣のように爪を立てて床にしがみつき、荒い息を吐き出す。血走った眼を、ヴェルトへと向けた。


「負けるわけにはぁ――」


 拳を握り締め、レベッカががむしゃらに駆け出す。なりふり構わず、たった一つの空虚な使命を胸に……。

 ヴェルトは武器にしていた帽子掛けを捨てると、迎え撃つように拳を構える。


「悪を! 成敗っ!」

「目ぇ覚ませや、……この、変態軍人が!」


 繰り出された右ストレートを華麗にかわし、頭を低くしたヴェルトのカウンターがレベッカの腹部に抉り込まれる。

 めりりと。容赦のない一撃がレベッカの急所を的確に捉え、振り抜かれた。

 身体中の空気を押し出され、音のない悲鳴を上げた次の瞬間、まるでバネ仕掛けの勢いが逆転したようにレベッカの身体は吹き飛んでいった。

 かつて院長が愛用していたであろう木製の机を破壊して、積まれた本を弾き飛ばして、絨毯を巻き込んで、壁に打ち付けられてようやく止まる。

 埃が舞いあがり、辺りは静寂に包まれた。

 ぐらりとレベッカの身体が揺れる。首が落ち、それを支えることなく、フローリングに突っ伏する。

 レベッカは、完全に意識を失っていた。


「……終わった?」

「……あぁ」

「勝った!?」

「――あぁ!」


 ヴェルトがだらりと腕を下ろす。その仕草が戦いの終わりを告げていた。

 童話の国の軍隊長。国随一のレイピア使いと謳われ、あのグスタフと引き分けたほどの実力の持ち主に、ヴェルトは勝った。

 転びそうになる足がもどかしく、それでも早くそばに行きたくて、私はたたらを踏みながらヴェルトの胸に飛び込んだ。固い胸板が抱き留めてくれた。


「やった! やったよ! すごい、ヴェルト! レベッカに勝つなんて!」

「お前のおかげだ、リリィ。――ありがとう」

「――っ」


 鼻の頭がむず痒い。嬉しくて、恥ずかしくて、名残惜しい温もりをそこに残したまま、ヴェルトから離れて距離を取った。そうしてもう一度顔を合わせて、どちらからともなく表情を緩める。

 バーサスレベッカは、私たちの作戦勝ちがだ。

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