第150話 待合室 その③

「お、おい。リリィ……」

「なに! ヴェルト! 私は怒っているんだよ!」


 後ろから掛けられたヴェルトの言葉にも思わず噛みついてしまった。


「あぁ、それは十分わかるぞ。十分にな」


 肩を叩かれ深呼吸を促された。冷たい空気を身体の中に取り込むと、沸騰していた感情が急速に冷却していった。


「お前の童話にかける情熱は、おそらくこの国一番だろうな」

「当たり前だよ。私を誰だと思っているの!」


 大好きな童話を侮辱されていることが許せなかった。たぶんそれだけだ。


「私は、ワタ……僕は、ルルベだ。弟のために、世界に復讐する、男だ……。この力で、世界を、変えるんだ……」


 青年は右手で顔を大きく覆い、何かと必死に戦っているように身をよじった。もはや童話を再現しているようには見えない。青年の中で、何かが変わったのかもしれない。


「この力で、お前たちを……」

「もしあなたがルルベなら、その力は決して使わないよ。決してね」

「あ、あぁ。がぁあああぁぁあああ」


 理解したのかしていないか。私の言葉に反応した偽ルルベは、天井に向かって咆哮する。

 それはオオカミの遠吠えのようでもあったし、ルルベの最終話の大絶叫のようでもあった。

 咆哮を終えた男の目は既に座っていた。そして、ギラリと光る獣のような瞳を、こちらに向けた。

 狂気を露わにした男が走り出す。


「あぁっ! ああぁっ!」


「下がれ、リリィ」「危ない、リリィちゃん」


 一陣の風が舞って、私の後ろ髪がふわりと宙に舞う。左からヴェルトが、右からレベッカが、私が認識するよりも早く走り抜ける。

 次の瞬間。

 ヴェルトの渾身の右手が顔面を捉え、レベッカのレイピアがお腹に食い込んだ。振り抜かれた二人の一撃が、向かってきたターゲットを、勢いをそのままはじき返す。

 ピンボールのようにはじき返されて、ルルベの身体はなすすべなく病院の床を転がり、マガジンラックにぶつかって止まった。


「ふぃー。いっちょ上がりっと。あたしのリリィちゃんに襲い掛かろうなんて不届きな輩だよ、まったく。怪我はなかった?」


 レベッカが優雅な仕草でレイピアを腰へ戻し振り返る。凄まじい緩急だったのに、呼吸どころか髪形すら乱れていないのはさすがだ。


「私は大丈夫。――ていうか、あの人の心配した方がいいんじゃ……。レベッカ、殺してないよね?」

「あー、大丈夫大丈夫。鞘からは抜いてないから。ちょっと痛いだけ」

「ちょっと?」


 明らかに大ダメージが入ったように見えたけれど。


「ヴェルトも! ルルベさん、鼻曲がっちゃうよ」

「これでも手加減したんだぜ? 相手は素人だから」


 ほれと親指に指された先を見ると、生まれたての小鹿のようによろめきながら、ルルベが立ち上がったところだった。埃まみれの床を転がったことで、より一層見てくれが悪くなった。お腹と顔を抑える姿は、どんなフィルターをかけてもルルベには見えない。手に着いた鼻血をみて、顔が真っ青になる。


「い、痛い……。ど、どうして。鼻血なんて……」

「わかった? ルルベは鼻血なんて出さないよ。あなたはルルベ失格なの」

「ひっ」


 日和るルルベの前に行って腰に手を当てて睨みつけると、お化けでも見るかのように身を捻り、そして、こらえきれなくなって情けない悲鳴を上げた。

 私たちの間をすり抜けると、一目散に逃げていく。逃げる途中でベンチに躓いて、また盛大に転んだけれど、取り繕うこともせず廊下の先に走り去ってしまった。


「あ、ちょっと! まだ話終わってない……」


 しまった。せっかくの手がかりだったのに……。


「お前の童話への愛が怖いってさ」

「そんなことないし! やるなら徹底しないと作者さんに失礼だって思っただけなの!」

「いずれにしても、あの青年にルルベは荷が重かったってわけだ。――そんな中途半端な想いでも、カラテアの魔法はフェアリージャンキーに仕立て上げることが出来る。怖いな」

「逆に、リリィちゃんがフェアリージャンキーになったら、とんでもないことになるね。くわばらくわばら」

「だから私はならないって!」


 拝むレベッカの頭をポカポカ叩いて否定する。

 でも、もし自分の好きな童話の主人公になれるとしたら、私はどの童話を選ぶんだろう。

 やっぱり『あひるの王子』シリーズかな。それとも、もっと私の心の奥底に眠っている私の核となっている童話があるのかな……。

 物思いに耽っていると、頭を小突かれた。


「さ、行くぞ。そろそろ本陣だろ」


 ヴェルトの見据える先には相変わらず不気味な空気が沈殿している。その先から垂れ流される目には見えない負のオーラを、私は肌で感じ取った。

『先生』の差し金で私たちを待っていた偽ルルベ。少なくとも、私たちが向かっていることはもう伝わっているのだろう。ここは既に敵の腹の中だ。突き進むしか選択肢はない。


「……行こう!」


 私は覚悟を決めて、その闇へと足を踏み出す。

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