第129話 2人とヴェルト その①
きぃと軋む音を響かせながら、私は階段を登る。二階は灯りが点いているにもかかわらず、薄暗い静寂に包まれていた。一階の喧騒はどこか遠く、階段を挟んで別の世界に来てしまったような錯覚に陥った。
その胸にキャメロンがあることを紐を引いて確認し、私は廊下の最奥、ヴェルトの部屋の前に立った。
「ヴェルト、いる?」
ノックをしてみたが、返事はない。扉に耳を当ててみると、木の板を通して低い振動が伝わって来た。低い女性の声と、くぐもった男性の呻き声。
「注意しろよ、嬢ちゃん。開けてびっくり大惨事ってことも想定して置け」
「怖いこと言わないで! そうならないために来たんだから」
掌が微かに震えていた。ぐっと握りしめても、その震えは収まらない。握りしめた拳を、同じように怖気づいている膝に叩き込んだ。
今動かなきゃ、全て手遅れになるんだ。行くよ。ちゃんと、ついて来て!
ごくりと生唾を飲み込んで、私は勢いよく扉を開けた。
目に入って来たものは二つ。
後ろを向いたヴェルトの姿と。
布のようなもので口を塞がれてベッドに転がる情けないヴェルトの姿だった。
ベッドのヴェルトが私の姿を見て目を見開いた。何かを懸命に叫んでいるようだけれど、残念ながらそれは私の解する言葉ではない。
「ん? 誰だ? 人の部屋に勝手に入って来るとは失礼な奴だな」
「……レモア」
闖入者に気付いて振り返った方のヴェルトがレモアだった。
ヴェルトの格好をして、ヴェルトの髪形をして、ヴェルトの口調で、ヴェルトのようなことを言うレモア。その手には、光り輝く刃物が握られている。
「まったく、誰に似たんだか。いいから、少し外に出ていてくれないか? 俺はちょっとばかし忙しい。話なら後で聞いてやるからな」
「レモア!」
私はあらん限りの声で叫んだ。
今目の前にいるのはレモアだ。ヴェルトじゃない。声は高いし、肌はつやつやしているし、目は妙に垂れ目だし。私の知っているヴェルトと全く似てはいない。
ヴェルトを騙る偽物。ううん。偽物なんて言うのもおこがましい。私の目から見て、レモアはちっともヴェルトらしくなかった。服装や格好、口癖を真似たところで、レモアはレモアだ。それは隠せない。隠せていると思っていることが、痛々しい……。
「もうやめよ。レモアはレモアだよ。ヴェルトじゃない。どんなに頑張ったって憧れの人間になれるわけないんだよ。近づくのが精いっぱい」
言葉で。何とか言葉だけで正気に戻ってほしい。
「ヴェルトは強いし大人びているし、人の意見に左右されない芯を持っている。誰にでも優しくて、困っていたら誰でも救っちゃう。そんな人間、他にいないし、憧れるのはわかる。私だって……。私だって憧れてるもん。ヴェルトの強さのほんの少しでも、私に分けてもらえたらなって、いつも思っている」
一緒に山道を歩いているときも、疲れ果てて野宿する時も、久し振りの街の食堂で談笑している時も、からかわれた時だって、思いがすれ違った時だって、ヴェルトは私の憧れだった。
私だって、ヴェルトのようになりたいと思った。
でも、現実は違う。ヴェルトはヴェルトで、私は私。ヴェルトじゃない。
「レモアはヴェルトじゃない。そんなこともわからないの!」
「ご近所さんに迷惑だぞ、リリィ。それとも何か、俺に構って欲しいのか?」
「――っ! ヴェルトはそんなこと言わない!」
「これだから、いつまで経ってもお前はポンコツなんだ」
「止めて! レモアの顔でそんなこと言わないで!」
顔が真っ赤になるのが分かる。
レモアの中のヴェルト像なのかもしれない。やれやれと言わんばかりの表情が、私の神経を逆撫でする。
「おい、嬢ちゃん。乗せられるなよ」
「……わかってるよ」
無機質なガロンの声で冷静さを取り戻す。
「うく。うくく。うくくくうく。リリィ……。うくく。うく……」
「レモア!」
「レモア? 誰だ、それ? うくく。ボク? いや、俺?」
「正気に戻って!」
「誰に向かって言ってんだよ。童話読み過ぎておかしくなったのか? うくく」
話が通じない。レモアの瞳は私の方を見ているけれど、そこに私の姿は映っていない。ヴェルトが見ていたであろう景色を想像したまがい物が映っている。
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