第121話 記憶とのずれ

 私は廃病院から帰ってきたその足で、孤児院の奥、ポラーノ氏の書庫へと急いだ。

 途中ですれ違ったダグラスとエドナにヴェルトの行方を聞いたけれど、二人は口をそろえて、出掛けたと答えた。


「お昼過ぎだよ」

「ひるすぎだよー」


 可愛さに一瞬我を忘れかけたけれど、奮起して後ろ髪を引かれる思いを断ち切った。

 ポラーノ氏の著書、『過大評価の正解』の聖地に認定した重厚な扉の前。シンメトリーな配置を否定するように東側に寄った書庫への入り口は、私の入室を拒むことはなかった。

 扉を開けると漂う古い童話特有のかびた匂い。安心感と好奇心を刺激する。

 目当ての童話の場所を、探すところから始めなければいけない。


「なぁ、嬢ちゃん。あの変わり者の嬢ちゃんがフェアリージャンキーだって推理は俺も認めるが、何だってまた書庫なんかに来たんだ?」


 誰もいなくなったことを確認して、ガロンの声が響く。


「嬢ちゃんの頭の中には、例の童話、『歩き真似ヒツジ』とやらの筋書きが記憶されているんだろ? それによると、行き着く先はハッピーエンド。フェアリージャンキー自体は厄介な病だが、俺様にゃ今が危機的状況って感じがしねぇ」

「うーん……」

「それよりも、俺様の意識がなくなっていたことについてもうちょっと心配してほしーぜ」


 答えに窮していると、ガロンは自虐とも取れないネタを差し込んできた。そっちもそっちで反応に困る。


「もちろん、ガロンの件も心配なんだけどね」


 私は、本棚の森を縫うように歩きながら目的のものを探す。


「なんか、私の記憶している『歩き真似ヒツジ』と違うんだよね」


 違和感……。何度も何度も読み込んでいる私だからこそ気付く、些細な違いがある様な気がする。


「例えばね、童話では、ご主人とヒツジが一緒にご飯を食べるようになるシーンがあるの。歩くことができるようになった直後で、ご主人とヒツジの間に絆が芽生え始めた頃のこと。ヒツジは、人の食べ物を食べることに固執してるんだ」

「ほぉ」

「でも、絶対にご主人を立てるの。同じものを食べるけど、ご主人に自分の分を分けてあげる。次の日も、その次の日も。ご主人がヒツジにそのわけを聞くと、自分はご主人の伴侶でありたいからと答えるの。そのいじらしさが可愛いんだけど」

「可愛いか?」

「可愛いの! で、飼い主はヒツジの思慮深さに感服する。でも、レモアは違った。ヴェルトと同じものを、同じ量、同じ順番で食べようとしていた」


 私は記憶を呼び起こしながらガロンに言う。あれは、二日目のことだ。


「女の子なのによくそんな食べれるなって思ったもん」

「食いしん坊なだけなんじゃないのか?」


 そうかもしれない。でも、これだけじゃない。

 次の本棚を巡回しながら、私は続ける。


「レモアがバッサリ髪の毛を切ってきた日があったでしょ?」

「あったな。衝撃的過ぎて忘れられねぇぜ!」


 バートと喧嘩した次の日、レモアは朝早くから一人で孤児院を出て、夕食時に帰って来た。バートの話によると、その日も今日行ったあの廃病院に寄っていたらしい。そしてそこで荒れ放題だった髪を切って来た。


「『歩き真似ヒツジ』でもね、ヒツジは自分の身体とご主人の身体の違いに悩むの。で、物知りなキツネにアドバイスをもらって、毛を刈り取るんだよ」


 そして、次の話でその毛を使って、器用なシマリスに服を仕立ててもらう。これが動物だからほんわかしたエピソードになっていた。人に置き換えたら、何とも猟奇的な絵面になってしまったわけだ。


「でも、あんなに短くはしなかった」


 ヒツジはヒトの女性らしい髪形になるようにカットしてもらった。綺麗にカールした純白の頭部の毛だけはそのままに、体毛のみ刈り取ってもらった。服を着て二足歩行するヒツジは、立派なレディに変身した。


「ヒツジが飼い主に女性として認められる重要な場面なんだよ。それなのにレモアは、あんなに短く刈り上げてしまった。あれじゃ男の子って見間違われちゃうよ」


 身を挺してまで庇った童話。この孤児院に引き取られて、ポラーノ氏に師事するようになってからずっと読んでいたはず。それなのにそんな大事なシーンを記憶違いしているなんて考えられない。


「嬢ちゃんじゃないんだ、間違えることもあるんじゃねぇのか?」

「嬢ちゃんじゃないんだって前提が気になるけど……。好きで好きで狂ってしまうほどに好きなものをそんな乱暴に覚えているわけがないよ。何度も読んで、細かい設定まで記憶して、そうして見えてくるものもあるんだよ。作り出したのはたった一人の人間のはずなのに、登場人物が全員生きて語りかけてくる。童話の中の世界で、誰もが等しく生きているの。その境地に達するとね、心の奥がずんって暖かくなるの。レモアはそれを理解する人だと思う」

「……お、おう。語るな、嬢ちゃん」

「ただの一般論だよ」


 さすがに私の話は極論だけれど、でも、『歩き真似ヒツジ』のことを語っていたレモアの目に『好き』が溢れていたのは事実だ。私はその無垢な瞳を見て、少し心を許す気になったのだから。


「だからおかしいんだよ。私の記憶とレモアのフェアリージャンキーに差異があることが」

「てことは、嬢ちゃんが今探しているのは『歩き真似ヒツジ』か」

「うん。私が読んだのは結構前だし、この旅には持ってきてないから」


 ヴェルトに勧めるくらい好きな本の一冊だったけれど、馬車もないこの旅では持って歩ける童話の数は限られてしまう。

 二列目の本棚も外れだった。確か、この前来た時は見かけたんだけどな。どの棚だったのかは覚えてないけれど。誰かに読まれることを前提としているわけじゃないからか、ポラーノ氏の素敵な並べ方は検索性という観点では最悪だ。


「歩き……歩き……。あっ! あった!」


 三列目の棚の膝ぐらいの高さに、『歩き真似ヒツジ』と背表紙に書かれた童話が並んでいた。引っ張り出すと積もっていた埃が舞い上がり、私はけほけほと咳払いをした。

 厚い童話ではないけれど、ハードカバーに装丁され、金色の拍でタイトルが刻まれている。ベテランの童話作家が、これまでの功績を認められて初めて許される、金色の文字。出版は童話の国ではないけれど、童話作家の間では金文字の童話が出ることは栄誉とされていた。私の本棚にも何冊か眠っていて、そのすべてに私は深い感銘を覚えた記憶があった。


「そいつが探してた童話か。随分と年季が入ってやがるな」

「出版されたのは、もうずいぶん前だからね」


 服の袖で口と鼻を隠して、もう片方の手で童話の表紙を叩いて埃を落とすと、当時の輝きがそのまま蘇ってくるように、題字はさらに輝きを増した。歯抜け状態になった本棚を一瞥して、先日から私の読書スペースになっていたテーブルへと落ち着いた。


「ガロン、誰か来たら教えて」

「人を警備装置か何かみたいに……。って、もう聞いちゃいねぇ」


 ガロンの言葉が最後まで聞こえたかどうか覚えてはいない。私の意識は一瞬でだだっ広い農場へと吸い込まれていった。

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