第119話 レモアは本当にこの結末を迎えるのか
私はレベッカにお礼を言って走り出した。
向かう方向はこのフェアリージャンキー隔離病棟じゃない。真逆。元来た針葉樹のトンネルを駆け下りる。
「レベッカ! レモアのことは任せた! 絶対! 絶対に! レモアを連れ帰って来て!」
「ちょっと、どこ行くのよ!? リリィちゃん!?」
「私は私のできることをするの!」
レモアは、私と会ったときからすでに、フェアリージャンキーに罹っていた……。
恐らく、原因はこの病院だ。フェアリージャンキーを発症させ、症状を加速させる何かが、この病院には眠っている。
それと対峙して解決するのも一つの手。でも、童話が好きな私には、先にやらなければいけないことがある。
後ろから足音が近づいて来て、バートが私の隣に並ぶ。
「お、おい! レモアどーすんだよ! あの変なねーちゃんに任せていいのかよ!?」
「大丈夫。レベッカは信用できるから」
怪訝な表情を浮かべるバートに、細かく説明している時間はない。
彼女が憑りつかれてしまった童話は、間違いなく『歩き真似ヒツジ』。私はもちろん、その童話を読んだことがある。
ポラーノ氏の第四十作目。歪の天才の異名を我物とした転換点ともいうべき童話だ。
主人公のヒツジが、人間のご主人へ愛を示すため自分を変える物語。物語のテーマは憧れと努力。ヒツジの愛は次第にエスカレートし、ヒツジは飼い主と同じになりたいと思うようになる。姿や口調、考え方を寄せていき、ついにはヒツジ界初の人間と結ばれた存在になるのだ。
ハッピーエンド。でも、強引過ぎる結末に、深読みする読者が後を絶たない。
傲慢な人間という種へのアンチテーゼだとか、飼い主は思い通りになるヒツジをただからかっているだけだとか、ヒツジのような家畜を軽んじていると、いつの間にか主導権を取られているという説話だとか。果ては、裏返したり、炙り出したりしたら続編が浮かび上がるのではないかと試す人が続出する始末。
曰く付き。それ故に人は魅せられる。
著者のポラーノ氏は、何も語らない。童話城にいた頃、何かの雑誌に載っていたポラーノ氏のインタビューを読んだことがあったけれど、記者の質問にポラーノ氏は挑戦的な笑顔を見せるだけだった。
レモアはヒツジ。飼い主はこの場合ヴェルトだろう。
フェアリージャンキーに罹ったレモアの思い描く未来がこの童話の通りなら、この先にはハッピーエンドが待っている。レモアの努力に心打たれたヴェルトが、考え方を改め、一人の女性としてレモアを愛する……。
ヴェルトと結ばれるという話になる訳だけれど……、うん、百歩譲ってそこは置いておく。私にはレモアの行動がヴェルトに響くとは思えないけれど、そんな心配をしていたら話が進まない。
童話の原石にならなくなってしまう、というのも確かにある。レモアの物語は、結局ポラーノ氏の童話の二番煎じであり、そんなものを童話の国が出版するわけにはいかない。登場人物や環境を少し変えたところで、骨組みが同じなら読者にはすぐに見破られてしまう。マンネリよりも恐ろしい、人気やブランドの失墜になりかねない。
それも問題だ。でも私にはもっと恐ろしい不安があった。
――レモアは本当にこの結末を迎えるのか。
そんな考えが頭の隅に引っ掛かって離れない。
壊れた鉄門をくぐると、視界には再び荒野が戻って来た。中心地にある煙突は、まだ果てしなく遠い。息を整えるために立ち止まった私の背中にバートの声がかかる。
「おい、リリィ。もしかして走って帰るつもりか? 正気か?」
「う、うるさいなぁ。それしかないんだからしょうがないでしょ」
「なら乗って行けよ。走るよりは早いぜ」
「乗って行け?」
不審に思って振り返ると、バートは朽ちた家の残骸の影から一台の三輪荷車を引っ張って来た。前輪が一つ、後輪が二つ付いている荷車で、前方に人が乗り、ハンドルを持って人力で漕いで進む。後ろに付いた大きなかごには、人では抱えきれないほどの荷物が積める。童話の国では一般的な運送用の乗り物だ。
「孤児院の借りて来てんだ。特別に俺が漕いでやる!」
「いいの? バート」
「男、舐めんな!」
荷車とバートを少しの間行ったり来たりした後、私はためらいがちに荷台に乗った。木でできた荷台はお世辞にも乗り心地がいいとは言いづらいけれど、そこから見えるバートの背中はなんだかとても大きく見えた。
行くぜぇと大きな声を出した後、ゆっくりと進み出す。
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