第105話 髪を切った少女
短髪の新生レモアに驚いたのはバートも同じだった。
髪飾りを盗んだのは彼だし、てっきり断髪騒動にも関わっているものだと勘ぐっていたけれど、どうやらそうではないらしい。
「ちょ、ちょちょちょ、レモア! お前、か、か、髪がっ! いや、おまっ! 正気か!」
今まで見たことがないほど動揺していた。噛み噛みだった。
後ろにヴィッキーが控えていたにもかかわらず、外聞を気にする余裕すらなかったと見える。
同じ日に朝早くから出掛けていたし、帰ってきた直後にヴェルトが変なことを言っていたからバートが絡んでいるのではないかと疑ってしまったけれど、あの態度は白だ。
次の日になっても違和感は拭い去れなかった。髪を切ったからか、全体的にシュッとして見え、心なしか理知的だ。でも、頭の中身は大して変わっておらず、数学の授業では取っ散らかった答えを返して周囲の爆笑を誘った。その後に指名された私が、さらに珍妙な回答をして、周囲を凍り付かせたのはキャメロンを使って忘れたい黒歴史である。
私は毒にも薬にもなりそうにない授業を聞き流しながら、女の子が髪を切る心理というものを私の脳内童話ライブラリーで検索してみた。
童話の中の少女たちは、当たり前だが理由なしに伸ばした髪を切らない。それは何かのサインだったり、心象を態度に表すための手段である。一番大きな理由は失恋だ。
『ある片隅のブラッドオレンジ』は、多感な女の子が身の丈に合わない恋だとわかってもいても何度もアタックする少女向け童話で、主人公のリアは何度か髪形を変えている。バッサリ切ったのは初期の一度だけで、その時は前の恋を乗り越えるために、思い出とともに切り捨てた。
次に多いのは、決意。大きな壁に立ちはだかったとき、自分を鼓舞するために外見を変えるというのは、わからない心理ではない。
『天変地異コミュニケーション』では、職を失った働き盛りの女性が、心機一転して男性ファーストが染み付いた社会を切り拓いていくために断髪している。変化を望むも努力だけではどうしようもない壁を前にした時、人は髪を切るのかもしれない。そう言えば、塩の街が舞台の『鐘の鳴る坂を登る』のヒロインメリルも、闘病を志すと決めた時、髪を切っている。
ほかにもいくつかあるけれど、大概この二つに大別される。
まとめてみると、童話のヒロインの思考なんてものは、案外単純なのかもしれない。
『あひるの王子』シリーズのヒロインネコ娘だって、キャラクターとしてはとても単純だ。褒められれば喜び、理不尽には怒り、不幸な人へは哀しみとともに手を差し伸べて、今生きている瞬間を全力で楽しんでいる。童話の国中の読者を虜にする理想のヒロインは、その単純さゆえに愛されているのだろう。
……話が逸れた。
レモアの感情が『失恋』と『決意』、そのどちらに該当するかというと、うーんと唸ってしまう。レモアの想い人はヴェルトだし、そのヴェルトに振られたわけではない。じゃあ、ヴェルトにアタックしようと決めたことによる決意の表れなのかというと、それも違う気がする。レモアの態度は、私たちが孤児院に来た日から変わらず破天荒だ。今更何かが変わったわけじゃない。今も、配られた答案用紙を紙飛行機にしてマムに怒られている。
その日の授業が終わると、レモアは走って自室へ戻っていった。何かやりたいことがあると言っていたけれど、それが何なのか、誰も知らないし想像もできない。
「ヴェルト、ちょっと様子見に行ってきた方がいいんじゃない?」
夕食前のひと時、暖かな喧騒が包むリビングで私がけしかけると、ヴェルトは困った顔をした。
「得体が知れなくて、俺も少し怖くなってきた」
珍しく弱気である。
「いざという時のためにキャメロン渡しておこうか? 最終手段だけど」
「そこまで危険じゃないとは思うが……。そうだな。もともと二人で出掛ける予定だったんだし、少し探り入れてこようかな」
「旅の話で時間を稼げばいいと思う。童話好きは知的好奇心が満たされるのが一番の幸せだから」
「それはリリィだけだろ」
片手をあげて階段を登っていく背中を見送って、私はガロンとともに書庫で時間を潰した。
夕食時に帰って来たヴェルトは、またとても不思議な表情をしていた。
子供たちの賑やかな声を聞きながら、いったいどんな問答が繰り広げられたのかを聞いてみると。
「それがよくわからん。間欠泉みたいな勢いで質問攻めにされた」
「と、言いますと?」
「俺の好きなものを聞き出したり、家族構成を聞き出したり」
「普通じゃない?」
「足のサイズや服のサイズ、いつも着ている服とか、身に着けている装備とかを聞いてきたり」
「うん? 普通、かな?」
「癖は何か、とか、口癖は何か、とか、一人称は何か、とか」
「うーん? なんか方向がずれて来た?」
「風呂ではどこから洗うのか、とか、歩き方を観察したいから部屋の中を歩いてくれ、とか」
「意味不明だね!」
「……おい、思考放棄しただろ」
はぁ、と大きな溜め息がこぼれた。私はテーブルの端に座るレモアを見た。マムの作ったパスタをフォークで絡めて味わっている姿からは、何を考えているのか全く読み取れない。仕方なしに対岸に視線をずらすと、仏頂面のバートがいた。レモアの方を見つめたまま、取り分けたキッシュにはまったく手を付けてはいない。ロニーも嘘の体調不良から復帰して、食卓を囲んではいるが、レモアの断髪がショックだったのか、食事はあまり進んでいない。
レモアの行動一つで、ここまで集団の雰囲気が変わってしまうものだろうか。
一人一人の顔色を窺いつつ、私はとてもおいしいパスタを頬張り、お代わりをする。
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