第104話 変化
雨は降り止まず、外は一日中暗いまま夜を迎えた。
レモアを待ち続けたヴェルトは、そのまま待ちぼうけを食らい、孤児院の中をぶらぶらしているうちに一日が終わってしまったと嘆いていた。例によってガロンに伊達男いじりされたのは言うまでもない。
私はつまらなそうにしているヴェルトに向けて、今日読んだ童話の感想を言って聞かせた。熱く語っているうちに時間は過ぎ、あっという間に夕食の時間を迎えた。
夕食が始まる直前、バートたちが帰ってきた。濡れた服から水滴を滴らせ孤児院の中を歩き回るものだから、マムのお小言が一つ増えた。自分の子分が休んでいたことに対して、機嫌が悪くなっているんじゃないかと思ったがそんなことはない。いつもの粗暴な彼だった。タオルを差し出すマムの手を暴力的に払いのけ、乱暴に身体を拭いていた。
けれど、そんな彼らを見てヴェルトはおかしなことを言う。
「なぁ、リリィ。あいつら、今日どこに行ってたんだ? 元気ないな」
「え? そう? いつもと変わらないと思うけど。寒くて弱っているだけなんじゃない?」
「いや、違うな。……何かを恐れているような……」
「恐れている?」
気になって偏見を持った目で彼を見てみたが、別段変わった様子はない。ぶっきらぼうな口調も、ガサツな態度もいつも通りだ。大体、天下無敵で向かうところ敵なしな孤児院の王様が、いったい何を恐れるというのだろう。
「男にしかわからない差なのかもしれないな」
「なにそれー。つまんない」
「ならもっと、観察眼を養うことだ」
目を凝らして睨んでみたが、視線に気づいたバートに怪訝な顔をされただけだった。
まぁ、バートの件はいい。たぶん、ヴェルトの勘違いだから。
衝撃を受けたのはこの後だ。
バートが風呂へ連行されるのと同時に、レモアが帰って来た。間延びしたただいまが玄関の方から聞こえ、湿った足音が食堂に近づいて来る。
「ごめんねえ。遅くなっちゃったよ」
「遅いぞ、レモ……」
顔を覗かせたレモアを見て、ヴェルトの言葉は途中で途切れた。
ヴェルトだけじゃない。温かく迎えようと用意していた言葉が喉の辺りで詰まったのは私も同じだった。ダグラスも、エドナも、食堂に集まっていた全員が、言葉を失った。空気が凍り付いた。
「レモアも帰ってきたんですね。もう、夕食に間に合うようにってあれほど……、えっと、ごめんなさい。あなた……、レモアですよね?」
マムも帰って来て、同じように息を呑む。
「どうしたの、みんな? ボクはボクだよ? おかしいの」
平然としているレモアの表情が、その異常さを際立たせている。
「荷物あるから、部屋に行ってくるよ。そしたら、お風呂入って、ご飯食べる。先に食べていてもいいよ。うくく。今日からお風呂入るの、とっても楽ちんだなあ」
荷物と呼んでいた大きな袋には何か黒いモゾモゾしたものがたくさん入っていて、袋の表面に付いた水滴が落ちて床に大きなシミを作った。得体のしれない何かに恐怖を覚えたのは、たぶん私だけじゃないはずだ。
「お、おい。レモア……」
ヴェルトが立ち直って声を出した。
「その、髪、どうしたんだ……?」
「んー?」
部屋へと帰ろうとしていたレモアは、思い出したように立ち止まって、自分の髪に触れる。
昨日まではお尻の下まで伸びていた立派な黒髪に……。
「ああ。髪形のことで驚いていたんだね。顔に何かついているのかと思っちゃったよお」
そして、まるで天気の話でもするように告げたのだ。
「――髪はね、切ったんだ」
前も後ろも関係なく、ジャングルで生きる野生の植物のようだったレモアの黒髪は、バッサリとなくなっていて、後ろ姿で首筋すら見えるようになっていた。前髪も目にかかる程度に短くなり、ボリュームも三分の一程度に落ち着いている。粗野という印象はなくなり、ボーイッシュと言って差し支えない長さに落ち着いていた。
あまりの変容ぶりに私たちは言葉を失ったのだ。
「切ったんだって、お前……」
「これもね、近づくためには必要な事なんだよ。先生もいつもそう言っているし」
「そう、なのか……」
マムの言いつけを守った結果というならば、私たちがとやかく言う話ではないのかもしれない。相変わらず、何を目的としてという部分が不透明で、レモアの言葉は全てが理解できないけれど。
近づくって、いったい何に近づいているんだろう……?
それに……。
私は、こっそり上着のポケットに手を突っ込んだ。そこにある髪飾りを握りしめて、去っていくレモアの後ろ姿を見つめる。
髪を切っちゃったら、もうこの髪飾りを使うことができないじゃん。ヴェルトにもらった大切な大切な宝物じゃなかったの? 誰がやめようって声を掛けても絶対に探すのを辞めないくらいかけがえのないものじゃなかったの?
これをあげたヴェルトの気持ち、昨日のレモアの気持ち、そして私に託してくれたロニーの気持ちが、私の肩にずしんと乗っかって来た。
どうしよう、これ。
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